表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
177/267

さようならを言わないお茶会 ー同じ男に抱かれた女たちー

「食事会を開こうと思うの」

シリが静かに言った。


「先日のような会を、もう一度開催したいのよ」


「そうですか」

エマはそう答えながら、少し不思議そうな顔を見せた。


「この前の食事会では・・・ユウ様とシュリがずっと一緒でしたね」


「ええ、そうだったわ」


シリは頷くと、少し間を置いて続けた。


「今回は、ユウをリオウとフレッドと共に踊らせたいの」


「・・・なるほど」


「ダンスは相性が見えるわ。息を合わせないといけないでしょう?」


シリの目はどこか遠くを見ていた。


「決め手がないようなら、感覚で決めても良いかもしれないわ」


「そうですね。こちらとしても、早く決めてもらわないと・・・」


「ゴロクに交渉するわ。エマは準備を進めてもらえる?」


「かしこまりました」


「それと・・・今日は午後、ドーラたちとお茶をしたいの。この部屋に呼んでくれる?」


「このお部屋に、ですか?」


エマは目を瞬かせた。


妃の私室に妾たちを招くなど、あまり例のないことだった。


「ええ。食事会にも招きたいから、顔を見ておきたいの」

シリは微笑んだ。



「妃の私室へ訪問するなんて・・・あり得ないわ」

廊下を歩きながら、プリシアが不安げに呟いた。


「何か魂胆があるのかしら」

フィルが首をかしげて笑う。


その軽い声音に、ドーラが静かに名を呼んだ。


「フィル」

嗜めるような声音だった。


フィルは肩をすくめ、口をつぐむ。


ドーラはただ、まっすぐ前を見つめていた。


冬のあいだ、ゴロクは定期的に彼女の部屋を訪れた。


週に一度、機械的に身体を重ねる。


かつてのような、子を望む切実さはもうなかった。


その変化が、どこか不自然だった。


ーーまるで、何かを終わらせようとしているようだった。


そう思ってしまう自分を、ドーラは否定できなかった。


初めて足を踏み入れた妃の私室は、思いのほか明るく、広かった。


大きな窓からは、淡い冬の光が静かに差し込んでいる。


けれど、三人の視線を奪ったのは、部屋そのものではなく――


食卓の上に用意された、目を見張るようなお茶の支度だった。


銀のティースタンドには三段の菓子とサンドイッチ。


最下段には、卵と鹿肉の燻製を挟んだ小さなサンド。

まるで宝石のように整列している。


中段には、香ばしい焼きたてのスコーン。

バターの香りがふんわりと漂い、クロテッドクリームの白さが映える。


そして上段には、煮詰めた杏のタルト。

艶やかな琥珀色が、まるで菓子細工のようだった。


紅茶の湯気が、静かに天井へと昇っていく。


「どうぞ」

シリが優しく微笑みながら、テーブルへと手を差し伸べた。


「シ、シリ様、これは・・・」

ドーラの声が、かすかに震えていた。


この形式は、領主を迎える最上級のもてなし。


ーーましてや妾である自分たちに、こんな待遇など。


三人は思わず顔を見合わせる。


プリシアは驚きと困惑を隠すように微笑み、フィルは口を開けたまま固まっていた。


「あなたたちのためよ」

シリの笑顔は、穏やかで揺るぎなかった。


ぎこちなく、三人は椅子に腰を下ろした。


「・・・今日は来てくれて、ありがとう」

その言葉は、静かで芯のある声音だった。


妾たちは一斉にシリを見つめた。


「日々の務めに追われて、きちんと伝える機会がなかったわ。

でも、ずっと思っていたの。争いの準備・・・あなたたちがいてくれて、本当に助かっていたって」


沈黙が落ちた。


部屋に満ちる紅茶の香りと、おだやかな光。


最初こそ、妾たちはその異様な空間に戸惑っていた。


妃の私室で、妃本人の手による茶を受けるなど、前代未聞のことだったからだ。


椅子に腰を下ろしても、三人の動きはどこかぎこちなく、

銀のスプーンに手を伸ばすのにも、ためらいが見えた。


だが──


「フィル、お口に合うかしら? それ、杏のタルトなの」


シリが静かに微笑みながら、フィルの皿にそっと菓子を添える。


「えっ・・・いただきます」

戸惑いながら口にしたフィルの表情が、ふっと緩んだ。


「・・・美味しい・・・」

その一言を皮切りに、空気が少しずつほぐれていく。


「こちらのサンドイッチ、鹿肉ですか? 香ばしい香りがしますわ」

プリシアが声をあげると、ドーラがそれに続く。


「クロテッドクリームって、こんなに美味しかったかしら」

