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あなたを守ると決めた日

翌朝――


早朝の稽古場に、乾いた木剣の音が響く。


リオウとフレッドが激しく撃ち合い、その周囲を弟子たちが囲む。


いつもと変わらぬ稽古の風景。


だが、空気が変わった。


「やっておるか」


重く、威厳のある声が場を貫いた。


その瞬間、全員の動きが止まる。

誰もが振り返る。


稽古場の片隅、物陰に隠れるようにして見ていたユウも、息を呑んだ。


――ゴロク。


領主が、直々に姿を現した。


「ゴロク様、おはようございます!」


いち早くジャックが頭を下げ、他の者たちも慌ててそれに続く。


「うむ、皆、早朝からご苦労」


ゆっくりと頷くゴロクの視線が、稽古場の中心に立つ一人に止まる。


「・・・シュリ、よいか」


そう言うと、近くの木剣を手に取る。


その刹那、シュリの心がざわついた。


ほんの数ヶ月前、ゴロクと剣を交えた記憶がよみがえる。


圧倒的な力。


一撃を受けただけで腕が痺れた。


あの剣を真正面から受け止める腕力は、今もない。


だが――


今の自分なら、少しは届くかもしれない。


「はい」


震えを押し殺し、静かに返事をした。


「シリ様が言っていた。お前の剣を見てみろと」

ゴロクのその言葉に、シュリはかすかに身震いがした。


ふたりは対峙した。


重く構えたゴロクの剣に、シュリは身を低くして間合いを詰める。


一瞬の気配を読み、するりと躱す。


「・・・目が良いな」


ゴロクが、満足げに微笑む。


その言葉に励まされるように、シュリは攻めの姿勢を取る。


ゴロクが剣を振り翳すときに開く、ほんのわずかな隙――


そこを狙って、踏み込む。


だが――


「甘い!」


百戦錬磨の剣士は、すでに読んでいた。


剣がふり払われ、シュリの身体が大きく後ろに弾かれる。


必死に踏みとどまり、すぐに再び構え直す。


息が上がっていたが、瞳はまっすぐ、決して折れていなかった。


「・・・わしはずっと疑問だった」


構え直すゴロクが、静かに言う。


「なぜ、亡きグユウ様は男の乳母子を選んだのかと」


シュリの息が止まりそうになる。


「ただの乳母子として育てるなら、女子をつければ良かったはず。

この時代、何が起きても不思議ではない。主君を、本当に守れるのは誰か――」


静かに、しかし圧のある声が響く。


「その答えを、今ここで見た」


シュリの目が揺れる。



剣を構え直しながら、シュリの脳裏にあの日の光景がよみがえる。


――『シュリ、ユウを守ってくれ』

死を覚悟したグユウの声。


震えるユウの手を引いて城を出た、あの夏の日。

泣きながら自分にしがみついた、まだ幼いユウ。


その小さなぬくもりと、グユウの最後の願いが、今でも胸に残っている。


だから、自分はここに立っているのだ。


シュリは、まっすぐにゴロクを見据えた。


「私が、ユウ様を守ります」


荒い息の合間に放たれた言葉は、どこまでも力強く、揺るぎなかった。


「そうだ。ならば強くなれ。お前が、ユウ様の盾となれ!」


ゴロクの剣が打ち込まれる。


それを受けながら、シュリは必死に踏みしめる。


その姿を、誰よりも強く見つめていたのは――


物陰に立つ、ユウだった。


思わず拳を握る。

呼吸が乱れ、胸の奥が熱くなる。


この数日間、心に浮かんでは押し殺していた想い。


「私を・・・守るために、そこまで」


誰にも聞こえないほどの小さな声で、ユウは呟いた。


稽古場では、朝の鍛錬を終えた兵たちが、次第に整列を崩し始めていた。


それを合図に、ユウは一人、静かに場を離れた。


誰にも気づかれぬように、足音を忍ばせて。


けれど、その先に立っていた人物が、ユウの足を止めた。


フィルだった。


柔らかな冬の光に包まれた回廊で、フィルは静かにユウの姿を見つめる。


「あら・・・姫様」


目を細めて、穏やかな声を落とす。


ユウは小さく会釈し、その前を通り過ぎようとした。


だが、フィルはふと視線を向けたまま、ぽつりと呟く。


「あの子・・・バカよね」


その言葉に、ユウの足が止まる。


振り返ると、フィルの視線はまっすぐに、まだ稽古場に立つシュリに注がれていた。


「姫様のために、出世の道を捨てた。重臣にもなれる才を、自分の意思で放り出して

・・・それでも“乳母子”でいたいだなんて」


目元には微かに笑みが浮かぶが、どこか寂しげだった。


「・・・本当に、愚かだわ。そんなに必死になるなんて」


ユウは、何も言えなかった。


心がざわついていた。


フィルの言葉に、反論したかった。


「バカなんかじゃない」と叫びたかった。


けれど、口を開こうとしても、言葉が出てこなかった。


それが図星だったわけではない。


むしろ、誰よりもシュリの誠実さと真っ直ぐさを知っていた。


どれほど覚悟をもって「そばにいる」と言ったかも、誰より理解していた。


ーーなのに、言葉が出ないのは、なぜ?


胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


「・・・じゃあ、あなたは、どうすればよかったと思うの?」


ふいに、自分の声が出た。


静かで、震えるような小さな声だった。


フィルは驚いたようにユウを見つめ、微笑む。


「そうね・・・。私なら、もう少し賢くやるわ」

フィルは窓の外を見つめながら、かすかに目を細めた。


「・・・そうすれば、私は・・・もっと違う未来を得られたかもしれないわね」

少し苦笑いをしながら話す。


「重臣の地位も、権威も、そばにいるための“力”に変える。

その方が、ずっと強く守れるでしょう?」


フィルの言葉に、ユウは黙ったまま、視線を落とした。


ーー正しい。間違っていない。


けれど、シュリは、「力」ではなく「想い」を選んだ。


守るための距離を、近さで得ようとした。


ただ、そばにいて、自分を支えたいと。


それを愚かと笑うなら――

自分もまた、その“愚か”の一部なのかもしれない。


ユウは静かに深呼吸をして、黙ってフィルの前を通り過ぎた。


背後で、風が小さく揺れる。


フィルは、ふっと目を細めたまま、何も言わなかった。


そしてユウは、誰にも見られぬよう、そっと髪に触れた。


触れたそこには――青いリボン。


白百合の刺繍が、静かに揺れていた。


次回ーー明日の9時20分 


紅茶の香る午後、フレッドはふと呟いた。

「惜しい。惜しいな、シュリ」

それは敬意であり、同時に決意の始まりでもあった。


その日の別れ際、フレッドの瞳はいつになく真剣で――

ユウの心を揺さぶる言葉が告げられる。


「君の決断に、俺は焦った」


お陰様で11万PV突破しました↓

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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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