さようならを言わないお茶会 ー同じ男に抱かれた女たちー
「食事会を開こうと思うの」
シリが静かに言った。
「先日のような会を、もう一度開催したいのよ」
「そうですか」
エマはそう答えながら、少し不思議そうな顔を見せた。
「この前の食事会では・・・ユウ様とシュリがずっと一緒でしたね」
「ええ、そうだったわ」
シリは頷くと、少し間を置いて続けた。
「今回は、ユウをリオウとフレッドと共に踊らせたいの」
「・・・なるほど」
「ダンスは相性が見えるわ。息を合わせないといけないでしょう?」
シリの目はどこか遠くを見ていた。
「決め手がないようなら、感覚で決めても良いかもしれないわ」
「そうですね。こちらとしても、早く決めてもらわないと・・・」
「ゴロクに交渉するわ。エマは準備を進めてもらえる?」
「かしこまりました」
「それと・・・今日は午後、ドーラたちとお茶をしたいの。この部屋に呼んでくれる?」
「このお部屋に、ですか?」
エマは目を瞬かせた。
妃の私室に妾たちを招くなど、あまり例のないことだった。
「ええ。食事会にも招きたいから、顔を見ておきたいの」
シリは微笑んだ。
◇
「妃の私室へ訪問するなんて・・・あり得ないわ」
廊下を歩きながら、プリシアが不安げに呟いた。
「何か魂胆があるのかしら」
フィルが首をかしげて笑う。
その軽い声音に、ドーラが静かに名を呼んだ。
「フィル」
嗜めるような声音だった。
フィルは肩をすくめ、口をつぐむ。
ドーラはただ、まっすぐ前を見つめていた。
冬のあいだ、ゴロクは定期的に彼女の部屋を訪れた。
週に一度、機械的に身体を重ねる。
かつてのような、子を望む切実さはもうなかった。
その変化が、どこか不自然だった。
ーーまるで、何かを終わらせようとしているようだった。
そう思ってしまう自分を、ドーラは否定できなかった。
初めて足を踏み入れた妃の私室は、思いのほか明るく、広かった。
大きな窓からは、淡い冬の光が静かに差し込んでいる。
けれど、三人の視線を奪ったのは、部屋そのものではなく――
食卓の上に用意された、目を見張るようなお茶の支度だった。
銀のティースタンドには三段の菓子とサンドイッチ。
最下段には、卵と鹿肉の燻製を挟んだ小さなサンド。
まるで宝石のように整列している。
中段には、香ばしい焼きたてのスコーン。
バターの香りがふんわりと漂い、クロテッドクリームの白さが映える。
そして上段には、煮詰めた杏のタルト。
艶やかな琥珀色が、まるで菓子細工のようだった。
紅茶の湯気が、静かに天井へと昇っていく。
「どうぞ」
シリが優しく微笑みながら、テーブルへと手を差し伸べた。
「シ、シリ様、これは・・・」
ドーラの声が、かすかに震えていた。
この形式は、領主を迎える最上級のもてなし。
ーーましてや妾である自分たちに、こんな待遇など。
三人は思わず顔を見合わせる。
プリシアは驚きと困惑を隠すように微笑み、フィルは口を開けたまま固まっていた。
「あなたたちのためよ」
シリの笑顔は、穏やかで揺るぎなかった。
ぎこちなく、三人は椅子に腰を下ろした。
「・・・今日は来てくれて、ありがとう」
その言葉は、静かで芯のある声音だった。
妾たちは一斉にシリを見つめた。
「日々の務めに追われて、きちんと伝える機会がなかったわ。
でも、ずっと思っていたの。争いの準備・・・あなたたちがいてくれて、本当に助かっていたって」
沈黙が落ちた。
部屋に満ちる紅茶の香りと、おだやかな光。
最初こそ、妾たちはその異様な空間に戸惑っていた。
妃の私室で、妃本人の手による茶を受けるなど、前代未聞のことだったからだ。
椅子に腰を下ろしても、三人の動きはどこかぎこちなく、
銀のスプーンに手を伸ばすのにも、ためらいが見えた。
だが──
「フィル、お口に合うかしら? それ、杏のタルトなの」
シリが静かに微笑みながら、フィルの皿にそっと菓子を添える。
「えっ・・・いただきます」
戸惑いながら口にしたフィルの表情が、ふっと緩んだ。
「・・・美味しい・・・」
その一言を皮切りに、空気が少しずつほぐれていく。
「こちらのサンドイッチ、鹿肉ですか? 香ばしい香りがしますわ」
プリシアが声をあげると、ドーラがそれに続く。
「クロテッドクリームって、こんなに美味しかったかしら」
やがて、三人のあいだに自然な笑顔が戻ってきた。
