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出陣直前、幸運を引き寄せた男の静かな笑み

そのころ、ノルド城から離れたワスト領では――


キヨのもとに、新たな報告が届いていた。


「・・・なるほど。あの砦を守るのは、ノアか」


報告を終えたスパイが頭を下げると、キヨは静かに指を組んだ。


目の前の紅茶はもう冷えていたが、

彼はそれに口をつけることもなく、じっと考え込んでいる。


かすかに唇の端が、にやりと上がった。


「どうやら・・・運は我々にある」


それは隣にいるエルに対して話した言葉ではない。


だが、何かを“確信した者”の声色だった。


だが、素直で、真っ直ぐで――何より、恩義に厚い。


あのノアが砦に配置されたということは、

シズル領には「揺さぶれば動く」駒が、すでに置かれているということだ。


「これ以上の好機があるか?」


椅子に深く背を預けると、キヨは久々に――心の底から笑った。


「・・・ノアからの手紙の返事はまだか?」


キヨはエルに尋ねた。


「兄者、ノアは、まだシズル領の重臣です。これ以上は――」


「エル」


声が低く、しかし明瞭に返る。


「わしにとって、ノアはただの戦士じゃない。

戦友だ。あの頃・・・槍一本で命を張っとった時代、誰がわしの隣におったと思う?」


エルは口をつぐんだ。


「・・・ノア、わしはな、お前を信じている」


そう呟きながら、新しい羊皮紙を引き寄せる。


キヨは一文字ずつ、心を刻むように書き始めた。


『ノアーー

お前を責める気はない。

ただ、わしは、お前が“義”を知る男であると信じておる。


ゴロク殿の意地、立派よ。

だが、この戦は、民を巻き、国を二つに割る。

ノアが一歩、わしに近づくだけで、流れは変わる。

ノアにしかできぬことがあるのだ。


義に生きよ。ノア。

それが、わしらの信じてきた道ではなかったか。――キヨ』


書き終えた手紙を封じ、蝋を落とし、家紋の印を押す。


「エル、ひとり紹介したい男がいる」


キヨは呼吸して、気持ちを整える。


いつもの陽気な調子でそう切り出すと、背後に控える若者に目配せをした。



後に三姉妹の運命を大きく左右する青年が、このときエルの前に現れた。


「イーライ・ショウ。まだ若いが、肚の据わりようはなかなかのものだ」


キヨの言葉に、エルはわずかに眉を動かした。


ーー兄が、こうまであっさりと人を推すのは珍しい。


イーライは静かに前へ出た。


年は十七、八か――まだ年若い。


細身の体つきはどこか儚げだが、その眼光は、逆に見る者の内面を射抜くようだった。


まっすぐで淡い茶色の髪の毛、眉は凛と細く切れ上がっている。


まっすぐに伸びた鼻梁と、形のよい唇。


その口元は、何かを言いたげに時折わずかに揺れ、だがその声は常に冷静だった。


その目――黒曜石を磨いたように鋭く、よく通る。



その視線が、たとえ無言でも周囲の空気を引き締めた。

知を重んじる者の眼差しだった。


控え目な仕立ての洋服は、決して無駄な装飾はない。


立ち姿は一分の隙もなく、折り目正しい。


「エル様、お噂はかねがね」

イーライは深々と頭を下げた。



その声音は穏やかで、だが芯に冷たく鋭い響きを秘めていた。


「イーライ、どこで兄者と知り合った?」


エルが尋ねると、イーライはわずかに口元を緩め、静かに答えた。


「初めてキヨ様にに声をかけられたのは、城下町のギルドホールです」


「ギルドホール?」

エルが首を傾げた。


ギルドホールーー商人たちの集会所であり、同時に文書や記録を扱う“知の場”でもある。


ーーということは、この青年は武家のものではない?領民?


