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運命の落とし穴

「・・・また、あの二人」


思わずシリは声を漏らした。


廊下の窓から見える城門へと続く道。


雪に足を取られぬよう、しっかりと冬履を履いたユウが、まっすぐに歩いてゆく。


そのわずか後方には、剣を携えたシュリの姿。


窓越しではふたりの会話は聞こえない。けれどその空気感――

どこか懐かしいものが胸をよぎる。


ーー弾むような足取りだった、かつての自分。

そして、少し後ろから優しい眼差しで見守ってくれていたグユウの姿。

幸せだったあの記憶が、ふたりの背中に重なって見えた。


「城外へ出かけるのですか」

傍らにいたエマが、心配そうに眉をひそめる。


「・・・おそらく、城門のそばにある落とし穴を見に行くのよ」

そう答えたシリの声には、どこか微笑みが混じっていた。


「落とし穴を・・・なぜ、今さら?」


「エマ。私とユウは似ているのよ」


シリはそっと微笑んだ。


他の姫たちが興味を示さないような、戦の罠。

それに心を留めるユウは、容姿だけではなく、思考までどこか自分に似ていた。


けれど、それが彼女の幸せにつながるのかどうか――それは、まだわからない。


「・・・城門ですか」

エマの声が、わずかに陰る。


安全な城内ではなく、あえて外に出ることを、心から案じているのだ。


「今の時期、峠にはまだ雪が多いでしょうし、敵兵も現れないわ。

城門には兵もいる。・・・そのくらいなら大丈夫よ」

シリは落ち着いた声で答えた。


エマは黙って、窓の外を見た。


「シュリと・・・ですか」

その声には、わずかな戸惑いが滲む。


シュリがどれほど有能で、姫を守ることに命を懸けているかを、エマは知っている。

だが同時に、使用人である彼が誰よりも近くにいる現実を、心の奥ではまだ受け止めきれずにいた。


シリは、窓の外へともう一度目を向ける。


「シュリがいれば、きっと大丈夫」

その言葉には、深い信頼が滲んでいた。


弱い日差しの中、ユウとシュリは並んで城門へと歩いていた。


「落とし穴、どのくらい深く掘られたのかしら」

ユウがそうつぶやくと、シュリは頷く。


「昨日、掘り終えたと聞いています。深さは・・・かなりのものです」


数日後に迫る戦への備えとして、城外の一本道に落とし穴を設けることは、シリの判断だった。


冬の空気はまだ冷たく、足元の雪がわずかに残っていた。


「こんなに大きな落とし穴・・・!」

ユウは目を丸くした。


雪が溶けはじめた地面に、ぽっかりと口を開けた巨大な穴。

その底には、溝が格子のように走っている。


「確かに大きいですね」


隣で控えていたシュリも頷く。


「シュリ、あの溝は・・・?」


「この溝には木の杭を設置します。レーク城でも、同じように作っていました」


「そうすると・・・」


ユウの顔がわずかにこわばる。


「落ちた者は、命を落とします」


淡々とした声でシュリが言った。


「すべて、シリ様の指示でした。防衛のために」


「・・・母上はすごい」


「はい」


ふたりは落とし穴の縁に立ち、しばらく黙って見つめていた。


冷たい風が吹き抜け、視線は自然と遠い雪道へと伸びていく。





その雪道を、ひとつのソリが走っていた――。


――ノルド城に向かってソリを走らせていたジュンの目に、ひときわ眩い金色が飛び込んできた。


陽にきらめく髪。

どこにいても目を奪われるその色、そして、堂々とした背筋――


「シリ様だ・・・!」


ジュンは思わず呟いた。


まさか城外で会えるとは。なんという幸運。


「ソリを止めよ。・・・挨拶してくる」


慣れぬ雪道に足を取られながら、ジュンはその背中に向かって駆け出した。


「シリ様! お久し・・・」


声をかけた、その瞬間だった。


喉元に冷たい鉄が触れた。


「・・・ヒィッ!」

思わず情けない声が漏れる。


目前に立ちはだかったのは、まだあどけなさの残る細身の少年――いや、既に少年ではない。


剣を持つその動きは、信じられないほど素早く、鋭かった。


「何者だ」

鋭い声が、息を呑むほど近くで響く。


「ま、待て! 私は怪しい者では・・・! シリ様ぁ!」

苦し紛れに声を上げる。


金色の髪を持つ女性に向けて。


その瞬間、彼女がゆっくりと振り返った。


時間が止まったように感じた。


――シリ様?