「紅茶をおかわりなさる?」
シリは自らティーポットを手に取り、丁寧に注いでいく。
その所作は、まるで女主人ではなく、
長年連れ添った姉のようなやわらかさを帯びていた。
「ありがとうございます・・・」
注がれるたびに、妾たちの声は少しずつ和らいでいった。
カップの音が重なり、言葉の合間に、小さな笑い声がひとつ、ふたつ、こぼれ落ちる。
冷えた冬の午後。
窓から差し込む光のなかで、まるで夢のように、穏やかな時間が流れていった。
ーーこうしてお茶会を開いたのは、妾たちとの別れが近づいているからだった。
ゴロクはついに子を授かることを諦め、ユウに婿を迎える準備を進めている。
春になり、峠の雪が溶けたら、ドーラとプリシアは生家へ戻す予定だ。
領民出身のフィルについては、
本人の希望があれば、城に侍女として残すことも視野に入れている。
――少しでも若いうちに、この立ち位置から解き放たれ、新しい幸せを見つけてほしい。
それが、シリの心からの願いだった。
けれど、この件を正式に伝えるのは、自分ではなく、ゴロクの役目だ。
だからこそ、今この場でできることがある。
それは、せめて感謝の気持ちを、形にして伝えること。
もっと早く、こうして接してやればよかったのかもしれない。
けれど、もう遅い。だからこそ、今だけでも――
「私はあなたたちを、大切に思っています」
シリの言葉に、三人の視線が一斉に向けられる。
「プリシア、フィル。あなたたちのことを、我が子のように感じています」
名を呼ばれたふたりは驚き、そして静かに顔を上げた。
「そんな・・・シリ様に、そんなふうに言っていただけるなんて・・・」
プリシアは声を震わせ、フィルは俯いたまま、そっとシリの唇を見つめた。
「そして、ドーラ」
シリは穏やかな目で彼女を見つめる。
「あなたは、聡く、冷静で、頼りになる女性。
私はずっと、友人のように感じてきました。本当に、ありがとう」
「・・・もったいないお言葉です」
ドーラは静かにそう応えた。
口調は落ち着いていても、その眼差しには、複雑な思いが揺れていた。
部屋には、柔らかく静かな空気が流れていた。
同じ男に抱かれた女たちが、妃の私室で穏やかに語らい、茶を楽しむ。
それは常識では語れない、けれど確かに美しい光景だった。
「今日はね、また皆で食事会を開こうと思っているの。あなたたちも、よければ参加して」
「私たちも・・・招待してくださるのですか?」
プリシアが控えめに尋ねる。
「もちろんよ。フィル、今回はダンスもあるから、動きやすい靴でね」
フィルは驚いたように目を見開き、それから小さくうなずいた。
シリの言葉に、部屋の空気がひときわ柔らかくなった。
けれどプリシアは、ふと見上げた妃の微笑みの奥に、わずかな影を見た気がした。
――まるで、別れの決意を秘めているかのように。
一瞬、まばたきを忘れてしまうほどだった。
「シリ様・・・それを伝えるために、今日のお茶会を?」
ドーラが問いかける。
「ええ。お礼と、招待を兼ねて」
シリは静かに微笑んだ。
本当の別れを告げるには、まだ少しだけ早い。
けれどその時は、もう、すぐそこまで来ている。
それは、静かな別れの始まりだった。
数年後、ドーラは、春になると、あの部屋の窓辺に差し込んでいた柔らかな光が思い出された。
ふと、シリの声が聞こえるような気がして、胸が締めつけられることがある。
「もっと早く、お話できていたら・・・」
そんな後悔が、時折、胸をかすめた。
けれどあのとき、シリは確かに、自分たちを見つめていた。
優しさと、強さと、そしてどこか、別れの覚悟を含んだまなざしで。
──あのとき確かに、私たちは大切にされていた。
けれどあの時間は、もう二度と戻ってこないのだ。
昨日も多くの方に読んでいただき嬉しいです。続きを楽しんでいただけるよう頑張ります。
次回ーー明日の9時20分
ノルド城の大広間に集う人々。
装いで挑む妾たちと、無垢のまま輝くユウ。
嫉妬と憧れの視線が交錯する食事会が始まる。
「誰よりも女でありたくて」
お陰様で11万1千PV突破しました↓
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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