「はい。私の家はセン家に仕えた家臣の家です」


「なら・・・なぜ、ギルドホールに?」

エルは首を傾げる。


「私は三男ですから」

イーライは静かに話した。


その言葉にエルは納得した。


この時代、長男、そして次男は大事にされた。


けれど、三男以降の男の子は家を継がぬ身。


よほど、裕福な家の出身ではない限り、学びの道や他の道を進むしか選択肢はない。


「イーライは、城下町で噂になっていた。頭が切れると」

キヨが誇らしげに話す。


「書状の束を抱えて、文庫の整理をしていたんです。

そこにキヨ様が一人、陽気に口笛を吹きながら私の元に来られたのです」


『お前、目が面白いな』

それが、最初の言葉だったという。


「意味がわからず、黙って見つめ返しました。すると、キヨ様は笑ったんです」


『何も喋らずとも、全てを見抜いてしまいそうな目だな。そんな目をしたやつは、だいたい賢い。名前は?』


「イーライ・ショウ、三男です」


そのとき、キヨはふっと笑った。


何かを確信したような、挑むような――不思議な笑みだった。


『三男坊か。ええのう。そういう奴が、化けるもんよ』


「そして、私の腕を掴んで、こう言いました。『うちに来い。小賢しいのは大歓迎だ』と」


エルは、イーライとキヨの会話を聞きながら、何かを感じていた。


ーーたとえ血筋で道が決まろうと、才覚は、心は、誰にも縛れない。


兄の心を掴む、何かがこの青年にあるのだろう。


「・・・それから、キヨ様にお仕えすることになりました」


言葉少なに、だが確かに――イーライの声音には、敬意と、ほんの少しの温もりが滲んでいた。


一瞬、場の空気が和らぐ。


「どうして・・・兄者に?」


エルが尋ねると、イーライは涼やかな目元を緩ませた。


「何かを感じたのです。キヨ様は・・・いずれすごい方になる・・・と。

自分の存在が、キヨ様の力になれば・・・と」


「ほぉう・・・」


エルの目が、わずかに細められた。


ーーこの青年は、ただの男ではない。


言葉の節々に、徹底した観察と覚悟がにじむ。


「へっへっへ、どうだ、エル?ええ目をしているだろ。

この子の才は、きっと役に立つ。いや、きっと、わしの次を担う男になるやもしれん」


冗談とも本気ともつかぬキヨの声に、イーライは眉ひとつ動かさなかった。


ただ静かにキヨの横顔を見つめる。


その目には、忠義とも、野望ともつかぬ深い光があった。


「なるほど・・・面白い子飼いを得られましたな、兄者」


エルは静かに笑みを浮かべた。


ーーそれでも、すべてを任せきるほどの信頼ではない。


だが、この青年には何かある


「キヨ様・・・差し出がましいお言葉ですが、ノア様へのお手紙は・・・

短い方がよろしいかと」


「短い方が良い?」

キヨは目を細める。


イーライは頭を少し下げたまま話す。


「お逢いしたことはありませんが、ノア様は心優しきお方だと思います。

そういう方には何通も手紙を出して、心を揺らすのです」


「何通も?」


「はい。その度にノア様はキヨ様のことを思い出すはずです。

1日に三通出してみてはいかがでしょうか?」


「なんと!三通とは!」

さすがのキヨも口を開けた。


「文面は短くて良いのです。接触を増やして、ノア様を揺さぶりましょう」


聞いていたエルは圧倒された。


ーーこの青年は一体・・・。


「良いだろう。やってみるか」

キヨは再び羊皮紙に向かう。


「はっ」


「使者の手配を私の方がしておきます」


イーライ・ショウ――この青年が、後に三姉妹の運命を大きく揺るがすことになるとは、まだ誰も知らなかった。



その頃――ノルド城の中庭では、

沈みかけた夕陽が、石畳を赤く染めていた。


日中の喧騒が過ぎ、兵たちの訓練も一段落し、

辺りには一時の静けさが漂っている。


その中を、ゆっくりと歩く二つの影。

薄桃の上着をまとい、裾を揺らしながら進むのは、ユウだった。


その後ろにシュリが控えている。


フレッドとの約束の時刻まで、あとわずか。


次回ーー本日の20時20分


そのころ――ノルド城の中庭で、フレッドはユウを抱きしめ、想いを告げていた。

背後で見守るシュリの胸にも、複雑な痛みが走る。

塔の窓辺から見つめるシリは、娘の成長と別れを静かに受け止めていた――。


「好きだと告げた日」


このお話の前の話。

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寡黙で不器用なグユウと勝気な姫 シリが本当の夫婦になるストーリー


秘密を抱えた政略結婚 〜兄に逆らえず嫁いだ私と、無愛想な夫の城で始まる物語〜


▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

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