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薔薇色の遺言

ホールから戻ったシリは、バルコニーに立っているジュンの後ろ姿を見つけた。


シリの視線に気がつくと、ジュンは穏やかに微笑んだ。


「ここからの眺めは良いですね」


「先ほどは・・・ありがとうございました」

シリが頭を下げる。


「いえいえ。シリ様、お久しぶりです」



ジュンの視線がちらりとシリをとらえる。


柔らかな陽射しに包まれたその姿は、相変わらず美しい。


溶けた金のような髪、澄んだ青の瞳――。

だが、そこには静かな悲しみが宿っていた。


左手の薬指に光る指輪。

シリの胸の内を、ジュンは察した。


「姫様たちは、お元気ですか?」



「はい」

シリは表情を硬くした。


この悪気がなく親切な善意を持つ弔問客は、シリにたまらなく苦痛を味わわせた。


『じきに立ち直れますよ』

朗らかな声で言われると、複雑な気持ちになる。


『グユウ様のこと、早く忘れると良いですね』

忘れられない・・・忘れたくないのだ!


極めつけの言葉はこれだ。


『姫様のために、再婚をして幸せにならなければ』


グユウ以外の人と結婚して、幸せになれるはずもない。


再婚=幸せと思っている人は本当に多い。


けれど、ジュンはそういう発言は一切しなかった。


ジュンは、言うべき事と、言ってはいけない事をわきまえている。


そういう人は珍しかった。



「グユウ殿は、お優しい方でしたね」

ジュンは昔を懐かしむように話す。


「はい」

返事をしたものの、疑問に思いシリは顔を上げた。

グユウはとても優しかった。


けれど、グユウの事を優しいと表現する人は少ない。

寡黙な上、不器用な人だったので、グユウの優しさに気づく人は少ない。


「昔、一緒に洋品店に行ったことがあるのですよ」

ジュンが懐かしむように語りだす。


その話には、聞き覚えがあった。


グユウがシリに布地を贈るため、慣れない洋品店に足を運び、ジュンに助けを求めたと――。


シリは黙って、うなずいた。



「あの時、私は水色の布地を勧めたのです。シリ様に似合う色だと」


「そうだったのですか」


シリは、青いドレスを勧められることが多い。

瞳の色が青色で、実際に似合っていたからだ。


ゼンシが用意した婚礼衣装は、青色と紫色だった。

ドレスに無頓着なシリは、言われるがまま袖を通した思い出がある。


「けれど、グユウ殿はピンクを選ばれた。私は不思議に思って、尋ねたのです」


ピンクの石の櫛。

あの時、グユウが照れながら渡してくれた言葉を思い出す。


――その・・・こういう色も、似合うと思う


「グユウさんは、なんでピンク色を選んだのですか?」

シリの問いに、ジュンは優しく微笑んだ。


「ピンク色は愛らしい色だけではなく、確固たる強さを持ち合わせている。

グユウ殿はそう話したのです」


ジュンの言葉にシリは眉毛を少しだけ動かした。


相変わらずグユウは口下手だ。

謎解きのような答えに面食らう。


「どんな意味なのか・・・ちょっとわかりません」


シリの発言にジュンは笑った。


「私が推測するに、グユウ様から見て、シリ様は一言では表せない多面的な魅力があったのだと思います。

愛らしくて、強くて・・・素敵なお方に見えたのでしょう。

それゆえ、ピンク色を選ばれたのだと思いますよ」


ジュンの言葉に、シリは涙が出そうになる。


今更ながら、グユウのプレゼントの意図を感じたのだ。


相変わらず不器用な人だ。


「ありがとうございます」

涙があふれるので、それを抑えるため絞り出すように声を出した。


「グユウ殿は、妻思いの、素晴らしい領主でした」

ただ、シリは黙って頷いた。



「急いで元気にならなくても良いのです。

グユウ殿を想いながら、時間をかけて進むことで、また開く道があるはずです」

ジュンは優しく声をかけた。


シリは、ジュンの息子が亡くなったことを思い出した。


ーー大切な人を失った辛さをわかってくれている。