やがて、三人のあいだに自然な笑顔が戻ってきた。


「紅茶をおかわりなさる?」

シリは自らティーポットを手に取り、丁寧に注いでいく。


その所作は、まるで女主人ではなく、

長年連れ添った姉のようなやわらかさを帯びていた。


「ありがとうございます・・・」


注がれるたびに、妾たちの声は少しずつ和らいでいった。


カップの音が重なり、言葉の合間に、小さな笑い声がひとつ、ふたつ、こぼれ落ちる。


冷えた冬の午後。


窓から差し込む光のなかで、まるで夢のように、穏やかな時間が流れていった。


ーーこうしてお茶会を開いたのは、妾たちとの別れが近づいているからだった。


ゴロクはついに子を授かることを諦め、ユウに婿を迎える準備を進めている。


春になり、峠の雪が溶けたら、ドーラとプリシアは生家へ戻す予定だ。


領民出身のフィルについては、

本人の希望があれば、城に侍女として残すことも視野に入れている。


――少しでも若いうちに、この立ち位置から解き放たれ、新しい幸せを見つけてほしい。


それが、シリの心からの願いだった。


けれど、この件を正式に伝えるのは、自分ではなく、ゴロクの役目だ。


だからこそ、今この場でできることがある。


それは、せめて感謝の気持ちを、形にして伝えること。


もっと早く、こうして接してやればよかったのかもしれない。


けれど、もう遅い。だからこそ、今だけでも――


「私はあなたたちを、大切に思っています」


シリの言葉に、三人の視線が一斉に向けられる。


「プリシア、フィル。あなたたちのことを、我が子のように感じています」


名を呼ばれたふたりは驚き、そして静かに顔を上げた。


「そんな・・・シリ様に、そんなふうに言っていただけるなんて・・・」


プリシアは声を震わせ、フィルは俯いたまま、そっとシリの唇を見つめた。


「そして、ドーラ」


シリは穏やかな目で彼女を見つめる。


「あなたは、聡く、冷静で、頼りになる女性。

私はずっと、友人のように感じてきました。本当に、ありがとう」


「・・・もったいないお言葉です」

ドーラは静かにそう応えた。

口調は落ち着いていても、その眼差しには、複雑な思いが揺れていた。


部屋には、柔らかく静かな空気が流れていた。


同じ男に抱かれた女たちが、妃の私室で穏やかに語らい、茶を楽しむ。


それは常識では語れない、けれど確かに美しい光景だった。


「今日はね、また皆で食事会を開こうと思っているの。あなたたちも、よければ参加して」


「私たちも・・・招待してくださるのですか?」


プリシアが控えめに尋ねる。


「もちろんよ。フィル、今回はダンスもあるから、動きやすい靴でね」


フィルは驚いたように目を見開き、それから小さくうなずいた。


シリの言葉に、部屋の空気がひときわ柔らかくなった。


けれどプリシアは、ふと見上げた妃の微笑みの奥に、わずかな影を見た気がした。


――まるで、別れの決意を秘めているかのように。


一瞬、まばたきを忘れてしまうほどだった。


「シリ様・・・それを伝えるために、今日のお茶会を?」

ドーラが問いかける。


「ええ。お礼と、招待を兼ねて」


シリは静かに微笑んだ。


本当の別れを告げるには、まだ少しだけ早い。


けれどその時は、もう、すぐそこまで来ている。


それは、静かな別れの始まりだった。


数年後、ドーラは、春になると、あの部屋の窓辺に差し込んでいた柔らかな光が思い出された。


ふと、シリの声が聞こえるような気がして、胸が締めつけられることがある。


「もっと早く、お話できていたら・・・」

そんな後悔が、時折、胸をかすめた。


けれどあのとき、シリは確かに、自分たちを見つめていた。


優しさと、強さと、そしてどこか、別れの覚悟を含んだまなざしで。


──あのとき確かに、私たちは大切にされていた。


けれどあの時間は、もう二度と戻ってこないのだ。



昨日も多くの方に読んでいただき嬉しいです。続きを楽しんでいただけるよう頑張ります。


次回ーー明日の9時20分


ノルド城の大広間に集う人々。

装いで挑む妾たちと、無垢のまま輝くユウ。

嫉妬と憧れの視線が交錯する食事会が始まる。


「誰よりも女でありたくて」



お陰様で11万1千PV突破しました↓

===================

この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

=================

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