それはまるで、恋の告白のようで
部屋へ戻る途中、ユウはふと足を止めた。
「ヨシノ、シュリと少し二人で話したいの」
ヨシノは何も言わずに頭を下げ、静かにその場を離れる。
「シュリ、いいかしら」
ユウが少し上を向いて目線を合わせると、シュリは黙ってうなずいた。
二人きりになれる場所──それは、城の最上階にある見張り部屋だった。
「あの部屋、今はあまり使われていないの。人が来ない場所だから、ちょうどいいと思って」
先を歩くユウの背中を見つめながら、シュリの胸は不安で満ちていた。
ーーあれは、出過ぎた振る舞いだったのだろうか。
『ユウ様をお守りしたい』
それは心からの言葉だった。
けれど、ユウにとっては重すぎたのかもしれない。
部屋に着くと、ひんやりとした静寂が満ちていた。
ユウは窓辺に立ち、城下を見下ろす。
「雪があるから・・・春はまだ先だと思っていたけれど・・・日が、長くなってきたわね」
ポツリとつぶやいたその声は、どこか寂しげだった。
「・・・ユウ様、私の発言は、やはりご負担になりましたか?」
シュリは、わずかにうつむきながら問いかけた。
男の乳母子が、年頃の姫に付き従う。
今や、互いに結婚してもおかしくはない年齢だった。
ユウは少しの沈黙の後、振り返った。
「・・・シュリ、あなたはそれでいいの? 私の元で乳母子としてーー終わってしまうのが、勿体ないと思ってしまうの」
それが、例え父の命であっても。
才能ある者を、自分のそばに留めておくことに、ユウは迷いがあった。
「・・・乳母子は、私の任務だと思っていました」
「ええ」
「けれど、今回の話で、違う道もあるのだと知りました」
「・・・そうね」
「でも、私は選んだのです。ユウ様をお守りするのが私の使命だと。出世しなくてもいい。そばで守る方が、大事だと、心からそう思っています」
そのまっすぐな眼差しに、ユウの胸が熱くなる。
「シュリ・・・」
「これは、私が決めたことです。乳母子であることを、自分の意志で選びました。その気持ちは、揺るぎません」
そう言ってシュリはひざまずいた。
それは、主に対する忠誠の誓い。
「・・・シュリ」
ユウは静かに彼の隣に座り込んだ。
「お立ちください」
慌てたシュリの声に、ユウはただ静かに首を振る。
その瞳は、嬉しさに揺れた涙を宿していた。
「・・・あなたの人生を賭けるのに、私は相応しいの? わがままで、気が強いって、よく言われるのよ? それでも・・・?」
「何を今さら」
シュリはそっと微笑んだ。
「全部、知っています。ユウ様のことは。ずっと、そばにいたのですから」
「・・・シュリ。嬉しいわ」
ユウは静かに涙をこぼした。
──その涙を、この手で拭ってあげたい。けれど、それは乳母子のすることではない。
シュリは照れたように目を伏せる。
「シュリ、座らない?」
ユウが硬い床の上にそのまま座ろうとしたので、シュリは慌ててハンカチを差し出し、そっと下に敷いた。
どこでも構わず座ってしまうユウのそばにいるから、ハンカチはいつも手放せなかった。
外は少しずつ暗くなっていく。
ユウは窓の外を見つめながら、ぽつりとつぶやく。
「・・・シュリがいない生活、初めてで・・・寂しかったわ」
そっと彼の顔を見上げる。
その瞳は、どこか求めるように揺れていて──シュリには、それがあまりに切なく映った。
抱き寄せたくなる衝動をおさえながら、シュリは懐から小さな包みを取り出した。
「・・・ユウ様。お誕生日、おめでとうございます」
少し掠れた声でそう言って、包みを差し出す。
「私に?」
ユウが驚いた顔をする。
主から贈り物を渡すことはあっても、使用人からもらうことは滅多にない。
「・・・今日は、お誕生日でしょう?」
シュリの瞳には、緊張と恥ずかしさが混ざっていた。
自分の贈り物なんて──身分違いだと呆れられるのでは、と不安だった。
けれど、包みを開いたユウの表情で、そんな不安はすべて吹き飛んだ。
真っ青なリボンに、白百合の刺繍。
それは、どんな高価な宝石よりも、ユウの胸を打った。
「・・・こんな、美しいものを・・・」
ユウの声が、かすかに震えた。
「シュリ、ありがとう。大事にするわ」
そのリボンを握りしめるユウは、まるで女神のように美しかった。
「シュリ、つけてくれる?」
ユウがリボンを差し出し、自分の髪を指差す。
「ここに」
「・・・はい」
シュリは掠れた声で答え、ユウの背後へまわる。
冬の陽に照らされた金の髪にそっと手を伸ばしたとき、ユウの体がぴくりと震えた。
気づかないふりをして、髪を優しく触る。
後ろ姿の時は、想いを瞳に映すことができる。
ーー好きです。誰よりも。
愛撫するかのように髪を触り、
そっと髪をまとめ、リボンを結ぶ。
「・・・終わりました」
シュリの声もまた、わずかに震えていた。
「どう? 似合う?」
ユウが振り向いて、顔を近づける。
金の髪、白い肌、青い瞳に、青いリボン。
──美しい。言葉にならないほどに。
「・・・とても、お似合いです」
ようやく絞り出した言葉に、ユウも頬を赤らめ、目を伏せた。
その仕草が、愛おしくて、胸を締めつけた。
「・・・さっきの話」
ユウが小さくつぶやく。
「まるで・・・プロポーズみたいだったわ」
ユウがふっと笑って、視線をそらす。
「・・・なんて、冗談よ。でも」
一拍置いて、ぽつりとつぶやく。
「でも、ちょっと・・・嬉しかったの」
その声があまりにか細くて、シュリは思わず息をのむ。
ユウはそっと顔を戻し、彼の肩に頭を預ける。
「・・・なんだか、急にお腹が空いたわ」
夕陽に染まったその横顔は、いつもより少し赤く見えた。
夕陽のせいだろうか。それとも──。
ユウは目を閉じ、静かに寄り添ってくる。
二人の間に、やわらかな沈黙が落ちる。
やがて、外はすっかり薄暗くなっていた。
「・・・もう、戻りましょう。皆が心配しています」
シュリが名残惜しそうに言う。
「・・・そうね」
ユウが彼の顔をじっと見つめた。
その瞳は、なにかを求めているようでーー近い。
シュリは黙って目を伏せ、そっと立ち上がる。
「行きましょう」
声がわずかに震えた。
「ええ」
ユウは手をとって立ち上がり、二人で部屋をあとにした。
扉が静かに閉まったあと──
見張り部屋の奥の影が、ゆっくりと動いた。
誰かが、そこにいたのだ。
長い睫毛がわずかに揺れ、ぽつりと声が落ちる。
「・・・また、見てしまったわ」
その声だけが、静かに部屋に残った。
次回予告ーー明日9時20分
青いリボンが結ばれた瞬間、失われていた笑顔が食卓に戻った。
その光景を見守る妹、複雑な想いを抱く乳母、
そして夜の帳の下で揺れる夫婦の絆。
それぞれの胸に去来する想いは、言葉にならないまま――
静かな夜へと溶けていく。
「そばにいるという選択 〜私たちの距離が変わる時〜」
お陰様で11万PV突破しました↓
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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