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怖くても、生きる

◇ ノルド城 三姉妹の部屋


三姉妹の部屋には、穏やかな空気が流れていた。


「姉上、今日の夕焼けはとても綺麗ですね」


窓辺に立つウイが、柔らかな声で言う。


ユウは読みかけの本を静かに閉じ、視線を上げた。


「・・・本当ね」


視線の先には、空一面に広がる橙の光。


「わ、腕も顔もオレンジ色だ!」

レイが自分の手を見て笑い、部屋に明るい声が弾ける。


そんな光景を、部屋の隅でシュリが静かに見守っていた。


争いの只中にあっても、こうして訪れる小さな平穏。


そのとき、子供部屋の扉が音もなく開いた。


入ってきたのは、シリとエマ。


三姉妹は一斉に振り返る。

シリの顔に浮かぶ、張りつめた表情。


ユウが息を呑む。


――何かが、起きたのだ。


「座って」


短く告げたその声に、三人はすぐに従った。


シュリはいつものように三姉妹の後方へと動こうとする。


だが、シリの声がそれを制した。


「シュリ。あなたはこちらへ」


彼女が指したのは、少し離れた場所にある、簡素な椅子。


「・・・はい」


シュリは一瞬戸惑ったものの、静かに頷き、指定された席に腰を下ろした。


部屋に、再び静寂が戻る。


そして、嵐の予感だけが、夕焼けの光の中でゆっくりと広がっていた。


「・・・シズル領が、敗れました」


シリの声は静かだった。


低く、しかし揺るぎない響きを持っていた。


「え・・・」


三姉妹が一斉に母を見つめる。


「負けた・・・のですか」


レイがかすれた声でつぶやいた。


ユウとウイは言葉を失い、顔がこわばっていく。


「そうです。あと四日もしないうちに、この城は敵に包囲されるでしょう」


淡々と語るシリの声が、部屋の空気を凍らせた。


「・・・嘘、でしょう・・・」


ウイが涙をにじませ、首を振る。


つい先ほどまで、あんなに夕焼けが綺麗だったのに――


平和な空が、あと数日で戦火に包まれるなんて、信じられなかった。


「これは、事実です。いつでも城を離れられるよう、準備を整えてください」


シリの声は落ち着いていた。


ひとつも取り乱す様子はない。


「母上・・・私たちは・・・この先、どうなるのですか」


ユウの問いかけは、声こそ静かだったが、かすかに震えていた。


その言葉に、初めてシリの顔に影が落ちる。


「あなたたちの命は、守られるでしょう。・・・身柄は、キヨのもとに渡されます」


「嫌!!」


ユウが立ち上がり、叫んだ。


「私は絶対に嫌です!! あの者に身柄を渡されるなんて!」


「姉上・・・!」


ウイが怯えたように目を見開き、レイの手が小さく震える。


「父上とシンを殺し、おばば様を辱めたキヨのもとに・・・行くなんて・・・!」


ユウの声は、怒りと恐怖で震えていた。


その激しさに、部屋の侍女たちはオロオロと動揺し始める。


そのとき、後方にいたシュリが静かに立ち上がり、ユウのそばへ近づいた。


背中にそっと手を添え、耳元で優しく囁く。


「ユウ様・・・落ち着いて」


その手は、言葉なく「大丈夫」と語っていた。


温もりが、ひとつの灯のようにユウを包む。


「今は・・・騒ぐ時ではありません」


シュリの静かな眼差しが、ユウの視線を受け止める。


ユウの呼吸が少しずつ整い、やがて彼女はその場に座り直した。


「ユウ。あなたの気持ちはよくわかるわ。・・・母も、同じです。嫌です」


シリの声は変わらず冷静だった。


「でも、これだけは言えます。キヨは、あなたたちを大切にするでしょう」


「・・・どうしてですか」


レイが尋ねた。


「あなたたちは、キヨが敬愛していた“兄”の姪です。

キヨは兄に忠誠を誓っていた。だから、その血を引くあなたたちに危害は加えません。

母を信じて。・・・そして、逃げる準備をしてほしい」


シリの口調は、諭すように優しくもあった。


ウイは今にも泣き出したかった。


本当なら、自分が取り乱したかったのに。


でも、先にユウが叫んでしまったことで、その機会を奪われた。


けれど、身体の震えは止まらない。


――また、あのときが繰り返されるのか。

