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・・・もう、好きにさせておけないわ ―戦の幕開け―

◇ワスト領 キヨの城


冬が終わる。


キヨにとって、それは“始める”合図でもあった。


「シズルとの峠の雪は、まだ深いか」

キヨは弟のエルに質問をした。


「雪の量はかなり減りました。除雪をすれば街道は開くでしょう」

エルが答える。


薄曇りの空の下、キヨは静かにペンを置いた。

インクの香りに包まれた書状の文面には、わずかに柔らかな言葉が並ぶ。


「マサシ様には、しばらくシュドリー城にてご静養を願いたい――」


マサシーーシリの甥っ子である。


その書状の文面は穏やかだ。

まるで気遣う家臣のごとく。

しかし、その実、これは“封じ”の手だった。


「排除すれば、世は騒ぐ。だが動けぬようにすれば、誰も血を見ることはない」


そう呟いたキヨの唇に、かすかな笑みが浮かぶ。


シュドリー城――モザ家次男・マサシが滞在するに相応しい格式ある城だ。


生前、ゼンシがいた頃は国の中心になる城だった。


そこに兵を送り込み、城を囲む。


戦わない。


ただ、囲むだけだ。


そして、すべての連絡を断たせるようにする。



「守るふりをして、封じる。これこそ芝居よのう」


隣に控えていたエルは、黙って頷く。


兄、キヨの眼は、はるか先を見つめていた。


モザ家の血を絶やさず、しかし、口を出させぬように――


「マサシ様には、静かに過ごしてもらわねばなるまい」


静養という名の檻。


政に手を出すことも、盟友と連絡を取ることもできぬように――

この“やさしさ”こそが、もっとも冷酷な策略であった。



◇ ミンスタ領 シュドリー城


「・・・どういうことだ」

マサシの顔は蒼白だった。


城の周りに多くの兵が取り囲んでいる。

争いの準備をせず、手薄だった城は抵抗もできなかった。


マサシは、座したまま顔を上げた。

目の前に控える使者――キヨの側近が、わずかに首を垂れる。


「はい。シュドリー城にて、しばし静養を、との仰せにございます」


「静養、とな」


マサシはうっすらと笑った。


その笑みには、若き武将らしい皮肉と、断ちがたい矜持が滲んでいた。


ーーもはや、政には関わるな――そういうことか。


キヨの策は巧みだった。


父・ゼンシの次男として、武勇と気概を備えた自分を、この戦の盤上から外すには、

剣でも毒でもなく、「命令」という錠が最も効果的。


ーーそれでいて、殺さない。モザ家の血を無下にすれば、己の正統性にも傷がつくと・・・


キヨらしい。


使者が立ち去ると、部屋には深い沈黙が落ちた。


窓の外に風が吹き、庭の木の葉がさわりと揺れる。


マサシは、掌を見つめた。


ーーこの手で、何度剣を振るったか。

父の命に従い、戦の先陣を駆けたこの手が――。


いまや、何も握らせてもらえない。


彼はそっと立ち上がり、窓を開けた。


西の空が、赤く染まっていた。


ミンスタ領の空は、鉛のような雲に覆われていた。


「――戦を避けるべきだと、誰が言った?」


マサシは、窓の外を見つめながらつぶやいた。


かつて父・ゼンシの下で駆け抜けた日々、兄・タダシと語り合った未来。

あれらは、全て炎に呑まれた。


「父上さえ死ななければ・・・」


あの夜から、領は崩れ、家は割れた。


ゴロクは自らを後見として支えてくれたが、それもやがて一つの戦火を呼ぶ。


キヨは、笑顔の裏に刃を隠した策士。


「静養」という名の檻を差し出し、「モザ家のため」と言った。


「だが、それが・・・唯一、血を流さぬ道なら・・・」


握った拳を、ゆっくりと開く。


ーー戦えば、ゴロクも、家臣も、多くの命が失われる。


モザ家の名の下に戦を起こすことが、本当に正義なのか。


それならば、自分が引くしかない。


「俺は、父の子として生きた。いまは・・・理のために、沈む」


自分に言い聞かせるような口調だった。

声は静かだったが、その拳は強く握られ、爪が掌に食い込む。


その言葉は、理屈では納得できても、心が追いつかないことを物語っていた。

だが、マサシはそれ以上何も言わなかった。


それは、主君の器を持ちながらも、乱を避ける道を選んだ男の――

矛盾を抱えたまま、前を向こうとする、静かな誇りだった。


「ゴロクは・・・シリ姉は・・・どう動くのか」


風が、マサシの頬を撫でた。冷たいが、不思議と痛くはなかった。


「俺は――この地で、己の役目を果たすのみ」


彼はまっすぐに、夕空を見据えた。


たとえ動けぬ身でも、心までは縛られぬと知っていた。



◇シズル領 ノルド城


食事会の翌日、執務室に一通の手紙が届いた。


暖炉から焚き火のはぜる音が、執務室に響く。


ゴロクは手紙を握りしめ、唇を引き結んでいた。


「シュドリー城に、閉じ込められた・・・?」


震える声を出したのは、近くにいたシリだった。


だがゴロクはそれに答えず、ただじっと火を見つめていた。


ーーマサシ様、あの若者は、まだ未熟ではあるが、ゼンシ様の血を受け継ぐ正当な後継者だ。


そのマサシが、“静養”という名目でシュドリー城に捕えられている。


キヨの、あの飄々とした顔が脳裏をよぎる。


「柔らかく包んで、芯を殺すつもりか・・・」


戦を仕掛けるでもなく、殺すでもなく。


ただ、政の場から遠ざけ、仲間との連絡を断ち、封じる。


それが、キヨのやり口だった。


「主君を・・・囲って、なお忠義の名を語るか」


拳を握り、焚き火の熱で手が焼けるのも構わず、じっと耐えた。


「ゴロク・・・?」

静かな沈黙が続き、シリは彼の名を問いかけた。


ゴロクは、燃え盛る炎を見て静かに口を開いた。


「わしは・・・戦う」


その強い声にシリは目を伏せる。


ーー平和でいたかった。


娘達と楽しい日々を過ごしたかった。


けれどーー。


自分たちが雪で囲まれている間に、生家は包囲され奪われようとしている。


甥の一人は、冬の間に命を失った。


ーー全ては領民出身のキヨの手で。


「・・・もう、好きにさせてはおけないわ」

シリの声は硬っていた。


ーーモザ家の血がなくなってしまう。


シリは目を開けた。


その瞳は、負けない、曲げない、強い瞳だった。


「・・・私もそう思っていました」


その呟きに、ゴロクは静かに頷いた。


マサシの名のもとに、モザ家の誇りのために。

たとえ、乱世になったとしてもーー


次回ーー本日の20時20分


稽古場で交わる三人の剣。

ただの鍛錬ではなく、想いと立場がぶつかり合う一瞬だった。


そして大広間。

ゴロクはついに決断を口にする。


「――出陣するぞ」


その言葉に揺れる忠義、走る動揺。

戦の幕は、もう避けられない。


「同じ人を好きになった相手」



⚫︎お知らせ⚫︎


昨日、短編を公開しました。

タイトルは

『無口な領主ですが、初夜の翌日から姫に翻弄されています』


『秘密を抱えた政略結婚』のスピンオフで、無愛想な領主グユウ視点の甘めのお話です。

本編とは違う角度から、二人のすれ違いと仲直りの一幕を描いています。


よろしければこちらからご覧ください。

→ https://book1.adouzi.eu.org/N1000KZ/

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