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わがままでも、あなたがほしい

ユウは部屋を飛び出した。


どこへ行くかなんて、考えるまでもない。


――誰にも見られない場所。誰にも邪魔されない場所。


見張り台の部屋だ。


靴音を響かせ、脇目も振らずに廊下を駆ける。


胸が苦しい。

喉が焼ける。

目の奥が熱くて、息がうまく吸えない。


ーーシュリが、いなくなる。


そんなの、絶対に嫌だった。


生まれたときから、彼はいつもそばにいた。

顔を上げれば、そこにいて。

遠慮がちに、それでも確かに、ユウを見守ってくれていた。


あの穏やかで、温かな時間は、永遠に続くと思っていたのに。


シュリがいない世界なんて、考えたくもない。


それはまるで、空っぽの部屋にひとり閉じ込められるような、

音も色も失った世界だった。


――そんなの、耐えられない!


堪えようとしても、涙が滲む。

熱いものが、頬を伝ってこぼれ落ちる。


「ユウ様!」


後ろから、名を呼ぶ声がした。

その瞬間、ユウは足を止められなかった。

けれど、見張り部屋の手前で、誰かがそっと腕を掴んだ。


「・・・そんなに走ったら、怪我をします」


息を切らせながら、シュリが言った。


彼もまた、全力で走ってきたのだ。


額には汗がにじみ、肩が大きく上下している。


ユウは肩で息をしながら、少しだけ顎を上げた。


「平気よ」


それは、昔からの癖だった。

本当は泣きそうなとき、誰にも気づかれたくないとき、いつもそうやって虚勢を張る。


目元は赤く、唇は強く結ばれている。

涙をこらえる、あの表情。


シュリはそれを見て、ほんの少しだけ、頬を緩めた。


「・・・私のことを、心配してくださって、ありがとうございます」


乱れた息の合間から、優しく言う。

けれどユウはそっぽを向いた。


「べつに・・・」


二人は黙って、部屋に入った。


重い扉が閉まると同時に、シュリは質問をした。


「私が、重臣になるのは・・・嫌ですか?」


その問いに、ユウはぎゅっと唇を噛み、目を伏せた。

ひと呼吸おいてから、喉の奥を鳴らして言う。


「・・・そんなことない。重臣になることは名誉よ。・・・絶好の機会じゃない」


声は硬く、平坦だった。


「・・・でも、争いに出るのは・・・」


少し震えた声で、彼女は言葉を続ける。


「・・・嫌かも・・・シュリが死んでしまうかもしれない・・・」


「そんなことは――」


「あるわよ!!」


その瞬間、ユウが顔を上げて叫んだ。


そして次の一拍で、すさまじい勢いでシュリに抱きついた。


「ユ、ユウ様・・・?」


突然のことに、シュリの身体が硬直する。


けれど、ユウは気にせず、彼の胸に顔を押しつけた。


「嫌・・・! それだけは絶対に嫌・・・!!」


強い声だった。


涙と一緒に、感情がすべて流れ出していくような叫び。


「ユウ様・・・なぜ、そこまで・・・」


戸惑いながら、シュリが問いかける。


その言葉に、ユウが顔を上げた。

その美しい青い瞳は、涙で霞んでいる。


「・・・争いに行ったら、死んでしまうの・・・。

・・・父上みたいに・・・シュリも、死んでしまうの?」


ぽろぽろと、大粒の涙がこぼれ落ちる。

止めようとしても止まらなかった。


シュリは何も言えず、その瞳をただ見つめた。


心が軋む。


胸が熱くなる。


その瞳があまりにも綺麗で、近すぎて。


気づけば、唇を寄せたい衝動が押し寄せてきていた。


――だめだ。それは、してはいけない。


シュリは深く息を吸い、熱を鎮めるようにそっと吐いた。


「大丈夫ですよ」


そう言って、ユウの髪をやさしく撫でた。


「そんなの・・・信用できない!」


ユウの叫びは、炎のようだった。


痛みと恐怖が混ざり合い、抑えきれない感情があふれていく。


――ああ、これは。止めても無駄だ。


感情が爆発するのを、ただ見守るしかない。


「大丈夫ですから」


シュリはもう一度、なだめるように言った。


手のひらが、ユウの髪を優しく撫で続ける。


「いやよ・・・嫌・・・」


ユウは泣きながら、何度も繰り返した。


その声は幼く、切なく、心を締めつけるようだった。


シュリは何も言わず、ただその背中を支えていた。


ユウの涙が、静かにシュリの胸元を濡らしていった。


しばらくの間、ふたりの間には、涙と鼓動だけがあった。


ユウの嗚咽は次第に小さくなり、代わりに微かな震えが残る。


身体を預けたまま、彼女はシュリの胸元で呼吸を整えていた。


どれほどの時間が流れただろうか。


見張り台の外からは、かすかに風の音が聞こえてくる。


午後の陽が傾きかけた窓から差し込んだ光が、床に斜めの影を落とした。


ユウはようやく、シュリの胸から顔を離した。

瞳は赤く腫れ、頬には涙の跡が濃く残っている。


「・・・ごめんなさい」


ぽつりと、小さく。


「子どもみたいに、泣いちゃって・・・」


シュリはそっと首を横に振る。


「いいえ。泣いてくださって、嬉しかったです」


ユウが驚いたように目を見開いた。


「私が誰かのために必要とされていると、そう思えるだけで、胸がいっぱいになります」


その穏やかな声に、ユウの表情が少し緩む。


自分が言っていることは、わがままだ。

ユウにも、それは分かっていた。


――そばにいてほしい。


それは、自分のための願いだ。


もしも逆の立場だったらどうだろう。


シュリに、「他の領主と結婚しないでくれ」と言われたら――きっと、胸が苦しくなる。


苦しくて、どうしていいか分からなくなる。


それなのに、自分はシュリに縋っている。


全てを受け止めてくれる彼に、甘えている。


「・・・シュリ、ごめんね」


ぽつりと、ユウは呟いた。


そして、そのままそっと顔を彼の胸に埋めた。


「わかってるの。これは、私のわがままなの。

引き止めることも、そばにいてって願うことも・・・全部」


胸元に伝わるユウの声は、小さく震えていた。


少しの沈黙のあと。


ユウは顔を上げて、シュリを見つめた。


その瞳は涙に濡れていたけれど、今はもう、まっすぐだった。


「・・・シュリが、重臣になったら・・・」


「・・・その時は、私のこと、支えてくれる?」


震える声で、けれど必死に感情を整えながら、ユウは言った。


その目は、真剣そのものだった。


シュリは、ためらいなく頷いた。


「もちろんです」


言葉は短く、けれど、どこまでも真摯だった。


「どんな立場になっても、私はユウ様をお守りします。・・・いつでも、そばで支えます」


その一言に、ユウは目を伏せ、そっとシュリの胸に再び抱きついた。


「・・・それなら・・・良いわ」


ーーもう、わがままだとは言わない。


彼の誓いに、心が救われたから。


シュリは何も言わず、ただその髪をやさしく撫で続けた。


風の音だけが、静かに吹き抜けていった。




ーー次回 明日の9時20分


シュリをマナトの館に預ける――

シリの提案によって、ユウとシュリは初めて離れ離れの生活を送ることになった。

日常の喪失に沈むユウ、そして新たな世界で揺れるシュリ。

養子の誘いに迷いを抱く彼に、フレッドのまっすぐな期待と、フィルの鋭い言葉が突き刺さる。

二人の未来は、離れて初めて動き出す


『お守りの終わり』


お陰様で11万PV突破しました↓

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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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