争いの始まり、それは心を裂く
春の空気がわずかに緩み始めた夕刻、
キヨは新たに築いている城の図面を引いていた。
「兄者、随分と熱心ですね」
弟のエルが声をかける。
「あぁ。見事な城を建てるぞ」
キヨは王都ミヤビの近くの土地を得た。
そこに誰もが見たことのない城を建てるべく、奮闘していた。
「ここじゃ。ここ!」
キヨは図面に指を指す。
「ここは最高の部屋にする。金をかけるぞ」
「寝室ですか?」
エルが覗き込む。
「ここは・・・シリ様の部屋じゃ」
キヨは図面を見つめたまま、陶然とつぶやいた。
「兄者・・・またその話」
エルは呆れたように、ため息をつく。
シリに対するキヨの執着は凄まじい。
「何が悪い!あと数ヶ月でこの城は完成する。その時はシリ様がここにいる」
キヨは言葉には確かな強さがあった。
「シリ様は、暗い男、年寄りと伴侶に恵まれなかった。
最後の男はわしよ。明るくて朗らか、金もある!」
「・・・それは自分で言うセリフではないです」
「ともかく!この図面で城の内部を進める」
キヨが図面を控えていた家臣に手渡した。
その時ーー
「キヨ様 ノルド城より使者が到着いたしました」
別の家臣が報告に来た。
キヨは茶を置き、立ち上がる。
使者の名を告げられると、口元にかすかな笑みを浮かべた。
「来おったか・・・ゴロクめ、ついに腹を決めたな」
使者が取り出したのは一枚の羊皮紙。
ゴロクからの書状は、太く力強く、一切の揺らぎがない。
「我が軍、雪解けよりも先に進発す。
貴殿の天下取り、ここに断じて許さず。
古き信義に殉じ、我、ゼンシ様の遺志を貫かん――ゴロク・クニ」
文を読み終えたキヨは、しばらく黙った。
そしてゆっくりと目を閉じ、鼻から息を抜いた。
「・・・やはり、そうくるか」
「ゴロクは昔から堅物だ。武骨でまっすぐな人だ。主君を想う心は、まことに強い」
語る声は、憎しみでも怒りでもない。
むしろ愛おしむような響きだった。
エルがそっと問いかける。
「――計算通り、ですか」
「計算など・・・なにを言う。わしはただ、誠を尽くしたまでじゃ」
キヨの目が、わずかに光る。
「封じるとは言うたが、手厚く迎えた。静養と称したのも、政のため・・・なあ?」
誰に言うでもなく、ただ夕空に投げかけるように。
だがその裏にあったのは、明確な“封殺”の意志。
主君の名を盾に戦を起こすゴロクを、自ら悪に立たせる策。
「この書状は決裂を意味します。もはや和睦の道は・・・」
少し震えた言葉でエルは問いかける。
「ないな」
キヨは静かに断言した。
「・・・エル、あいつらはすぐに動く。
ゴロクには勝ってもらっては困るのだ。
“ゼンシ様の次”は、誰か――それを知らしめるときが来た」
空を見上げるキヨの目は、冷たくも確かな光を宿していた。
「さて・・・これで、ゴロクも踏み出した」
「これより先は、戦だ。芝居の幕は開いた。
あとは・・・見せ場を作ってやらねばのう」
キヨは独り言を呟いた後に、エルに命じた。
「紙とペンを。ノアに手紙を書くぞ」
◇ シズル領 ノルド城
「このまま行けば、峠の除雪はあと三日で終わるかと存じます」
ジャックが地図を前に報告すると、ゴロクは驚いたように目を見開いた。
「なんとも仕事が早いな」
「はっ。一刻も早く出陣できるよう、領内の者たちが総出で作業しております」
ジャックは深く頭を下げる。
「城内でも出陣の準備が着々と進んでおります。
兵の武具、馬の蹄鉄の張り替え、保存食の詰めも、すでに八割は終えております」
老臣ハンスが落ち着いた声で報告をする。
「よくやってくれているな・・・」
ゴロクは腕を組み、静かに息を吐いた。
「シリ様方が、冬の間に準備をしていたからでしょう」
ハンスが微笑む。
――戦の準備は始まっている。
ノルド城は今、軍の拠点として息を吹き返しつつある。
