好きだと伝えた日
その頃――ノルド城の中庭で、ユウはひとり、葉を落としたバラのアーチの下に立っていた。
冬の名残の風が、髪を揺らしていく。
フレッドが指定した場所は中庭のバラのアーチの下。
秋にノルド城をきた時は、一面に赤い花を散らしていた。
今、その枝には花も葉もない。
けれど、赤い棘の部分が少しずつ赤くなってきている。
ーー春が近づいているのね。
夕暮れの光が、石畳を淡く染めている。
戦の支度が着々と進むなかで、こうして立ち止まっている自分が、少しだけ場違いに思えた。
ーー風が冷たい。
肩を抱くようにして、ユウはひとつ息をついた。
と、そのとき。後ろからそっと、温かい腕が彼女を包んだ。
「・・・!」
声をあげる間もなく、背後からのそのぬくもりに、身体がこわばる。
「・・・ごめん。驚かせたね」
フレッドだった。
けれど、いつもの陽気さはそこになく、緊張でかすれた声だった。
「どうして・・・」
「もうすぐ、出陣する前に・・・どうしても、話したくて」
抱きしめる腕の強さに、ユウは戸惑う。
ーーフレッドの気持ちは知っている。
けれど、それに応える気持ちは――まだ、自分にはない。
嫌いではない。
でも、「すき」とも違う。
そんな曖昧な想いを言葉にできないまま、彼の胸の中で黙った。
フレッドは、ユウの背中に額をそっと寄せた。
その瞳は、普段の快活な光とはまるで違っていた。
自信に満ちた青年の顔ではない。
まるで、遠い岸にいる誰かに手を伸ばそうとする、孤独な少年のような顔だった。
「・・・ユウ様が、誰かを想っているのは知っています」
ぽつりと落ちた言葉に、ユウは眉をひそめる。
ーー気づいているの?
「・・・なぜ」
思わず声が出る。
「ユウ様を見ていたから・・・わかる。俺には敵わない絆だ」
フレッドの声に浮かんでいたのは、怒りや嫉妬はなかった。
それは――願っても届かないと知りながらも、差し出さずにはいられない者の、切実な声の響きだった。
「でも・・・それでもいいんです。たとえ、一瞬でも、ユウ様が俺を見てくれたなら」
その腕に、ほんのわずかに力がこもった。
まるで、二度と離したくないとでも言うように。
フレッドは、ユウを腕に閉じ込めながら耳元で囁いた。
「俺は・・・ユウ様が好きだ」
彼女の髪から甘い香りが立ち上る。
その言葉を聞いて、ユウの身体は硬くなる。
その感触を、フレッドは感じながら目を瞑る。
「気が強いところも・・・勝気なところも、弱音を吐かないところも・・・好きです」
ユウの首筋から耳までが赤くなっている。
「・・・こんな風に誰かを想うのは、初めてなんだ」
苦しそうにフレッドは言葉を吐く。
「・・・それが、戦の前にどうしても伝えたかったことです」
名残惜しそうに、ゆっくりと身体を離した。
「・・・突然、ごめん」
フレッドは自分のしたことが、今になって恥ずかしくなり顔が赤くなる。
「・・・ご武運を」
ユウは目を伏せて話す。
その長いまつ毛が頬に影を差した時、フレッドは愛おしさが込み上げた。
そっとユウの顔を両手で挟み、その美しく、人を惹きつける青い瞳を見つめる。
「ユウ様も・・・お気をつけて」
静かに優しく言った。
ーー結局、このような娘たちがいる領を守るために戦うのは辛くない。
「それでは・・・」
フレッドが静かに頭を下げた。
フレッドが背中を向けた瞬間、
「あの・・・」
ユウが声をかけた。
フレッドが振り返ると、ユウが顔を赤らめ話す。
「・・・戻ってきたら・・・海が見たいわ」
それは、つい2ヶ月前にした約束。
春になったら、馬車を走らせてユウに海を見せるとフレッドは約束した。
「もちろんです」
フレッドは、例の晴れやかな笑顔で返した。
「一緒に行きましょう。ーーシュリも一緒に」
フレッドは少し離れた場所で待機しているシュリをチラッと見た。
「シュリ、大目に見てくれてありがとうな。これで心置きなく戦える」
いつもの口調でシュリに話す。
シュリは戸惑いながら頷いた。
ーーフレッドがユウに抱きついた時、止めるべきか悩んだ。
ユウの護衛がシュリの役目だったからだ。
けれど、もうすぐ戦地にむかうフレッドに過ぎた振る舞いを止める気ができなかった。
それでも、あの腕の中で、ユウが顔を赤らめた事が、シュリの胸の奥を、ひどく締めつけた。
「約束ですよ」
ユウは少し顎を上げて話す。
ーーその気の強さ、好きだ。
そう思いながら、フレッドは笑う。
「もちろんです」
遠ざかるフレッドの背中を見つめながら、ユウは気持ちを落ち着かせようと深呼吸をした。
背中には、フレッドの温もりがまだ残っているような気がした。
◇
ノルド城・南棟の塔より――
シリは、ひとりその窓辺に佇んでいた。
夕陽が沈む石畳の中庭。
小さな人影が抱き合い、そして離れていくのが見える。
「もう・・・そんな年頃なのね」
誰に言うでもなく、そうつぶやいた。
彼女の目には、ユウの赤くなった横顔も、フレッドの背筋の伸びた歩き方も、すべてが映っていた。
「あの子、どうするのかしら」
エマが後ろから静かに近づいた。
「シリ様、そろそろ夕食の時間です」
「ええ。ありがとう」
シリは目を伏せて答えた。
その横顔に、わずかに陰がさす。
娘たちが、どんどん成長していく。
それは嬉しいことでもあり、どこか、寂しいことでもある。
もう、あの抱き上げたり、頬をすりつけた娘は、いない。
娘たちが愛に揺れ、誰かに抱きしめられるたび、
自分の手から、ひとつずつ運命が離れていくような気がしていた。
たとえ心が追いつかなくても、手放さなければならない。
わたしが背負ってきたもの、すべて。
――全ては、妃になるために選んだ道だったのだから。
「グユウさん・・・娘たちは結婚をするような年齢になりましたよ」
亡き夫に語りかけるように、そっとつぶやいた。
次回ーー
いよいよ明日は出陣――。
胸をざわつかせるシリ、秘密を抱えたノア、想いを託すウイ。
そして、リオウは出陣前夜にユウとの面会を願い出る――。
「渡せた。それだけで」
===================
この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
================