城が陥ち、父が死に、幼き自分が何もできなかった、十年前の悪夢。


「母上は・・・どうして、そんなに落ち着いておられるのですか。・・・怖くは、ないのですか」


ウイは、絞り出すような声で訊ねた。


シリは少しだけ目を見開き、すぐに微笑みを浮かべた。


その表情に戸惑いがにじんでいた。


ウイは、その微笑みに耐えきれず、涙をこぼした。


「私は、怖いです・・・。将来、妃になれと言われても・・・そんな振る舞い、私には無理です。

母上のようにはなれません・・・」


――ずっと思っていた。


自分は姫として生きてきたけれど、母のように妃にはなれないと。


どんなときでも冷静で、周囲に指示を出し、すべてを背負ってなお立っている。


そんな人になど、なれるはずがなかった。


こんなときは、布団に潜り込んで泣きたかった。


それが、本音だった。


「私も・・・怖くて仕方がないのですよ」


静かな声で、シリが打ち明けた。


その一言に、三姉妹の顔が驚きに染まる。


そんな彼女たちの表情を見て、シリはそっと微笑んだ。


「この城が滅びるかもしれない。

ゴロクや、忠義深い家臣たちが命を落とすかもしれない・・・。

その前に、そもそも彼が無事に帰ってこられるかすら、わからないのです」


「・・・はい・・・」

ウイが、絞り出すように応じた。


「・・・でも、母上は・・・そんなふうに見えません」

ウイが、おずおずと口を開いた。


「当然でしょう?」

シリはやわらかく笑った。けれど、その笑みはどこか引きつっていた。


「妃が怯えていては、誰がこの城を支えるの?

・・・ここは、意地でも踏ん張るときなのよ」


「でも、どうして・・・」

レイが、こみ上げる感情を押さえきれず声を上げた。


「どうして母上は、そんなふうに振る舞えるのですか」


シリは小さくため息をつくと、ぽつりとつぶやいた。


「・・・兄は、憎らしいほど強くて、恐ろしい人だった。あなた達も覚えているでしょう?」

シリの問いに、レイが黙って頷いた。


「何度も危機に立たされながら、兄は決して崩れなかった。

いつだって、どんな絶望の中でも、毅然と、堂々と立っていた。

・・・私は、その背中を見てきたの。

モノマネでもいいから、危機のときほど、強い妃のように振る舞おうと、そう決めたのよ」


「けれど――」


シリはふと、声を落とした。


「本当は、怖いわ」


小さく笑ったその顔は、どこか少女のようでもあった。


「死ぬことじゃないの。・・・今の暮らしが壊れてしまうのが怖い。

あなたたちと、笑って話して、同じ空を見ていられる・・・そんな日常が、消えてしまうのが、怖いの」


その声には、わずかに震えがあった。


「母上・・・」


ウイの瞳に、再び涙があふれた。


「でも、あなたたちも、きっとできる。妃になれば、できるようになる。

だって――私と、兄の血が流れているのだから」


シリは、三人をまっすぐに見つめて言った。


「・・・はい」


ユウ、ウイ、レイ。

三人は静かに、けれど力を込めて、声を揃えた。


「では、準備を進めて。・・・それと、シュリ」


「ひとつ、お願いがあるの」


シリは、ユウの隣に寄り添うシュリへと視線を移す。


「私に・・・ですか」


シュリは戸惑いながらも前に出た。


「そうよ。あなたたちの前でこそ、頼みたいのです」


その続きを、シリはゆっくりと言葉にした――。




今回の話のタイトル「怖くても、生きる」は、まさにシリの言葉と、娘たちに託した願いをそのまま表しています。

怖さを隠して、毅然とふるまう母。弱さを口にしつつも、それでも歩もうとする娘たち。

雨日自身もこの話を書きながら、怖くても前に進む勇気をもらったような気がします。


ブックマークありがとうございます。

とても、励みになります。


次回ーー本日の20時20分


シリから託された密命は、城の運命を揺るがすものだった。

ユウの心は乱れ、シュリの覚悟は揺らがない。

そして――その一部始終を、レイは見張り部屋の闇で見つめていた。

禁じられた想いが、静かに動き出そうとしていた。


「報われない想いを誰よりも知っている」



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