けれど、違う。


確かに金の髪、青い瞳。瓜二つ。


だが、若い。


そして、目元にシリにはなかった鋭さと、迷いのなさがあった。


「シリ・・・様?」


ジュンは呆然と呟く。


「・・・私の名前はユウよ」


高めの声。


しっかりとした口調。


だが、どこか幼さが残っている。


「な、なんと・・・」

ジュンは息を呑んだ。


次の瞬間、喉元の剣がさらに押し込まれる。


「名を名乗れ。何者だ」


「私は・・・私は怪しい者ではない!」


「怪しい者は皆そう言う」


少年のような細身の剣士――シュリは、まったく隙を見せない。


その動きも、目の光も、まるで猛禽のようだ。


「私は・・・西領の領主、ジュン。ジュン・アオイだ」

ようやくの思いで名乗る。


「領主が・・・ひとりで、こんなところに?」


剣先が喉元をなぞるように動く。


「違う! 後ろにいる、後ろだ!」


ジュンの叫びと同時に、シュリが目だけで視線を動かす。


ソリのほうから、数人の従者が駆けてくるのが見えた。


「それにしても、少ないですね」


シュリの茶色の目が鋭く光り、まだ剣を緩めようとしない。


その場に走る緊張の気配を、すぐさま城の兵が察知した。


ノルド城の門番、そして重臣のジャックとノアが駆けつけてくる。


「シュリ! どうした!」


先に駆けつけたノアの声に、ジャックも剣を抜こうとした。


「曲者です。ユウ様に声をかけました」


シュリは、剣を喉にあてたまま、ジュンの顔を二人に見せた。



「じゅ・・・ジュン様!?」


ジャックの声が裏返り、次の瞬間、手にしていた剣がボトリと地面に落ちた。


ノアは蒼白な顔で一歩前に出る。


「シュリ、剣を下ろせ。・・・この方は、西領の領主、ジュン様だ」


その言葉に、場の空気が一変した。


「申し訳ありません!」


シュリは剣を引き、深く頭を下げた。


「領主様とは存じ上げず・・・本当に、申し訳ありませんでした」


平伏しながら、シュリは唇を噛んだ。


自分の判断が、取り返しのつかない事態を招きかけたことに、背中を冷たい汗が伝う。


その姿を見て、ユウも顔から血の気が引く。


――領主に剣を向ける。それは、取り返しのつかない過ち。


ゼンシのような男なら、すぐに命を奪っていたかもしれない。


「シュリは・・・私を守ろうとしたのです」


必死に、ユウは言葉を繋ぐ。


そのふたりの姿を見て、ジュンが不意に、朗らかな笑い声を上げた。


「感心、感心!」


その笑いに、ユウはようやく息を吐き出した。


「こんな手荒い歓迎は初めてだなあ」


タヌキのようにふっくらとした顔は、にこにこと屈託がない。


「・・・そちらのお嬢さんは、説明せずともわかる。シリ様のお嬢さん、ユウ様ですね?」


「はい。ユウ・センです」


ジュンはユウの顔をじっと見つめる。


あの金色の髪。澄んだ青い瞳。


整った顔には、確かにシリの面影がある。


だが。


ーーあの目。


どこかで・・・いや、何かが違う。


涼やかなその目の奥に、微かに揺らめく鋭さ。


誰かに似ている。


誰だ・・・?


記憶の底に沈んだ、名も思い出せぬ誰か。


それは懐かしさではなく、なぜか胸の奥にざらつきを残した。


気を取り直して、ジュンは剣を向けていた少年に視線を移した。


「そなた、良い腕をしている。名を教えてくれ」


「・・・シュリ・メドウと申します」


「シュリ・・・その名、覚えておこう。そなたは、きっと良い騎士になる」

満足げに頷いたジュンの言葉に、その場の空気が静かにざわついた。


シュリは、少しだけ戸惑ったように口を開く。


「私は・・・騎士にはなれません。使用人ですから」


「なんと? 使用人?」


ジュンはまじまじとシュリを見つめ直す。


「それは・・・もったいない!」


そう言いかけたその瞬間。


「ジュン様!」


明るく、親しげな声が遠くから響いてきた。


声の主は、城から駆け寄ってくるシリだった。


「おお! シリ様! ようやく本物に出会えた!」

ジュンは嬉しそうに笑い、背後に控えるゴロクにも目で挨拶を送った。


「ジュン様、お久しぶりですね。何年ぶりになるでしょうか」

シリは輝くような笑顔で、ジュンの手をぎゅっと握った。


――圧倒的な存在感。


その瞳の青さは、氷のように澄み切っていて、美しい。


ジュンは思わず引き込まれそうになる。


だが、背後でゴロクが控えめに咳払いをすると、我に返った。


「ゴロク殿、お久しぶり。変わらぬ姿で何よりです」


ジュンはにこやかに言い、ようやく一連の騒動が静まった。


「さあ、中へお入りください」


シリが手で招き、ジュンは城の奥へと案内されていく。


騒ぎの残響がまだ地に滲んでいたが、風のように、それはすぐ消えていった。


穏やかな空気が流れる。


その空気を作っているのは、客人であるジュンだった。


ユウは、ジュンの背中を見つめた。


ーー人の良さそうな領主。母上とも仲が良い。


その時は良い印象しかなかった。


この日を境に、ゆっくりと運命の歯車が回りはじめたのだと、誰が想像できただろう。


次回ーー本日の20時20分



ジュンはノルド城で、シリとゴロクに争いを止めるよう訴える。

「・・・もう、シリ様を悲しませたくない」

その願いは、戦に傾く二人の心を揺らすのか――。


「もう、あなたを悲しませたくない」


お陰様で11万1千PV突破しました↓

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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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