欲張りな夜
ノルド城 客間
テーブルには、香ばしい湯気とともに、所狭しと料理が並んでいた。
パイ包みが小さく鳴る音が、静かな部屋に心地よく響く。
焼きたてのパイ包みからは、芳ばしいマッシュルームと鹿肉の香りが立ちのぼっている。
その光景に、ユウは目を丸くした。
「・・・すごい。これ、全部?」
「これは厨房に頼んで作ってもらった」
フレッドがパイを指差しながら答える。
「で、こっちは俺が作った。うまいぞ」
そう言って、大鍋から鹿肉のシチューをよそいはじめた。
「たくさん作ったから、ユウ様の妹たちの食卓にも運ぶように言ってある」
にこっと笑ったフレッドの横顔に、ユウはふっと表情を緩めた。
「・・・たくさん獲れたのね」
「まあな。鹿肉は全部、厨房に持ち込んだ。燻製にしておけば、争いのときにも持っていける」
フレッドはニヤリと笑い、さらりともう一皿、シチューをよそう。
ユウと自分の分に続けて、三皿目。
その動きには、誰にとは言わずとも、想いがにじんでいた。
「シュリ。噂で聞いたぞ。西領のジュン様の首に、剣を突きつけたとか」
「・・・言わないでください」
シュリは顔を手で隠すようにして俯いた。
あのあと、ノアとジャックにこっぴどく叱られたことを思い出す。
「ほら、座れ」
フレッドが椅子を軽く叩く。
「いえ、私はこの場所で――」
「俺が話を聞きたいんだ」
その声は優しかったが、押し返すような強さがあった。
「ユウ様も、いいだろ?」
「えっ・・・ええ」
ユウが少し戸惑いながらもうなずく。
「それとも、俺と二人きりで食事したいか? 伝えたいことは、たくさんあるぞ」
冗談めいた口調。
けれど、瞳の奥には冗談で済まない本音が隠れていた。
あの日のプロポーズを思い出し、ユウは思わず顔を赤くする。
「いえっ。シュリ、一緒に食べましょう」
焦った声が硬くなる。
その様子を見て、フレッドは小さく笑い、ナイフとフォークを手に取った。
「さあ、聞かせてくれ」
優しさと確かさを宿した目が、シュリに向けられていた。
◇
その夜、ノルド城は深く静まり返っていた。
遠く風が雪を運び、凍てついた石壁を撫でていく音だけが、どこかでかすかに響いていた。
シリは自室の窓辺に座り、ゆらゆらと揺れる蝋燭の灯を見つめていた。
光と影が交互に彼女の頬を照らし、その横顔に淡い憂いを刻む。
背後から、そっと声がかかる。
「・・・眠れぬのか」
振り返ると、ゴロクが立っていた。
その大きな体には、どこか優しい静けさが宿っている。
「・・・ジュン様の言葉が、胸に残っていて」
シリはそう言いながら、膝の上で手を重ねたまま、再び蝋燭の灯に目を落とす。
ゴロクは黙って部屋に入り、彼女の隣に静かに腰を下ろした。
「この冬の間・・・ずっと、争うことばかり考えていたわ」
シリの声は静かだった。
ーー少しずつキヨに乗っ取られていく生家。
キヨの下で生きるのは、誇りを捨てるに等しい。
ゴロクは、ゼンシの最後の家臣として、最期の戦を選ぶ。
その覚悟でいたのに。
「けれど・・・もし、争わずに守れる方法があるのなら。
この穏やかな日々を、少しでも長く続けたい」
ゴロクはしばらく黙ったまま、彼女の言葉を受け止めていた。
やがて、ぽつりと呟くように口を開いた。
「そうだな・・・。今の暮らしは、穏やかで、良いものだ。
シリ様が来てから、この城は随分と明るくなった」
どこか照れたような声音に、シリが小さく微笑む。
「ゼンシ様の名を、ここで終わらせるわけにはいかん。
けれど・・・穏やかな暮らしも、捨てがたい」
「・・・両方を望むなんて、欲張りなのかもしれないわね」
シリの声は震えてはいなかった。
だが、その瞳には、深い哀しみと誇り、そして願いが揺れていた。
「けれど私は・・・その“欲張り”を、貫いてみたいの」
少しの沈黙のあと、ゴロクがゆっくりとうなずく。
「ジュン殿の忠告通り、争いを避ける道・・・探ってみよう」
「ありがとう」
シリは小さく笑った。
「・・・私は、娘たちの花嫁姿が見たいの。
ユウがこの城に残ってくれるなら、きっと夢が叶う。
孫だって・・・抱いてみたいわ」
「そうだな。ユウ様のお子なら・・・さぞ、美しいだろう」
「・・・まだ結婚もしていないのに、もう孫が女の子のつもりなの?」
シリはくすっと笑った。
「それもそうだな」
ゴロクも微笑む。
揺れる灯が、ふたりの横顔を淡く照らしていた。
それは、春の訪れを目前にした、最後の静かな夜だった。
◇
同じころ。
ユウは自室の小さなベッドで、掛布の中に身を丸めていた。
けれど、目は閉じていても、眠気はどこか遠くにあった。
窓の外で、雪がさらさらと落ちる音がする。
胸の中に残っているのは、さっきのフレッドの目。
「伝えたいことは、たくさんあるぞ」
・・・あの時の声の奥に、何かが宿っていた。
剣ではなく、言葉で近づこうとする彼の姿が、胸の奥にゆっくりと染み込んでくる。
ユウはそっと目を開け、窓の外を見た。
夜空は重く、けれどその奥で、星がひとつだけ、かすかに光っていた。
次回ーー本日の20時20分
雪を越え、ジュンは去っていく。
残された言葉は、嵐を告げる予兆。
「ユウ様の瞳は、ゼンシ様と同じだ」
ノルドの冬は、静かに揺らぎ始めていた――。
「瞳が語る運命」
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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