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恋に追いつけないまま

次の休暇日。


いつものようにリオウがユウを訪ねてきた。


静かな午前の陽が回廊に射し込み、庭の雪をやわらかく照らしている。


「・・・憂鬱だわ」

小さな声で呟いたその瞬間、ユウの足元を、冬の冷たい風がかすめていった。


ー—今日も、何かが起きる気がする。


リオウはいつも真っ直ぐだった。


その目は、澄んだ水のように曇りがなく、まっすぐにユウを見てくる。


ーー彼のことを、決して嫌いだと思ったことはない。


むしろ、好ましい人だと思っている。


嘘もなく、誠実で、真摯で、誰よりも清らかにユウを慕っている。


――だからこそ、苦しかった。


その想いに、自分が応えられないことが。


彼の期待を裏切ることになると知っていて、それでも気持ちが動かない自分自身が。


今日も、庭先の回廊でふたりきりになった。


「お変わりありませんか?」

「ええ」


形だけの会話が交わされる。


やさしい陽射しのなか、リオウは少し逡巡してから、懐から何かを取り出した。


「スノードロップ・・・もう、咲いているのね」


「ええ。自宅の庭に咲いていたのです」


ユウは、小さく目を伏せた。


「・・・また、花をくれるのね」

「・・・覚えていてくださったのですか」


秋の終わり、冬の初め、

リオウは、季節の変わり目に小さな花を贈ってくれた。


けれど、今回の花は――違った。


白く可憐な花弁が、かすかな風に揺れていた。


まだ肌寒さの残る空の下で、その小さな命は健気に震えている。


「ユウ様に似合うと思ったんです」


リオウはそう言って、花を差し出した。


その手がほんのわずかに震えているのに、ユウは気づいた。


――なんてまっすぐな人。


けれど。


ユウはその花を、受け取ることができなかった。

でも――拒むこともできなかった。


この花を手に取れば、彼の好意に応えることになる気がした。


それはまだできない。


けれど、突き返すには、彼はあまりに優しすぎた。


――私の心には、まだ整理できていない想いがある。


誰の手も取れないのは、優柔不断ではなく、きっとそのせい。


「・・・ありがとう」


かすれた声が、唇からこぼれる。


「こうすると・・・もっとお似合いです」


リオウは一歩、ユウに近づいた。


そっと手を伸ばし、ユウの髪に触れる。


その距離に、ユウの身体は緊張でわずかに震えた。


近くで控えていたシュリは、止めるべきか迷っていた。


リオウの仕草は強引ではない。


姫に近づく者として、ぎりぎりの線を見極めている。


――うまいな。


思わず、そう思ってしまう。


「すぐに・・・萎びてしまいますが」


リオウの唇が、すぐそこにある。


ユウは思わず、ぎゅっと目を閉じた。


「・・・お似合いです」


掠れた声が、耳元で落ちる。


ゆっくりと瞼を上げると、目の前に黒い瞳があった。


父ーーグユウに似ているけれど、少し違う。


その瞳は、ユウへの想いに溢れている。


その視線が、自分のすべてを見つめてくるようで、思わず視線を逸らす。


「スノードロップは・・・希望の象徴だとか」


そう言って、リオウは微笑んだ。


どこか切なげで、けれどまっすぐな笑み。


ユウは、何も言えずに目を伏せた。


「ありがとう」

小さな声だった。


彼の好意を、受け取ってしまった。


それでもーー心は動かなかった。


少し離れた場所から、その様子を見つめていたシュリは、ひとり、胸の奥を押さえるように息を吐いた。


春が近づくにつれ、リオウもフレッドも、少しずつユウとの距離を縮めている。


それは、まるで時間をかけて織られる織物のようで、ほどくことも、遮ることもできなかった。


「・・・どちらを選ぶのだろう」


思わずこぼれたつぶやきは、冷たくもやさしい早春の空に溶けていった。


リオウは帰り、ユウは三姉妹の部屋に戻る。


「この花を生けて」

ユウは髪からスノードロップを外し、侍女に手渡した。


「スノードロップ!もう咲いているのね!」

花瓶に生けられた少し萎びた花を見て、ウイが目を輝かせる。


だがその表情には、どこか切なさもにじんでいた。


ユウが黙って頷く。


「そう・・・いただいたの」


