君の剣は、私のためじゃない
稽古場を見つめるユウのもとに、リオウがそっと近づいてきた。
「ユウ様、こんなところで何を・・・?」
「別に・・・ただ、通りがかっただけよ」
そう言いながらも、視線は外せなかった。
打ち合うシュリの姿。
遠くにいても、やはり目で追ってしまう。
リオウは、何も言わずに隣に立った。
黙って同じ方向を見つめていたが、ふと静かに言葉を落とした。
「・・・私も、誰かを見つめていたことがあります」
「え?」
「手の届くところにいるのに、手を伸ばしていいのか分からない。
見ているだけで満たされて、それでも、寂しい」
ユウが思わずリオウを見上げた、その瞬間だった。
リオウが少しだけ、顔を傾けて、顔を近づけた。
距離は、指一本ぶんもなかった。
すぐ目の前に、真っ黒の瞳が見える。
「・・・私には時間があまり残されていないんです」
低い声でつぶやく。
その距離の近さに息が止まる。
ーー口づけされる?
ユウの心臓が跳ねる。
身体が固まる。
ーーダメだ。
「・・・リオウ?」
ようやく声を出すと、リオウはすっと顔を戻し、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「失礼。陽が眩しかったので、ちょっと陰に入っただけです」
そう言って、少しだけ視線を外す。
けれどその声音には、どこか照れ隠しのような余韻が残っていた。
ーー今は冬だ。陽の光なんて眩しくないのに。
ユウは自分の頬が少しだけ熱くなっているのを感じ、慌てて目を逸らした。
その時ーー
ふいにユウの前に誰かが立った。
――シュリだった。
まるで庇うように、すっと前に出て、木剣を軽く構える。
「リオウ様。ユウ様との面談や接触は、決められた日以外はご遠慮いただいております」
声は淡々としていた。
けれど、瞳の奥には隠しきれない焦りと熱が渦巻いていた。
リオウは少しだけ口角を上げると、いつもの笑みを浮かべて言う。
「そうでしたね。これは失礼しました」
ユウに目を向けて、丁寧に頭を下げる。
「ユウ様。また改めて」
そのまま稽古場を後にした。
気づけば、稽古場の空気がわずかに変わっていた。
シュリが背後のユウを振り返る。
その顔には、いつになく鋭い色があった。
「ユウ様、一人でこんなところに来てはいけません。何があるかわからないんです」
言葉は静かだったが、その声の端には、抑えきれない感情の波があった。
ユウは小さく肩をすくめ、どこか照れたように、けれど力ない声で返す。
「わかった・・・わかったわ」
その頬は、ほんのりと赤い。
さっきのリオウとのやりとりのせいだろうか。
どこか落ち着かない気配が漂っていた。
久々にみるユウの顔。
ーーやっぱり、美しい。
シュリは、そう思ってしまう自分を叱りたくなった。
「部屋まで、お送りします」
ふたりはゆっくりと、石畳の廊下を並んで歩き出す。
ユウの背中は、どこか心細く、いつもよりも小さく見えた。
「ユウ様・・・少し、痩せられましたか?」
ふいに漏れた問いかけに、ユウは苦笑いを浮かべる。
「そんなことないわ」
――嘘だ。
顔色も悪い。目元もやつれている。
何か言おうとしたシュリの視線を遮るように、ユウは続けた。
「シュリ・・・そんなふうに気にしなくていいのよ」
「え?」
言葉の意味がうまく理解できず、シュリは立ち止まり、ユウを見つめる。
彼女は歩みを止めず、前だけを見て、静かに語った。
「あなたは、重臣になるべき人よ。
私の体調や気分なんかより、もっと大きなものを見なきゃ。
このシズルを守るために、あなたの剣があるのだから」
「ユウ様・・・」
「私のことは気にしないで」
その目はまっすぐだった。
けれど、わずかに滲む翳りは、ヨシノの姿を視界の端に捉えたからかもしれない。
「もう、ここでいいわ。ありがとう、シュリ」
そう言って、ふわりと微笑んだユウの表情は――痛いほど、綺麗だった。
その瞳を、シュリは言葉もなく見つめ続けた。
やがて、ヨシノと共にユウの背が遠ざかっていく。
その途中で、ユウは小さく心の中で呟いた。
――これでいいのよ。
稽古場で木剣を交えていた、あのまっすぐな横顔を思い出す。
――あの顔は、輝いていた。
私のそばにいれば、いつまでも“影”として扱われる。
名前も、立場も、持たないままに。
だから、これでいい。
彼の未来のために、私は――
それでも、傍にいてほしいと思う気持ちを、どうして消せないのだろう。
でも、良いのだ。これで・・・。
ユウは自分に、そう言い聞かせていた。
◇
同じ頃、まだ朝靄が残る頃、エマが一通の手紙を手に現れた。
「西領のジュン様から、お手紙です」
「ジュン殿?」
その名を聞いて、シリはふと穏やかな狸のような顔を思い浮かべた。
「・・・久しぶりだわ」
そう呟いて、封を切る。
封を切り、丁寧な筆跡を追ううちに、その視線が次第に鋭さを帯びる。
「・・・やっぱり、察しているのね」
静かに手紙を折りたたみ、机の上に置く。
「後で、ゴロクに伝えないと・・・」
そう言いながら、シリは窓の外を遠く見つめる。
――ジュンの手紙には“争いを避けよ”と書いてあった。
だが、避けられるとは限らない。
手綱を引くべきか、それとも、刃を抜くべきか。
決断の時が、もうそこまで来ていた。
シリは手紙を机に置き、窓の外を見やった。
「・・・ユウは元気にしている?」
その問いに、エマはわずかに言葉を詰まらせた。
そのタイミングで、部屋の扉がノックされた。
エマが声を落として告げる。
「マナト様がお見えです」
「部屋に通して」
「シュリとヨシノ、ユウ様もお呼びいたしますか?」
「ええ、お願い」
シリの声には、いつになく張り詰めたものがあった。
そして。
シュリは、再びシリの部屋に呼ばれる。
「重臣になるかどうか」
あの日、言えなかった答えを――今度こそ、伝えるために。
次回ーー明日の9時20分
マナトの館で学びを終えたシュリは、シリの私室で最終の問いを受ける。
「重臣となり、マナト家を継ぐ覚悟はあるか」――その答えは、ユウの未来をも変えかねない。
揺らぐ視線の先にあるのは、守りたい“たった一人”。
そして明かされる、亡きグユウとの約束。
静かな朝の光の中、レーク城から続く絆が確かに息づいていた。
「たった一人を守るために」
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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