表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
184/267

母が必ず守ります

「昨夜は楽しかったね」

レイが窓辺に寄りかかりながら、ウイを見つめた。


「そうね」

ウイもふんわりと笑みを返す。


部屋には柔らかな朝の光が差し込み、三人の姉妹を優しく照らしていた。


二人の視線が、そっとユウへと向かう。

姉は軍事書を手にしていたが、その目は明らかに文字を追っていなかった。


指先はページの端に触れたまま止まり、視線はどこか遠く、思考の海に沈んでいる。


レイとウイは、言葉を交わさずに目を合わせた。


――姉上、大丈夫かしら。

――また、何か悩んでいるのかも。


ユウは、滅多に自分の気持ちを妹たちに話さない。

その胸のうちに何があるのか、彼女たちはただ、見守るしかなかった。


ーーもっと、心を開いてくれたらいいのに。


ウイは心の中でそっと願う。

けれど、ユウに声をかけるには、何かが足りなかった。


その時だった。


「失礼します」


扉の向こうから、きちんとした声が響いた。

朝稽古を終えたシュリが、礼儀正しく部屋へと入ってくる。


その瞬間、ユウの雰囲気が明らかに変わった。


わずかに肩の力が抜け、視線が本の中から現実へと戻る。

表情も少しだけやわらぎ、どこか春の日差しのように、静かに温かみを帯びていた。


その変化を、レイもウイも見逃さなかった。


――ああ、やっぱり。


姉上は、あの人を見ると変わる。


けれど、その思いを口にすることは、やはりできなかった。


三人の間に流れる空気は、言葉では届かない、静かな祈りのように揺れていた。


「入るわ」


不意に扉が開き、シリが姿を現した。


その声に、部屋の空気が緊張に包まれる。


机の上で刺繍の糸を撚っていたウイの手が止まり、レイは振り返って息をのんだ。


ユウは本を閉じることも忘れ、ただその姿をじっと見つめた。


忙しい母が、この時間にわざわざ訪れるなど、何か特別なことがあるとしか思えなかった。


三人は静かに並び、母の前に座を正した。

足音も息遣いも、妙に大きく響くように思える沈黙のなかで。


シリは一歩進み、小さく息を整えると、柔らかな声で語りはじめた。


「・・・これから、戦が始まります」


一瞬、部屋の時が止まったかのようだった。


「キヨが、ゴロクと敵対することになりました」


驚きが走る。


ユウの眉がわずかに寄り、ウイは息を詰める。

レイは唇を固く結び、視線を膝に落とした。

それぞれの胸に、言葉にならぬ予感が走っていた。


「母上・・・どうして?」

小さな声で、ユウが問いかける。


つい先日、シリ自身が争いの準備を止めるよう指示を出していたことを、三人は覚えている。


和睦へ。


争いを避ける道を選んだはずだった。


シリは、微笑みながらも、その目にかすかな翳りを宿した。


「キヨとゴロク・・・それぞれが“兄の意思”を信じて疑わぬからです」


「叔父上の・・・?」

ユウがつぶやいた。


シリは静かにうなずく。


「どちらも、正しいのかもしれません。でも、戦は“正しさ”だけでは止まらないのよ」


その声はどこか祈るように、空間に染み込んでいく。


「いやです・・・」


ふと、ウイの声が震えながら響いた。


シリがウイの顔を見つめると、そこには今にも崩れ落ちそうな涙の気配があった。


「争いが始まるなんて・・・いや。

また多くの人が死ぬの? 父上みたいに・・・死んでしまうの?」


声が震えた瞬間、ぽとりと涙が落ちた


「ウイ、まだ負けると決まったわけではないわ」

ユウがそっと嗜めるように言う。


けれどウイは、首を振りながら、こらえきれず声を漏らす。


「でも・・・きっと、また死んでしまう。

あの時のように・・・父上も、兄上も、おじじ様も・・・」


涙が止まらなかった。


ユウはそっと手を伸ばし、ウイの背を撫でる。