その声は、何か秘密を抱えているような雰囲気だった。


ユウの顔は少しだけ上気していた。


ーー何かあったのだ。リオウ様と。


ウイは悲しげな目で白い花を見つめた。


そんな感傷に浸る間もなく、エマが勢いよく扉を開けた。


「今日の夕食は、フレッド様とご一緒に」


エマの声は、拒否の余地などないと言わんばかりだった。


「夕食・・・?」


ユウは小さく声を返す。


「はい。今朝仕留めた鹿を、ぜひユウ様に召し上がっていただきたいと、フレッド様が」


「・・・そうなのね」

ユウは再び顔を赤らめた。


この前のフレッドからのプロポーズを思い出したのだ。


ユウの表情をエマは満足げに見つめた。


ーー顔を赤らめるなんて娘らしい。


良い兆候だ。


エマが退室すると、部屋に静けさが戻った。


春とは名ばかりの冷たい空気が、ほんのりと緊張をはらんでいる。


「・・・母上はお忙しいのですか」

そう口にしたのはウイだった。


「忙しいみたい。なかなか、顔を合わせる機会がないの」

そう言いながらも、ユウは母の背中を思い浮かべていた。


ーーあの人は、いつも誰より先に戦のことを考えている。


穏やかな会話に、レイが核心をつく発言をした。


「姉上。リオウ様とフレッド様・・・どちらに心を寄せているのですか?」


レイがふいに問いかけた。


部屋の隅には、シュリが静かに控えている。


――どうして今、そんなことを。


そう思わずにいられない。


けれど、姫たちにとって、使用人が近くにいるのは日常だった。


『シュリがいるから、答えづらい』

それはユウ個人の、言葉にできない戸惑いだった。


刺繍をしていたウイの手が、ぴたりと止まる。


「――まだ、どちらにも」


ユウは伏し目がちに答えた。


「そう・・・ですか。姉上、最近とても綺麗になったので・・・恋をしているのかと」


レイは素っ気なく言いながらも、ちらりとユウの横顔を盗み見た。


「そんなこと・・・ないわ」


ユウの声は徐々に小さくなり、頬が熱を帯びてくる。


それを隠すように微笑み、「からかうのはよくないわ、レイ」とやさしくたしなめた。


ふと顔を上げて、ユウの声が少し弾む。


「夕食まで時間があるのなら――」


「?」


「城門前の、落とし穴が見られるかもしれないの!」


「落とし穴、ですか?」


ウイが刺繍から顔を上げた。



「ええ。母上が秋に作らせたもの。雪が解けたら敵に備えるために、って」

ユウは少し声を落とした。


あのとき母の目は真剣だった――その場に居合わせた姉妹には、いまも鮮明に残っている。


ーー母上が知略を尽くして考えた落とし穴、見てみたい。


ユウの瞳は、まるで宝物を語る子どものように輝いていた。


「午後、一緒に見に行かない?」


「・・・私は遠慮します。今の時期、足元が悪いですから」


ウイは苦笑いした。


本音を言えば、落とし穴などまるで興味がない。


なぜユウがそんなものに心を向けるのか、理解できなかった。


「私も大丈夫」


レイも素っ気なく断る。


ふたりの答えに、ユウは微かに笑みを浮かべた。


けれどその胸の奥には、言いようのない距離を感じていた。


ウイやレイにとって、落とし穴はただの“汚れる場所”。


けれどユウにとっては、誰かが命を懸けて守るために掘った、“現実”だった。


ーー私はもう、守られるだけの姫ではいられない。


心の奥底で、誰にも届かぬように、そっとつぶやい


「それなら・・・」


ユウの視線が、部屋の片隅にいたシュリへと向かう。


「シュリ。昼食のあと、一緒に行きましょう」


「承知しました」


静かにうなずいたシュリの顔は、穏やかだった。

次回ーー明日の9時20分


雪解けの城下。

母の知略を映す落とし穴を見に出かけたユウとシュリ。

そこで彼らを待っていたのは、思いもよらぬ客人との遭遇だった――。

その出会いが、静かな均衡を揺るがしてゆく。


「運命の落とし穴」


お陰様で11万PV突破しました↓

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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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