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母の微笑み、夜の疑念

午後の薄曇りの空。遠くで鳥が騒ぐ。


仮設の軍幕の脇、ジャックが息子フレッドとその隣にいたリオウに話しかける。


「お前たちに話がある」

ジャックの声には躊躇いがあった。


「・・・信じがたいことだが・・・ノアが出陣しなかった」


フレッドとリオウは息を呑んだ。


「どういうことですか」

先に口を開いたのはリオウだった。顔に驚きはあるが、声色は冷静だ。


「出陣要請に応じず、砦に籠ったままだ。・・・キヨの使者が来ていたらしい」

ジャックの語気は荒い。


「一歩も動かない。ゴロク様に背を向けたようなもんだ!」

沈黙ののち、フレッドが低く呟いた。


「・・・裏切りってことか?」


ジャックが苦々しく顔を歪める。


「そんな奴じゃないと思っていた・・・のにな」

ジャックが吐き捨てるように言った。


二人は何も言えずに黙った。


大事な重臣の一人が裏切った。


守備の要、ノアの不在は痛い。


「・・・やるしかない」

ジャックは剣を強く握る。


「父上、俺ら、若手もがんばります」

フレッドがそう言って、軽く片手を上げた。


「その分、働かなくちゃな、リオウ?」

その言葉にリオウは静かに頷いた。


「・・・やれやれだ」

ジャックがため息をついた。


その場に、風が吹いた。



夜、陣の灯がゆらめいていた。

武具の手入れも終わり、家臣たちがそれぞれの場所で静けさに身を委ねている頃。


マナトは、帳の隙間からそっと声をかけた。


「ゴロク様・・・少し、よろしいでしょうか」


ゴロクは地図に目を落としたまま、無言で頷いた。


マナトは静かに歩を進め、火の灯る卓に腰を下ろす。


「ノア殿のことです」


ゴロクの指が、地図の上で止まった。


「・・・あの方は、最後まで迷っておられたはずです。

忠義か、友情か。どちらにも手を伸ばせなかっただけだと、私は思うのです」


「・・・選ばなかった者を、どう評価する?」


「・・・それを、私たちが決めて良いのでしょうか」


マナトは火に照らされた己の掌を見つめた。


「私にはわかります。ノア殿の揺れは、他人事ではありません。

あの場にいたら、私もまた・・・同じように震えたでしょう」


ゴロクは何も言わず、ただ耳を傾けていた。


「けれど・・・それでも、私は今日、剣を持ちました。

だからこそ、ノア殿の“選ばなかったこと”が、痛いほど分かるのです」


「痛いほど・・・、か」


ゴロクの声が、かすかに揺れた。


「裏切りではない。けれど、戦には、穴が空いた。埋めねばならない」


「はい。その責は私が負います」


「お前が、か?」


マナトは真っ直ぐにゴロクを見た。


「・・・ノア殿の不在を、悔いるだけでは何も進まない。

それが、あの方の願った“動かぬこと”の意味だと、私は受け取りたい」


ゴロクの眼差しが、ほんの少しだけ和らぐ。


「・・・お前は、いい重臣になったな」


「ありがたいお言葉です」


マナトの目に、迷いはなかった。


そしてゴロクは静かに頷く。


「ならば、ともに前に出よう。背中は、預ける」


「はい。必ず、支えます」


二人の影が、火灯に映えて揺れていた。

その影は、一人分の欠けを、ゆっくりと埋めようとしていた。


◇ノルド城 シリの決断


「これから、子どもたちと夕食を取ります」


シリの言葉に、エマは驚きの声を漏らした。


ノアが離反した――。


ただでさえ混乱の最中、対処すべき報告や指示は山積みだった。


かつてのシリであれば、妃としての職務を最優先にし、母としての時間は後回しにしていた。


だからこそ、エマは言葉を失った。


その顔を見て、シリは肩をすくめてみせる。


「もうこんな時間よ。先の見えないことを思い悩むより、子どもたちとの時間を大切にしたいの」


その言葉は、どこか言い訳のようでもあった。


――まるで、まるで姫様たちとの時間を惜しむかのよう。


エマの胸にざわりと不安が芽生えた。


シリは背筋を伸ばして、まっすぐ子ども部屋へ向かう。


「戦況については・・・まだ、あの子たちには伝えないで」


石畳の廊下を歩きながら、シリがぽつりと呟いた。


「はい」


「少し整理してから話すわ。私の言葉で、きちんと」


「・・・そうですね」


エマは静かにうなずいたが、その胸中には言葉にならない思いが渦巻いていた。


――シリ様、何を考えていらっしゃるの?


夕食の時間は、穏やかで和やかなものだった。


「母上と一緒に食べられるなんて、夢みたい!」


ウイが弾んだ声で椅子に滑り込む。


「ゴロクが留守の間だけね」


シリが微笑むと、


「じゃあ、ずっと留守の方がいいな」


レイがうっかり本音をこぼしてしまう。


それほどまでに、母と共に囲む夕餉は、姉妹にとって特別な時間だった。


「レイったら」


シリはやわらかく微笑む。


その笑顔を、ユウはじっと見つめていた。


――おかしい。何かが。


グラスを指でなぞりながら、ユウの目は笑っていなかった。


食後、ユウは中庭の回廊でシュリを呼び出した。


「・・・妙よ」


夜風に金髪をなびかせながら、ユウがぽつりとこぼす。


「何が、ですか?」


「母上のことよ。・・・あんなふうに笑ったり、穏やかに話すのは、変」


「でも・・・私には、嬉しそうにしか見えませんでした」


シュリは首を傾げながら答える。


ユウは返事をしなかった。


ただ、夜空を見上げる。


「あの笑顔・・・本心じゃない。何かを押し隠してるわ」


ユウはつぶやいた。


星のない夜空が、不安を映すように深く沈んでいた。


次回ーー


愛する夫から贈られたドレスに、シリは自らハサミを入れた。

その夜、ゴロクの陣には黒雲のような敵軍が押し寄せる。

裏切りと敗北の影が忍び寄り、すべてが崩れ落ちようとしていた。

――それでも、誰もが最後まで信じたものがあった。


「この夜、母は秘密を縫い始めた」


⚫︎お知らせ

小説とは別に、執筆のことや日々の気づきを綴ったエッセイも書いています。

創作の裏側や、続ける苦しさと楽しさなどを素直にまとめています。


『小説を書かずに旅行に行く?』(雨日のエッセイ)

https://book1.adouzi.eu.org/N2523KL/


気軽に読める内容なので、休憩のお供にどうぞ。



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