その手は、母の代わりに痛みを受け止めようとする姉の手だった。


あの日の記憶。


両親と兄と共に穏やかに過ごしていたあの頃が、争いにより崩れ去った。

父は死に、祖父も倒れ、逃げた先の森で、兄と祖母が殺された。

母は泣き崩れ、世界が壊れた。


「ウイ・・・この争いを避けては通れないの。

私たちは、いずれ追い詰められてしまう。生き残るには、戦わなければならない」


ユウの声は、かすかに震えていた。


「どうして、争いをしなくちゃいけないの?」

ウイは頭を振り続けた。


「ここで、皆で楽しく暮らしていたのに・・・また争いがあるなんて嫌・・・」


その涙を、レイは呆然と見つめていた。


レイは、争いの記憶を持たない。

戦を知らない彼女には、姉たちの傷も、涙も、まだ遠い現実のように思えていた。


それでも、何かが壊れ始めていることだけは、幼い心にも伝わっていた。


冷たい春の気配が、ゆっくりと部屋の隅にまで忍び寄っていた。


「争いは・・・止めようと思っても、避けられないものです」

シリの声は震えた。


ーー本当は一緒に泣きたい。でも、それは許されない


その言葉には、幾多の別れと喪失をくぐり抜けてきた者だけが宿せる重みがあった。


「あなたたちの父も・・・兄と戦いたくないと願いながら、戦ったわ」

シリの声がわずかに上ずる。


抑えていた感情が、にじみ出るように。


「兄も、そうだった。争いなど、誰だってしたくはないのです」


「なら・・・どうして?」

ウイが、切なげに問いかける。


その瞳には、幼い頃の記憶と、理不尽な現実がせめぎあっていた。


「領主だからです」

シリは、静かに答える。


「家臣を、兵を、この城を・・・領民を守るために。気持ちとは裏腹に、剣を取らねばならない時があるの」


ウイは唇を噛み締め、拳をぎゅっと握った。


「戦わないで・・・仲良くすればいいのにね」

レイがぽつりと呟く。


その言葉に、シリはふっと目を伏せ、切なげに微笑んだ。


「・・・本当に、そうであれば、どれほど良いかしらね」


しばしの沈黙のあと、シリは少し姿勢を正した。


「外が騒がしくなっても、泣いてはいけません。

声を立てず、心を静かに保ちなさい。

女が強くなければ、世は渡れぬのです」


ユウが、無言でうなずく。

レイはそっとシリの膝に手を添え、ウイは涙をこぼしそうになりながらも、震える唇で応えた。


「あなたたちは、何があっても生きなければなりません」

シリは、まっすぐに三人を見つめ、言い切った。


「母が、必ず守ります」


娘たちの視線が、ひとつに重なる。

その先にあるのは、シリの手元。

白く細い指が、静かに襟を整える仕草をしている。


そこには、母として、そしてひとりの“モザ家の女”としての覚悟が宿っていた。


春の兆しが、まだ肌寒いノルド城の窓辺に差し始めていた。

けれどその静寂の奥で――

遠く、かすかに、軍鼓の音がわずかに響いた。


戦が、始まる。


それを母は、娘たちに伝えた。

声を荒げることもなく。

涙を見せることもなく。

凛とした気高さを纏いながら。


娘たちはまだ知らない――その戦が、彼女たちの運命を大きく揺さぶることになる。


静かな朝は、戦の足音に破られました。

ここから先、シリと娘たちの物語は終盤へと進みます。

どうか最後まで、彼女たちの行く末を見守ってください。


次回ーー本日の20時20分


「私は、大丈夫じゃない」

震える声で告げたユウを、シュリは静かに抱きしめた。

それでも戦は避けられない。

母と娘たちの物語は、いよいよ最終章へ――。


「怖い・・・でも、進まなければ」


お陰様で12万PV突破しました↓

===================

この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

================

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