ジュンは、シリの顔を見ずに外の景色を見つめていた。


泣き顔を見ないようにしてくれる。


その気持ちが嬉しかった。


ジュン殿とは・・・良い友人になれると思う。





「シリ様、今日のドレスはどうされますか?」

エマが質問をしてきた。


今日はタダシの結婚式だ。


「・・・ピンクのドレスにするわ」

シリはゆっくりと微笑んだ。


グユウを喪ってから、初めて色物の服を選んだ。


エマは目を見開き驚いた顔をした。


用意されていたアイスグレーのドレスを脇に押し、奥に眠っていた一着を取り出す。


淡いピンク色のドレスの裾は、バラの蕾の刺繍がしてある。


その色はシリの血色を引き立たせ、髪をつややかに見せた。


「母上!きれいだわ・・・」

ウイがうっとりした顔で、シリを見上げた。


「今日はタダシの結婚式なの」

シリは微笑んだ。


「そのドレス・・・」

ユウがつぶやいた。


忘れもしない。


父と別れた時に、母が着ていたドレスだった。


「父上がプレゼントしてくれたドレスよ」

エマが髪を結い、ピンク色の櫛をさす。

鏡越しに、シリはユウに微笑んだ。


会場に響いた楽の音とともに、式は滞りなく進行した。


その間、シリとジュンは必要以上に近くはなかったが、キヨの視線は始終、彼女の背に注がれていた。




──そして式の後、控室に戻ったキヨとエルの会話。


「お美しかった・・・」

キヨが恍惚とした表情で惚けていた。


「愛らしい花嫁でしたね」

キヨの弟、エルが相槌を打った。


「花嫁ではない。シリ様だ」

キヨはため息をついて答えた。


確かに今日のシリは美しかった。


ホールの扉が開いた瞬間、空気が一変した。


淡いピンクのドレスに包まれたその姿は、まさに気高く、しなやかで――近寄りがたいほど美しかった。


だが、キヨの表情が一変する。

何かを思い出したように、眉をひそめた。


「シリ様は、あのジュン殿と長々と話していた…タヌキ親父め」


毒づいたキヨに、エルが苦笑しながら口を挟む。


「自分だって“ハゲネズミ”って陰で呼ばれてるじゃないですか」


キヨが鋭く睨む。

エルはゴホンと咳払いして、すぐに話題を変えた。


「ところで、どうするのですか?このネックレス」

エルは小さな包みを指さす。


その包みは、ミンスタ領の旗印がついている。


レーク城を解体する時に、隠し小部屋から見つかったものだ。


「シリ様のネックレスです」

セン家の重臣だったサムが話していた。


その大事な包みを、シリに渡そうとしたが、

キヨが近づくだけで、シリがものすごい目で睨むのだ。


とてもじゃないけれど、声をかける雰囲気ではなかった。


「今日は仕方ない」

キヨは肩をすくめるように言った


「焦らなくていい。いずれ、わしとシリ様が心を通わせる日が来る。その時に渡せばいい」


「・・・ないです、それは」

エルは思わず言い切った。


あのシリの、キヨを見る冷たい瞳を思い出すだけで背筋が寒くなる。


彼女の中にある感情は――憎しみそのものだ


「この包みが、再び手に渡る時――すべてが変わる」

エルは訝しげな顔で兄を見たが、それ以上何も言わなかった。


そして、数年後。


キヨの予言は、思わぬ形で現実となる。


それは、まだ誰の胸の中にも灯っていない、小さな火種の物語――。


次回ーー 

城を焼き尽くす炎と、二万人の叫び。

その遠い地で、シリと娘たちは針仕事に静かな時を重ねていた――。


◇登場人物◇


シリ

ワスト領の元妃。亡き夫グユウを想い続けながらも、

ジュンとの会話をきっかけに、再び“色”を身にまとう。


ジュン

西領の領主。温厚で礼節を重んじる男。

かつてグユウとも親交があり、今もシリを深く敬っている。


キヨ

ワスト領の現領主。シリへの執着を募らせ、

ジュンとの親しげな様子に激しく嫉妬する。


エル

キヨの弟。兄の妄執を見抜きながらも止められず、

静かに行く末を案じている。



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