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ーーずるい人 震える声の、その先へ

出陣は四日後に迫った。

城内の誰もが準備に追われていた。妾たちも三姉妹も大広間に集まり、兵糧用の食材を梱包していた。


袋に詰める乾パン、乾燥させた野菜や干し肉。

目の前の作業は単調で、誰もが口数少なに手を動かしている。

だが、部屋の空気は、刺すような緊張に包まれていた。


「あと二十袋分、こちらに詰めてください」

プリシアの声が張りを持って響いた。


普段は気まぐれな妾たちも、この日ばかりは皆、真剣だった。


ユウは黙って干し野菜を一握り、袋へ落とす。


その隣では、レイが黙々と乾パンの袋を結び、ウイは手元を震わせながらも作業を続けていた。


「戦に行く者の腹を、少しでも満たさねば・・・」

ドーラがぽつりと呟いた言葉に、誰もが一瞬だけ手を止めた。



大広間の半分には、争いに必要な荷が山と積まれていた。

干し肉や乾燥野菜、軟膏、矢や布地、火薬――。

それらを分類し、運び込む作業が黙々と進められていた。


荷運びの一角では、重臣ハンスが声を飛ばしていた。


若き兵たちは彼の指示のもと、汗を滲ませながら働いている。

その中で、ひときわ目立つ存在があった。


「フレッド様、こちらの荷はどこへ?」


「この列の奥、武具の横へ。混ざらないように気をつけて」


次世代の筆頭重臣候補と目されるフレッドが、中心で采配を振るっていた。


的確な指示に加え、重そうに荷を抱える少年兵の荷を、さりげなく引き受ける姿も見られる。


「・・・あの人、本当に明るいね」


作業を手伝っていたレイが、ぽつりと呟いた。


「そうね」

ユウは干し野菜を袋に詰めながら、淡々と答える。


そのとき、フレッドがこちらに向かって歩み寄ってきた。

髪をかきあげ、太陽のような笑顔を浮かべて。


「姫様方、あとで厨房に行って、甘い菓子でも持ってこようか?」


「・・・いえ、大丈夫です」


ユウは一度視線を伏せ、それから小さく答えた。


「姉上、前は明るい人が苦手って言っていたけど・・・今はどう?」


レイが小声で尋ねる。


「・・・前より、嫌いじゃない」


その答えに、レイは目を丸くした。


「明るさって、必要なのね」

ユウはぼそりと呟いた。


張り詰めた空気の中で、フレッドの笑顔は確かに周囲を和らげていた。

憂鬱になりがちな今だからこそ――その存在が心にしみる。



ノアは大広間の隅で、梱包作業に集中しているふりをしながら、遠くの様子を伺っていた。


太陽のように明るいフレッドが、少年兵たちに笑顔で声をかけている。

その横には、無表情を装いながらも、気丈に応えているユウと、

それを支えるように寄り添うシュリの姿があった。


ーーまぶしいな。


思わず、そう心の中でつぶやいた。


重臣たちの序列は明確に定まっていた。


序列は、家柄(血筋)+忠誠心+軍功で決まる。


フレッド、そして父親ジャックは、代々ゴロクに仕えた名門の家柄だった。


一方、同じ重臣のマナトは、ワスト領の出なので、

重臣といえども、地位は最下位だった。


フレッドはまぎれもなく、次世代の筆頭に立つ人物で、

ユウと結婚したら、領内の結束は確実に高まる。


ーーそういう光が当たる人物よりも・・・


ノアは、そっと傍で働くシュリを見つめた。


ーー俺はああいう若者が好きだ。


黙々と直向きに作業に励む若者。


能力はあるが地位はない。


そういう彼を応援するのは、過去の自分と重なるから。


重臣の家柄として、ノアは物心ついたときから「正しく振る舞え」「冷静であれ」と言われてきた。


けれど実際の自分は、不器用で、うまく言葉にできず、人の心に届かない。


若い頃、何度も失敗を繰り返してきた。


それでも——


あの時、ゴロク様だけは、誰よりも厳しい目を向けながら、誰よりも深く理解してくれた。


『ノアは優秀な若者だ』


そう言って、自分をかばってくれた。


あの言葉が、どれほど嬉しかったか。


どれほど、救われたか。


だからこそ今、キヨに手を貸そうとしている自分を、心の底から恥ずかしく思ってしまう。


キヨの差し出す見返りは、地位か、恩赦か、はたまた何か別の報酬か。


けれど、それを思い浮かべても、胸の奥の痛みは消えなかった。


ーーゴロク様を裏切ってまで、私が得たいものは・・・一体何なのだろう。


胸の奥が、じくじくと痛んだ。



黙々と干し野菜を詰めていたユウのもとへ、フレッドが静かに近づいてきた。


「ユウ様、少し、よろしいでしょうか」


