ーーずるい人 震える声の、その先へ
出陣は四日後に迫った。
城内の誰もが準備に追われていた。妾たちも三姉妹も大広間に集まり、兵糧用の食材を梱包していた。
袋に詰める乾パン、乾燥させた野菜や干し肉。
目の前の作業は単調で、誰もが口数少なに手を動かしている。
だが、部屋の空気は、刺すような緊張に包まれていた。
「あと二十袋分、こちらに詰めてください」
プリシアの声が張りを持って響いた。
普段は気まぐれな妾たちも、この日ばかりは皆、真剣だった。
ユウは黙って干し野菜を一握り、袋へ落とす。
その隣では、レイが黙々と乾パンの袋を結び、ウイは手元を震わせながらも作業を続けていた。
「戦に行く者の腹を、少しでも満たさねば・・・」
ドーラがぽつりと呟いた言葉に、誰もが一瞬だけ手を止めた。
◇
大広間の半分には、争いに必要な荷が山と積まれていた。
干し肉や乾燥野菜、軟膏、矢や布地、火薬――。
それらを分類し、運び込む作業が黙々と進められていた。
荷運びの一角では、重臣ハンスが声を飛ばしていた。
若き兵たちは彼の指示のもと、汗を滲ませながら働いている。
その中で、ひときわ目立つ存在があった。
「フレッド様、こちらの荷はどこへ?」
「この列の奥、武具の横へ。混ざらないように気をつけて」
次世代の筆頭重臣候補と目されるフレッドが、中心で采配を振るっていた。
的確な指示に加え、重そうに荷を抱える少年兵の荷を、さりげなく引き受ける姿も見られる。
「・・・あの人、本当に明るいね」
作業を手伝っていたレイが、ぽつりと呟いた。
「そうね」
ユウは干し野菜を袋に詰めながら、淡々と答える。
そのとき、フレッドがこちらに向かって歩み寄ってきた。
髪をかきあげ、太陽のような笑顔を浮かべて。
「姫様方、あとで厨房に行って、甘い菓子でも持ってこようか?」
「・・・いえ、大丈夫です」
ユウは一度視線を伏せ、それから小さく答えた。
「姉上、前は明るい人が苦手って言っていたけど・・・今はどう?」
レイが小声で尋ねる。
「・・・前より、嫌いじゃない」
その答えに、レイは目を丸くした。
「明るさって、必要なのね」
ユウはぼそりと呟いた。
張り詰めた空気の中で、フレッドの笑顔は確かに周囲を和らげていた。
憂鬱になりがちな今だからこそ――その存在が心にしみる。
◇
ノアは大広間の隅で、梱包作業に集中しているふりをしながら、遠くの様子を伺っていた。
太陽のように明るいフレッドが、少年兵たちに笑顔で声をかけている。
その横には、無表情を装いながらも、気丈に応えているユウと、
それを支えるように寄り添うシュリの姿があった。
ーーまぶしいな。
思わず、そう心の中でつぶやいた。
重臣たちの序列は明確に定まっていた。
序列は、家柄(血筋)+忠誠心+軍功で決まる。
フレッド、そして父親ジャックは、代々ゴロクに仕えた名門の家柄だった。
一方、同じ重臣のマナトは、ワスト領の出なので、
重臣といえども、地位は最下位だった。
フレッドはまぎれもなく、次世代の筆頭に立つ人物で、
ユウと結婚したら、領内の結束は確実に高まる。
ーーそういう光が当たる人物よりも・・・
ノアは、そっと傍で働くシュリを見つめた。
ーー俺はああいう若者が好きだ。
黙々と直向きに作業に励む若者。
能力はあるが地位はない。
そういう彼を応援するのは、過去の自分と重なるから。
重臣の家柄として、ノアは物心ついたときから「正しく振る舞え」「冷静であれ」と言われてきた。
けれど実際の自分は、不器用で、うまく言葉にできず、人の心に届かない。
若い頃、何度も失敗を繰り返してきた。
それでも——
あの時、ゴロク様だけは、誰よりも厳しい目を向けながら、誰よりも深く理解してくれた。
『ノアは優秀な若者だ』
そう言って、自分をかばってくれた。
あの言葉が、どれほど嬉しかったか。
どれほど、救われたか。
だからこそ今、キヨに手を貸そうとしている自分を、心の底から恥ずかしく思ってしまう。
キヨの差し出す見返りは、地位か、恩赦か、はたまた何か別の報酬か。
けれど、それを思い浮かべても、胸の奥の痛みは消えなかった。
ーーゴロク様を裏切ってまで、私が得たいものは・・・一体何なのだろう。
胸の奥が、じくじくと痛んだ。
◇
黙々と干し野菜を詰めていたユウのもとへ、フレッドが静かに近づいてきた。
「ユウ様、少し、よろしいでしょうか」
