表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/267

再婚したい?

「母上!待って!」

はるか後方で、ユウの声が風を裂いて届いた。


「ついてきて!」

黄金の髪を靡かせ馬を操っているシリは、振り向きもせず叫んだ。


5月のミンスタ領。


小さな丘を下り、また上り、この上なく美しい滑らかな馬の走り!


名馬がそろうこの地での騎乗は、かつての痛みを忘れさせるほどの喜びを与えてくれる。



グユウが亡くなって9年。


シリと子供達は、いまだにシュドリー城にいる。


その背に続くのは長女ユウ、三女レイ、そして乳母子シュリ。


家臣たちの姿もある。


ヒューヒューと風を切って、草原を滑り出すと、

シリの瞳は星のように輝き、口元には微笑が浮かぶ。



「行ってしまったわ・・・」

馬場に取り残されたウイはため息をついた。


ーーどうして、私は乗馬ができないのだろう。


母はもちろん、姉と妹も乗馬が上手なのに。


ウイは12歳。シリの次女である。


昔、落馬をした経験があり、

その時に馬の頭に鼻柱を打たれて鼻血を出した。


それ以来、乗馬をしなくなった。


ウイには姉と妹がいる。


1歳年上の姉ユウは、幼い頃から評判の美人だった。


母親譲りで金色の髪、深く青い瞳をもち、背が高い。


その美しさと気の強さで、周囲の人たちを影の薄い存在にさせる。


美しい持つ姉を持つことは嬉しかったけれど、

ウイは影の薄い存在とされるのは嬉しくなかった。



3歳年下の妹レイは、姉とは違う涼やかな美しさがあった。


顔には人の注意を引く、魅力と神秘的なところがある。


白い肌に真っ直ぐな黒い髪、切れ長のその瞳は真っ黒であった。


レイは無口だけど、瞳は熱心でそれでいて内気な訴えるような何かがあった。


その瞳を見るたびに、母は飢えたような独特の表情をする。



美しいと評判の姉、妹の間にウイがいた。


ウイは自分が特別な存在ではなく、ごく平凡な娘だと認識していた。


金褐色の髪の毛、小さな金色のそばかすが点々ととんでいる乳白色の肌、

夢見るような大きな群青色の瞳。


姉や妹と違い、臆病で慎重だ。


こうして、姉と妹が乗馬に行ってしまうと、

一人取り残されたウイは、乳母達と刺繍をすることが多かった。


時間がある時は、鏡の前で一生懸命、姉ユウの話し方や、

表情、仕草などを真似をした。


なかなか身につかないものだったけれど、刺繍と同じように、

練習をすれば上手くなるはず。


自分もいつか、ユウのような人を惹きつける顎のあげ方、星のようにさっと輝く目の表情、

風にしなう枝のような歩き方のコツを身につけよう。




馬から下りたシリは、タダシと向かい合っていた。


いつものバルコニー、風は柔らかく、ティーカップの中で紅茶がゆらぐ。


「タダシ、家督就任おめでとう」


「シリ姉 ありがとう」

タダシは深く青い目を細めて微笑む。


「聞いたわよ。カイ領の争いの時は大活躍したみたいね」

シリはミルクピッチャーに手を伸ばした。


その左手の薬指には指輪が、まだ光っている。


「そんなことないよ」

タダシは、少しだけうつむく。


「兄上はタダシを認めているはずよ。家督を譲ると言うことは、兄上は隠居をするの?」

シリが首を傾げた。


「まさか!父上は隠居をするわけがない。

家督は僕に譲ったけれど、領政は父上が担うだろうね。僕は名前だけの領主だ」

タダシは薄く笑った。


「あなたが領主になったこと、天国のお母様も喜んでいるはずよ。

サトシも成長しているし・・・ミンスタ領は安泰ね」

シリは微笑みながら、テーカップにミルクを入れた。


2歳のサトシは、タダシの長男だ。


「シリ姉、僕はもうすぐ領主になる」

タダシは急に姿勢を正した。


「そう・・・ね」

シリは不思議そうな顔をした。


さっき、家督就任おめでとうと伝えたばかりだ。


「シリ姉、今後、どうしたい?」


「どうしたい・・・?」


「再婚したい?」


「まさか!」

タダシの問いに、シリはすぐ反応した。


「それならば・・・この城にいたい?」

タダシは真剣に質問をした。


「・・・できればいたい」

子供達の成長を見守りたい。


「だったら、ずっとこの城にいて」

タダシは青い瞳を細め、身を乗り出した。


「良いの?」

シリは戸惑う。


ーー自分と子供達を保護する。


