表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
166/267

そばにいるという選択〜私たちの距離が変わるとき〜

その日の夕食は、久しぶりに穏やかで、あたたかな空気に包まれていた。


「今日は、お腹が空いたの」


ユウが微笑みながら、柔らかな鶏肉を口に運ぶ。


頬に少し赤みが差し、瞳には輝きと活気が宿っている。


金色の髪がランプの光を受けてきらめき、その髪には――青いリボンが結ばれていた。


白百合の刺繍がふと揺れた瞬間、部屋の空気がわずかに変わった気がした。


ユウが部屋に入ってきた瞬間、ウイの胸に小さな喜びがこみ上げた。


ーー姉上が笑っている。


この青いリボンが、その笑顔を連れ戻してくれたのかもしれない。


良かった・・・。


ウイはそっとシュリに目を向ける。


気づいたシュリは、少し頬を染めながら無言でうなずき、礼をした。


ーーどんなふうに、渡したんだろう。


聞きたい気持ちはあったが、嬉しそうに食事をとる姉の姿を見て、それ以上を問う必要はないと感じた。


ーー姉上は太陽のようなお人。


その美しすぎる容姿と気高い人柄が多くの人を虜にする。


ユウが笑うと、その場の空気が華やかになる。


逆に気持ちが沈むと、その周辺も暗く澱む。


良くも悪くも、その場の空気を変える力を持つ人なのだ。


「姉上、新しいリボン?」


ウイは分かっていて、つい尋ねてしまう。


「そうなの。きれいでしょ?」


ユウは少し照れたように笑い、リボンに指を添えた。


「とても、似合っています。姉上にぴったりです」


その言葉に、ユウはふと手を止めて、グラスの水を取る。


顔がほんのり赤く染まっていた。


「気に入っているの。・・・とても」


その小さな声とともに、ユウはちらりとシュリを見やった。


シュリも、静かにその視線を受け止める。



ーー元気になって、良かった。


ウイとレイは無言で視線を交わす。


言葉はなくても、お互いの思いは通じていた。




その少し離れた場所。


廊下の影で、食事の様子をうかがっていたエマが、ふっと安堵の息を漏らした。


「・・・食欲が戻ったようですね」


隣にいたヨシノが、静かにうなずく。


「ええ、本当に・・・良かったです」


その横顔には、安堵と同時に、わずかな寂しさがにじんでいた。


「今回の・・・シュリの件。ユウ様のお気持ちを考えると、良かったのかもしれません」


「・・・そうですね」


エマの返答に、ヨシノの目がわずかに伏せられる。


「感情が乱れたユウ様を、落ち着かせられるのは・・・やはり、あの子しかいませんでした」


それが、確かな現実だった。


「・・・私が、もっとユウ様の心に寄り添うべきだったのに」


ヨシノの声が苦しげに震える。


本来、姫の心の拠り所となるのは、乳母――自分のはずだった。


母の代わりとなり、抱きしめ、支える存在でなければならなかった。


けれどユウは、違った。


その想いを預けたのは、自分ではなく、息子のシュリだった。


それを思うたび、どこか胸の奥が疼いた。


「・・・シュリの隣にいるとき、ユウ様は・・・どこか、素直になれるのですね」


「ええ。・・・本当に、そう思います」


ヨシノは小さく笑いながらも、その瞳には複雑な色が浮かんでいた。


ーーそれでも、乳母として・・・いつか、あの絆を見守ることができるだろうか。


何も言わず、窓の外に目を向ける。


夜の帳が降りていく。



その頃、シリの部屋の扉が軽くノックされた。


「どうぞ」


呼びかけると、ゴロクがゆっくりと入ってくる。


「・・・エマは不在か?」


「ええ。子供たちの部屋に。ユウの様子を見に行ってもらいました」


シリは立ち上がり、椅子を勧めた。


ゴロクは少し黙ってから腰を下ろす。


「・・・マナトから聞いた。シュリが、養子の話を断ったと」


「ええ。本人の強い希望でした」


「なぜ・・・」


ゴロクは眉をひそめ、言葉を噛むように続ける。


「マナトには子がいない。もしマナトが重臣を退けば、席が空く。

シュリなら、申し分ない・・・そう思っていたのに」


その声には、期待していたからこその落胆がにじんでいた。


「マナトは妾を取らず、妻一筋ですから・・・次の重臣候補は、改めて探すしかありませんね」


そう言って控えめに笑ったシリに、ゴロクはちらりと視線を送る。


「・・・マナトの妻って、誰だったか?」


「レーク城にいた侍女です。マナトは、彼女をとても大切にしています」


「・・・そうか」


それきり、しばらく言葉がなかった。


やがて、ゴロクは小さくため息をついて呟く。


「明日の朝、シュリの稽古を見よう」


「お願いします」


そう答えたシリの笑みに、ゴロクはふと手を伸ばした。


そっと、シリの手を取る。


突然のことに、シリは戸惑ったように眉を寄せる。


「・・・ゴロク?」


じっと見つめ返してくるその眼差しに、シリはわずかに狼狽えた。


戸惑いと、微かな拒み。


けれどその手は、ぬくもりを伝えた。


「どうして・・・」


ゴロクの手が、自分の手をそっと包む。

シリは目を伏せ、逃げるように小さく笑った。


「今夜は・・・フィルの部屋に行くはずだったでしょう?」


冬の間、妾たちのもとに通うように命じたのは、他でもない自分だ。


その方が、都合がよかった。


心を鈍くできた。


「・・・気が変わった」

ゴロクの手が、そっと自分の腕を引く。


抵抗しようと思えば、できた。

でも、シリは立ち上がってしまう。


ーー愛しているわけじゃない。


その言葉は、喉の奥に沈んでいく。


けれど、拒む理由も見つからなかった。


それが、彼女の選んだ運命。


ーーこれが、私たちの夫婦の形なのね。


「お前の顔を見ていたら、フィルのところになんて行けなくなった」


真っ直ぐにそう告げたゴロクに、シリは言葉を失う。


ふいに訪れた静寂の中で、心の揺らぎだけが音を立てていた。



シリは静かに寝室の扉の前で立ち止まる。

一瞬だけ、扉を見つめたまま、目を閉じた。


そして、無言のまま、その奥へと歩いていった。



ーー数分後。


エマがノックもせずに扉を開けかけて、空気を察して慌てて退いた。


廊下の灯に照らされるエマの頬は、わずかに赤く染まっていた。



予告ーー本日の20時20分


翌朝の稽古場。

領主ゴロクが自ら木剣を手に取り、シュリに挑む。

亡き主の願いを胸に、ユウを守ると誓う乳母子。

その姿を見つめる者たちの心に、静かな波紋が広がっていく。


「あなたを守ると決めた日」



お陰様で11万PV突破しました↓

===================

この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

=================

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