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結ばれぬ絆に、嫉妬して

◇ ノルド城 シリの部屋


三姉妹たちが部屋に戻った後、シリは机に向かい、静かにペンを走らせていた。


ろうそくの揺れる光が、彼女の頬に影を落とす。


その真剣な横顔に、エマは息をのんだ。


――もう、争いの書き物は終わらせたはず。


それでも、何かを書き続けている。


「・・・シリ様、それは・・・」


思わず声をかけると、シリは視線を上げずに答えた。


「キヨに手紙を書いているのよ」


「手紙・・・ですか?」


エマの声には戸惑いが滲んだ。


直接会って話せばよいはずだ。


キヨならば、きっと何でも受け入れる。


シリの頼みを断ることなどないはずなのに。


――なぜ、わざわざ手紙を?


エマの疑問が表情に出たのを察したのか、シリは穏やかに言葉を続けた。


「・・・考えたくもないけれど、ゴロクがこの城に戻らない可能性もある。

最悪の場合を想定しておかないと」


「・・・それは・・・」


エマの胸に冷たいものが落ちた。


それは本当に、考えたくない未来だった。


「もし、私が・・・死んでしまったときのために。あの子たちのことを、キヨに託したいの」


シリは穏やかな声で言った。


それは、長年仕えてきた者にとって、あまりにも受け入れがたい言葉だった。


けれど。


けれど、もっと胸をざわつかせたのは、シリの表情だった。


どこか、悟ったような、すべてを見通しているような眼差し。


エマには、どうしても引っかかることがあった。


十年前、シリ様はグユウ様と共に殉ずるつもりだった。

好いた人と死にたい、と本気で願っていた。


けれど今――。


お相手はゴロク様。


ゴロク様に向ける目には、静かな信頼こそあれ、あの頃のような情熱はなかった。


それなのに、その口ぶりは、まるで遺言のようだった。


なぜ?

あの頃は想いがあった。

今は何のために?


その答えが、どうしても見えなかった。


エマには見えていない何かを、シリは見ている。


――本当は、何を考えているのですか。


けれどそれを問うことは、許されない気がした。


問いかけたい衝動を押し殺しながら、エマはその横顔を見つめ続けた。


やがて、ろうそくの火がふっと揺れた。


夜は、深く静かに、更けていく。


◇ フィルの生家


「父さん、父さんったら」


フィルが机に突っ伏した父の背中を何度も叩く。


「父さんってば、起きてよ」


フィルがいくら叩いても、父の返事は豪快ないびきだけだった。


「まったく・・・酔っ払いめ」

それでも、どこか嬉しそうに口元を緩めたフィルがいた。


「嬉しいのでしょう。フィルが帰ってきたから」

シュリが静かに微笑む。


「・・・とはいえ、飲みすぎよ」

呆れたように言いながら、フィルはもう一度、父の背を軽く叩いた。


「いいじゃないですか。父親がいるだけで、幸せなことです」

そう言って、シュリはグラスに残った牛乳を一気に飲み干した。


「・・・シュリ。あなたのお父さんは?」

ふと、フィルが問いかけた。


ヨシノが母であることは知っていた。


だが、父の話は一度も聞いたことがない。


「・・・いません。おそらく死んだと思います」

静かに返された言葉に、フィルは息を呑んだ。


「亡くなったの・・・?」


「十年前。あの戦のとき、母はレーク城を離れました。

乳母としての務めを果たすために。父は・・・城に残りました。きっと戦死したのでしょう」

シュリは前をまっすぐ見つめたまま、感情を揺らすことなく言葉を紡いだ。


「・・・母は、夫と共にいるよりも、ユウ様のそばを選んだんです」


フィルは、目の前の青年を見つめ返した。


ーーすべては、姫様のため。


母は夫を捨て、家族はバラバラになった。


「・・・どれだけ、あの姫様の犠牲になれば、気が済むの」


ふと漏れた声に、シュリは即座に答えた。


「そんなふうに思ったことは、一度もありません」


言葉に怒りも嘆きもなかった。


ただ、澄んだ決意だけが宿っていた。


ーーそれほどまでに、姫様は特別なの?


フィルの胸の奥に、言葉にできないもやが広がった。


「・・・これを、シリ様から預かっています」

話を切り替えるように、シュリは鞄から小さな包みを取り出した。


「なに?」

包みを開けかけたフィルの手が止まった。


中には、金貨が数枚入っていた。


「今後の生活の足しにしてほしいとのことです」


さらにシュリは、もう一通の紙を差し出した。


「これは・・・?」


「軟膏の配分表です。これを見て調合すれば、城で作っていた軟膏と同じものが作れるはずです。

販売すれば、しばらく生活に困ることはないと」


手紙と配分表をじっと見つめながら、フィルは何も言えなくなった。


――こんな時でも、きちんと逃げ道を用意してくれる。


聡明な妃シリ。


その彼女が、使用人のシュリに大金と任務を委ねた。


今まで見たこともないほどの大金を着服せずに、

自分に手渡すシュリ。


母、息子共々にユウを守ろうとする強い決意。


嫉妬してしまう。


その深く固い絆に。


なのに、自分はどうだろう。


ただ感情をぶつけることしかできず、二人の絆の深さに割って入ることもできない。


シュリの母が夫よりも姫を選んだように、

シュリもまた、自分ではなく姫を選び続ける。


わかっていた。

最初からわかっていたはずだった。


それでも、胸の奥が、少しだけ痛んだ。



眠りに落ちた父の寝息が、部屋の片隅で続いている。


火の落ちた炉の前で、フィルは毛布にくるまりながらも、ずっと眠れずにいた。


静かな夜だった。


でも、胸の奥はざわざわと波立っていた。


ーーこのままじゃ、いけない。


ふと、隣の部屋で寝ているはずのシュリの気配を感じる。


彼が旅立つのは、夜明け前――。


フィルは、布団の端をぎゅっと握りしめた。


――このままじゃ、いけない。


私も、ただ見ているだけじゃ、何も手に入らない。


あの人が行ってしまう前に、私・・・


フィルは静かに決意をした。





昨日は三連休効果もあってか、たくさんの方に読んでいただけて驚きました。

新しくブックマークしてくださった方も、長く見守ってくださっている方も、本当にありがとうございます。

皆さまのおかげで物語を続けられています。

この連載は最後まで書き上げました。

物語は終わります。安心して読んでください。


予告ーー


夜明け前、眠る彼にそっと唇を重ねた。

それは届かぬ想いだと、わかっていたのに。

「妾だった私」が知った初めての本気の恋。

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