それは莫大なお金がかかることであった。


「いいよ。それがシリ姉の願いなら」


辛い経験をした叔母を支えるのなら、領主になった甲斐がある。


「タダシ・・・ありがとう」



「兄上は、どうして私を再婚させないのだろう」

不意にシリがつぶやいた。


未亡人になったシリを、求める領主はたくさんいた。


知名度が高く美しいシリを妻にすれば、ミンスタ領との太いパイプが手に入る。


おまけに娘が3人もいる。


ゼンシの血を引く、娘達を嫁がせることで領は豊かになるのだ。


何十回も縁談の話が、ゼンシの元に届いた。


けれど、ゼンシは一度も首を縦に振らなかったのだ。


気がついたら9年が経過しており、ゼンシの意図は不明だった。


「私は34歳、もう子を成すことはできないわ」


この時代の女性は、14歳で成人とみなされ、20歳までに結婚しないのは行き遅れ。


23歳で年増、25歳になったら大年増と呼ばれていた。


「僕が思うに・・・父上なりにシリ姉のことを大事にしていたと思うよ」

タダシは、自分のティーカップを見つめた。


「シリ姉の気持ちがわかるから・・再婚させなかったんじゃないかな」


「私の気持ち?」

シリの問いにタダシは微笑む。


「シリ姉は、今だにグユウ殿を恋しがっている」

タダシは揶揄うように話した。


「そんなこと・・・」

冗談めかした声に、シリは笑ったが――否定はしなかった。


『シリ』


名前を呼ぶ、あの声がまだ耳に残っている。


夜、寝所に響いた低く、優しい声。


一度触れた手の温もりが、時を経ても胸を締めつける。


ーー忘れることなどできなかった。


忘れたくなかった。


グユウ以外の男の人に口づけをされたり、抱きしめられることを想像するだけで寒気がした。


シリは、自分が生きていたと思えるのは、

グユウと過ごした、わずか5年に過ぎない気がした。


残された子供達と、

グユウを想いながら余生を過ごすことができるのなら・・・幸せだ。


その夜、風は静かに吹き、シュドリー城はいつも通りに時を刻んでいた。


だが、その平穏の中で、シリの心はざわめいていた。


あくる日、シリは子供達と朝食を食べていた。


少し青ざめた顔のエマがシリに耳打ちをした。


「ゼンシ様がお呼びです。1人で部屋に来て欲しいそうです」


「1人で?」

シリの瞳は凍りついた。


ーー今さら、2人で話し合いたいなんて、どんな内容なのだろうか。


「はい」

エマの表情は強張っている。


隣の席に座ったユウは2人の会話が聞こえていた。


けれど、聞こえないふりをした。


「わかったわ」

朝食を途中で止め、立ち上がると、シリのフォークがカチャリと皿に落ちた。


シリは衣装室にある赤い帯を取り出し、棚の奥にある引き出しを開ける。


そこにはナイフが仕舞われていた。


「これでいいわ」

黒のドレスに赤の帯――血と夜を想起させる装い。


「行ってくるわ。皆、きちんと食事をとるのよ」

シリの声は、いつもの自分の声とまるで違っていた。


その瞳は争いにむかう騎士のようだった。


ゼンシの部屋は最上階。

高い天井と閉ざされた空間。


階段を上りながら、シリは深く呼吸をした。


ーー今さら、何を語ろうというのか。


あの男に、過去も未来も語る資格はあるのか。


けれども、向き合わなければならない。


娘たちのために。

自分のために。


扉の前で、一度だけ目を閉じた。


拳を握り、ノックする。


「――入れ」


ゼンシの声が、鉄のように重く響いた。


シリは、もはや逃げ場がないことを悟った。



続きが気になった方はブックマークをお願いします。


次回ーー


母と叔父の会話を盗み聞きするユウとシュリ。

そこで飛び出したのは、思いもよらぬ縁談、そして――

「ユウは、わしの子か?」という言葉だった。


===================

前作のご案内


この物語は、完結済『秘密を抱えた政略結婚』の続編です。

兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。


▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

===================

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