「ゼンシ様の御意志を汲み、ここで止めねばならんのだ」
その言葉に、ジャックは静かにうなずいた。
「兵の士気は高く、皆、心をひとつにしております」
ゴロクは再び、地図を見つめる。
「ここの砦はノアに任せよう」
ゴロクが指差した地図の一点は、シズル領とワスト領の境――地理的にも軍略的にも重要な位置だった。
その言葉を聞いた瞬間、ノアの肩がピクリと震えた。
「ここの境は、大事な守りだ。ここを突破されると、敵軍の進軍は格段に楽になる。
ノア、お前の防御戦略は、この領では随一だ。頼んだぞ」
「・・・私には・・・荷が、重すぎます」
ノアはうつむき、額に浮かぶ冷や汗を拭おうともしなかった。
その手は微かに震えていた。
ゴロクが思わず眉を寄せる。
「どうした。臆することはない。お前にはできる。私はそう思っている」
重い空気が室内を包む中、沈黙を破ったのはマナトだった。
「私も、同じ砦に詰めましょうか?」
その提案に、ノアの目がわずかに潤んだ。
だが、即座にジャックが首を横に振った。
「それはダメだ。重臣は各地に分散して配置すべきだ。
砦が一つ破られたとしても、全体の防衛網が崩れぬように」
「・・・もっともだ」
マナトも頷きながらも、ノアの様子から目を離さなかった。
「ノア。ここを守れるのは、お前しかおらんと私は思っている。そのことは忘れるな」
ゴロクはゆっくりと話す。
「はっ。誠に嬉しく・・・誇りに思います」
ノアは深く頭を下げた。
「・・・よし。5日後には峠を越え、進軍を開始する。間に合うように、整えておけ」
◇
領内の自邸に戻ると、ノアはそのまま椅子に崩れ落ちるように座った。
肩から力が抜け、頭を抱えた。
「・・・本当に・・・争いは、始まってしまうのか」
「何もできない・・・いや、何も、してこなかったのか・・・」
口をついて出た言葉に、自分自身が怯える。
友情も信義も、すべて“戦”に呑まれていくような気がした。
その呟きは、誰に届くわけでもなく、静かな部屋に虚しく響いた。
尊敬する領主・ゴロク、そして、長年の友であるキヨ。
二人の間に挟まれた自分は、どちらにも与したくはない。
しかし――どちらかを選ばなければならない立場にいる。
それが、どれほど残酷なことか。
「・・・あなた」
静かに歩み寄った妻・マリーの声が、ノアを現実に引き戻した。
顔を上げると、マリーは片手に書状を持っていた。
「今、届いたの。夜の闇に紛れて・・・人目を避けるように」
そっと手渡されたそれを見た瞬間、ノアは察した。
名がなくとも、筆跡が語っている。
――キヨからの書状だ。
封を切る指が、かすかに震えた。
文面には、ただ一言。
『こちらに来い』
その言葉が、鋼のような筆圧で刻まれていた。
「・・・どうすればいい・・・」
ノアは両手で頭を掻きむしった。
マリーは黙って隣に座り、そっと彼の背に手を添える。
ノアの肩が、わずかに震えていた。
背負わされた使命と、揺れる忠義の狭間で。
ノアの夜は、まだ長く、冷たい。
次回ーー本日の20時20分
出陣を四日後に控え、大広間に漂う緊張。
フレッドに促され、百の少年兵を前に立つユウ。
彼女の背には、確かな支えがあった。
その言葉が、戦と恋の行方を揺さぶる――。
「ずるい人ーー震える声の先」
⚫︎ここまで読んでいただきありがとうございました!
短編エッセイも公開しました。
タイトルは――
『母にお願いしたプレゼントは犬・・・じゃなくて馬でした』
子供の頃の「犬を飼いたい」願望が、なぜか「馬を飼いたい」に変わってしまった話です
クスッと笑える日常エッセイになっていますので、よければ覗いてみてください。
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