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かつて仕えたひとへ、それでも私は、妃として

◇ワスト領 元家臣 カツイの家


「久しぶりだな。さあ、入ってくれ」

玄関の扉を開けたカツイが、懐かしそうな笑顔で迎え入れる。


「邪魔する」

サムが気安く答えながら室内に足を踏み入れた。


続いてロイ、チャーリーも続く。


この四人は、かつてシリがワスト領の妃だった頃に、忠義を尽くしていた家臣たちだ。


今やレーク城は滅び、彼らの主君も変わった。


現在は皆、ワスト領のキヨに仕えている。


食堂に入ると、カツイの息子、オリバーが座っていた。


立ち上がろうとする彼を見て、サムが手をひらひらと振った。


「オリバー、ここでは無礼講だ。楽にしろ」


カツイは二年前に家臣を辞め、今は隠居の身だ。


「明日から戦だろ。せめて今夜は、精のつくもんでも食べてくれ」


そう言って、食卓にチキンパイが運ばれる。


「おっ、チキンパイか」


ロイが目を細めると、カツイが少し照れたように笑った。


「昔、シリ様と一緒にムクドリを撃ってな。夕食に皆でこのパイを食べたのを思い出してさ」


パイを切り分けながら語るその声に、あの頃の情景が蘇る。


「オリバー、覚えてるか? シリ様のことを」


「もちろんです。忘れたことなんてありません」


14歳のとき、城が落ちるのを見た。


泣き崩れるシリ。

泣き叫ぶウイを必死に抱きしめたあの日のことは、昨日のことのように胸に残っている。


パイを口に運び、ロイがしんみりと呟く。


「懐かしいな。味まで、あの時のままだ」


「グユウ様も、シリ様も・・・皆で食べたよな」

チャーリーもゆっくり頷く。


「まさか、シリ様を相手に戦う日が来るとはな・・・」


ナイフとフォークを置いたサムの言葉に、重い空気が流れる。


「・・・ああ」


チャーリーが目を伏せた。


「サム、本当に行くんだな」


掠れた声でカツイが問いかける。


「・・・行くさ。俺たちはもう、キヨ様に仕える身だからな」


ロイが代わりに答える。


どこか、言い訳のように聞こえた。


「それに・・・オリバーだって今じゃ立派な重臣だろ?」


「はい・・・でも」


オリバーは小さく頷き、どこか困ったように笑う。


「父が、うるさいんですよ。“シリ様を射るな”って・・・」


笑いながらも、その目には迷いと葛藤が浮かんでいた。


「・・・わかっているよ。俺は甘い。だから、早々に家臣を辞したんだ」


カツイがワインのグラスを指先で揺らしながら、かすれた声で呟いた。


「・・・気持ちはわかるさ」


ロイがそう答え、黙ってワインを口にした。


「でも・・・どうか、頼む」


カツイは静かに、けれど切実に頭を下げた。


「シリ様を・・・撃つような真似だけは、しないでくれ」


その声は、今にも涙が零れ落ちそうだった。


「女性は・・・命までは奪われないはずだ」


サムが咳払いをしながら言う。


その声音に、無理やり自分を納得させる気配が滲んでいた。


「・・・わかってる。わかっては、いるんだ・・・」


カツイの声は震え、喉の奥に何かが詰まったようになった。



「だけど・・・シリ様は、命を惜しむような方じゃない。

その眼差しは、時に男よりも冷たく、まっすぐで。

あの方は、たぶん――その道を、選ばないような気がしてならないんだ」


最後に見たシリの横顔。

凛として、決して後ろを振り返らぬ者の気配。


その面影を思い出し、カツイは目を伏せた。


沈黙の中で、サムがゆっくりと背筋を伸ばす。


「・・・カツイ。お前の言葉、しかと受け取った」


深く一息ついた後、サムは真っ直ぐ前を見据えて言った。


「可能な限り、俺は・・・シリ様を守る。命を賭けてでも。

たとえ、敵同士になろうとも」


ロイがグラスを置き、チャーリーが静かに頷いた。

オリバーはただ、拳を握りしめていた。


部屋に流れるのは、あの妃に仕えた日々の記憶と、これからの戦の重さ。


けれどその夜だけは、誰もが胸の奥に灯る、忘れえぬ忠義を抱いていた。



◇シズル領 ノルド城


夜風が、まだ冷たい春の空気を運んでいた。

出陣前の最後の夜、ゴロクはシリの部屋に訪れた。


ゴロクは、静かに外を眺めていた。


戦いの支度はすでに整っている。

ただ、目の前の戦に心を定めかねていた。


その様子をシリは、そっと見つめる。


「いよいよ、出陣ですね」


「うむ」


それきり、言葉が続かない。


シリはゴロクの傍に近づき、窓の外を見た。

星がいくつか、ちらほらと浮かんでいた。


「家臣たちも緊張しているでしょう」

シリが呟くと、ゴロクは目を伏せた。


「勝たねば・・・この争い、勝たねば」


その後、立ち上がって前を見る。


「ゼンシ様のために。あの方が築いた世が、闇に呑まれぬように」


ゴロクは、シリの横顔を見つめた。


「シリ様・・・私のそばにいて、辛くはないか?」


「辛い?」


「嫁いで半年もしないうちに争いだ。争いに巻き込んでしまい・・・申し訳ない」


「もちろん・・・争いがない方が良いわ」

シリが呟く。


「けれど、それ以上に・・・誇らしいのです」


「誇らしい・・・?」


「ゴロク、あなたは楽な道ではなく・・・正しい道を歩もうとしている。

どんな結末が待っていても、ゴロクが選んだ道を共に歩むことを・・・私は後悔しません」


シリは、そっと自分の手元を見つめた。

ゴロクが、シリの手を握ったからだ。


その手は、大きく、武骨で、どこか震えていた。


「・・・勝てぬかもしれない」


「それでも、出陣するのですね」


「あぁ。領主とは、そういうものだ」


シリはにこりと微笑んだ。


「では、私も、領主の妻、妃でございます」


――かつて仕えた者たちと、刃を交えることになっても。

それでも私は、妃として、この地に立つ。


二人の間に、言葉はもう必要なかった。


春の夜の空気は、どこまでも澄んでいて、

やがてくる戦火の運命を、静かに照らしていた。


その運命に、シリもまた立ち会う覚悟をしていた。


かつて自分を守った者たちと、今は剣を交えることになる。


それでも、前を向いて歩かねばならない。


この地を守るために。


娘たちの未来のために。




次回ーー本日の20時20分


薄明のノルド城。

ゴロクは眠るシリを見つめながら「この命を賭けてでも守りたい」と誓う。

出陣前、三姉妹と交わされた最後の言葉は、母として、父としての深い祈りに満ちていた。


やがて軍旗が翻り、戦へ向かう列が城門を出る。

残された女たちは涙を見せず、ただ祈るようにその背を見送った――。


「別れの朝、涙を見せずに」


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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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