その声は明るさを潜め、真剣そのものだった。


「・・・どうしたの?」


ユウはわずかに戸惑いながら、顔を上げた。


二人の様子に気づいたシュリは、手を止めて静かにユウの背後につく。


「少年兵たちに、激励の言葉をかけてほしいんです」


フレッドが声を潜めて、ちらりと大広間の端を見やった。


そこには、13歳から15歳ほどの少年兵たちが、荷を運びながらも落ち着かない眼差しをしていた。

気を張ってはいるが、緊張が肌から滲み出ている。


「・・・激励?」


「そうです。今回の争いには、彼らも連れていきます。

初陣ですから、当然といえば当然ですが・・・やはり弱腰で」


「そうでしょうね・・・」


「だからこそ、ユウ様からの言葉が欲しい」


ユウは目を伏せる。


「・・・でも、私が言わなくても、ゴロク様がなさるのでは?」


その言葉に、フレッドは大きくため息をついた。


「ユウ様は、男心というものをわかっていない」


言いながら、フレッドは手を差し出した。


「・・・え?」


「来てください。彼らの前に、ユウ様が立つだけで変わるんです。

あなたはこの領の未来を担う姫であり、戦に立つ彼らにとっては“守るべき存在”ですから」


戸惑うユウの横で、シュリがそっと頷いた。


「私も同伴します。・・・一緒に行きましょう」


「・・・わかったわ」


ユウは小さく息を吸い、フレッドの手を取った。



フレッドはしっかりとした手で、ユウの手をとった。


その手の温もりと力強さに、ユウは戸惑いを覚える。


ーー別に、手なんて引かなくても、自分で歩けるのに。


そう思ったが、前を行くフレッドのたくましい背中を見たとたん、言葉が喉で溶けてしまった。


広間の一角で、フレッドが声を張った。


「集合!」


その一声に、若い兵たちがぞろぞろと集まってくる。


まだ幼さの残る顔、痩せた肩、緊張した表情。


人数はざっと見て百名ほど。


フレッドはようやくユウの手を放し、皆の前に立った。


「ユウ様がお前たちに話がある」


あっさりと、そう言い放つ。


ーー話なんて・・・!


心の中でユウは叫ぶ。


私は、ただ、頼まれたから来ただけ。


フレッドが熱心だったから、断りきれなかっただけ。


動揺のまま、思わずフレッドを見上げる。


フレッドはにやりと笑った。


「さあ、どうぞ。お美しい声を、皆に聞かせてやってください」


軽く手を差し出すその仕草は、からかうようで、それでいてどこか頼もしさもあった。


百の視線が一斉に集まる。


その重さが、まるで鎧のようにユウの肩にのしかかった。


ーーずるい人。


心の中でそう呟きながら、ユウは一歩、前へと足を踏み出した。



その様子を、城の二階の回廊から見下ろしていた者たちがいた。


「・・・ユウ様は変わられた」

ゴロクがぽつりと呟く。


「ええ」

シリは頷く。


下の広間に立つユウの背筋は、緊張に揺れているのが遠目にもわかる。


だが、彼女は逃げなかった。


声を詰まらせながらも、前に出ようとしている。


「この間まで、宴ですら人前に立つのを渋っていたのに」


「誰かのために話すのと、自分のために話すのでは違うのでしょうね」

シリの声は静かだったが、その胸の内は熱を帯びていた。


階下のユウに、百名の少年兵たち。

未来の命と覚悟が、あの場に集っている。


「・・・今の戦を理解している。自分の想像以上に」

ゴロクが腕を組んで言った。


「そして、彼女は一人ではない」

シリはシュリの姿を見た。


ユウの背に寄り添い、決して口を出さないまま、ただ支えるように立っている。


「ユウ様ならできる」

そう信じ、見つめるフレッドがいる。


「誇ってよい」

ゴロクが、短く、力強く言った。


二人の視線の先で、ユウが口を開いた。



次回ーー明日の9時20分


百人の少年兵の前に立ったユウ。震える声は、やがて場を揺るがす力に変わる。

その姿に、人々は亡きゼンシを見た――。

恐怖を抱えた姫が放つ言葉は、未来を動かす。


「怖くても立つ。その先の未来へ」


⚫︎お知らせ⚫︎

短編を書きました。


無口で無表情な若き領主グユウ。政略結婚は破綻し、離縁ののちに迎えたのは、気丈でまっすぐな姫シリだった。

老臣の視点で見守る、静かで少し変わった結婚から始める恋と領主の成長記。


「無口な領主ですが、気の強い姫に少しずつ変えられていく話」


本編はこちら → https://book1.adouzi.eu.org/n4050kz/

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