その声は明るさを潜め、真剣そのものだった。
「・・・どうしたの?」
ユウはわずかに戸惑いながら、顔を上げた。
二人の様子に気づいたシュリは、手を止めて静かにユウの背後につく。
「少年兵たちに、激励の言葉をかけてほしいんです」
フレッドが声を潜めて、ちらりと大広間の端を見やった。
そこには、13歳から15歳ほどの少年兵たちが、荷を運びながらも落ち着かない眼差しをしていた。
気を張ってはいるが、緊張が肌から滲み出ている。
「・・・激励?」
「そうです。今回の争いには、彼らも連れていきます。
初陣ですから、当然といえば当然ですが・・・やはり弱腰で」
「そうでしょうね・・・」
「だからこそ、ユウ様からの言葉が欲しい」
ユウは目を伏せる。
「・・・でも、私が言わなくても、ゴロク様がなさるのでは?」
その言葉に、フレッドは大きくため息をついた。
「ユウ様は、男心というものをわかっていない」
言いながら、フレッドは手を差し出した。
「・・・え?」
「来てください。彼らの前に、ユウ様が立つだけで変わるんです。
あなたはこの領の未来を担う姫であり、戦に立つ彼らにとっては“守るべき存在”ですから」
戸惑うユウの横で、シュリがそっと頷いた。
「私も同伴します。・・・一緒に行きましょう」
「・・・わかったわ」
ユウは小さく息を吸い、フレッドの手を取った。
フレッドはしっかりとした手で、ユウの手をとった。
その手の温もりと力強さに、ユウは戸惑いを覚える。
ーー別に、手なんて引かなくても、自分で歩けるのに。
そう思ったが、前を行くフレッドのたくましい背中を見たとたん、言葉が喉で溶けてしまった。
広間の一角で、フレッドが声を張った。
「集合!」
その一声に、若い兵たちがぞろぞろと集まってくる。
まだ幼さの残る顔、痩せた肩、緊張した表情。
人数はざっと見て百名ほど。
フレッドはようやくユウの手を放し、皆の前に立った。
「ユウ様がお前たちに話がある」
あっさりと、そう言い放つ。
ーー話なんて・・・!
心の中でユウは叫ぶ。
私は、ただ、頼まれたから来ただけ。
フレッドが熱心だったから、断りきれなかっただけ。
動揺のまま、思わずフレッドを見上げる。
フレッドはにやりと笑った。
「さあ、どうぞ。お美しい声を、皆に聞かせてやってください」
軽く手を差し出すその仕草は、からかうようで、それでいてどこか頼もしさもあった。
百の視線が一斉に集まる。
その重さが、まるで鎧のようにユウの肩にのしかかった。
ーーずるい人。
心の中でそう呟きながら、ユウは一歩、前へと足を踏み出した。
◇
その様子を、城の二階の回廊から見下ろしていた者たちがいた。
「・・・ユウ様は変わられた」
ゴロクがぽつりと呟く。
「ええ」
シリは頷く。
下の広間に立つユウの背筋は、緊張に揺れているのが遠目にもわかる。
だが、彼女は逃げなかった。
声を詰まらせながらも、前に出ようとしている。
「この間まで、宴ですら人前に立つのを渋っていたのに」
「誰かのために話すのと、自分のために話すのでは違うのでしょうね」
シリの声は静かだったが、その胸の内は熱を帯びていた。
階下のユウに、百名の少年兵たち。
未来の命と覚悟が、あの場に集っている。
「・・・今の戦を理解している。自分の想像以上に」
ゴロクが腕を組んで言った。
「そして、彼女は一人ではない」
シリはシュリの姿を見た。
ユウの背に寄り添い、決して口を出さないまま、ただ支えるように立っている。
「ユウ様ならできる」
そう信じ、見つめるフレッドがいる。
「誇ってよい」
ゴロクが、短く、力強く言った。
二人の視線の先で、ユウが口を開いた。
次回ーー明日の9時20分
百人の少年兵の前に立ったユウ。震える声は、やがて場を揺るがす力に変わる。
その姿に、人々は亡きゼンシを見た――。
恐怖を抱えた姫が放つ言葉は、未来を動かす。
「怖くても立つ。その先の未来へ」
⚫︎お知らせ⚫︎
短編を書きました。
無口で無表情な若き領主グユウ。政略結婚は破綻し、離縁ののちに迎えたのは、気丈でまっすぐな姫シリだった。
老臣の視点で見守る、静かで少し変わった結婚から始める恋と領主の成長記。
「無口な領主ですが、気の強い姫に少しずつ変えられていく話」
本編はこちら → https://book1.adouzi.eu.org/n4050kz/




