あなたを失いたくない
マナトはその足で、まっすぐにシリの部屋へ向かった。
「シリ様、よろしいでしょうか」
扉の外から声をかけると、少しの間をおいて中から返事が返る。
「どうぞ」
頭を下げて中へ入ると、シリが静かに席を勧めた。隣にはエマが控えている。
「急な訪問で失礼いたします」
エマが湯気の立つ茶を差し出す。受け取った手に力を込めてから、マナトは口を開いた。
「・・・実は、本日はシュリのことでご相談があり、伺いました」
シリが静かに頷く。
「・・・シュリを、我が家の養子に迎えたいのです」
その一言に、シリの目がわずかに見開かれた。
「シュリを・・・養子に?」
「はい。あの子は剣の才にも恵まれ、何より心がまっすぐです。
今日の稽古で確信いたしました。武家の家に迎え入れ、名を与えたいと」
思いがけぬ申し出に、シリはすぐには返答できず、そっとエマに目をやった。
エマは一拍おいて口を開く。
「・・・ええ、良いお話だと思います」
そう言いながらも、声音はどこか歯切れが悪い。
ーーこの空気は何だ?
マナトは疑問を抱える。
言葉にせずとも伝わってくる何かがあった。
“喜ばれるはずの話”が、まるで重荷のように受け取られている――そんな気配。
ーーどうしてだ?
乳母子が家を持つなど、出世の道としては破格の話のはずだ。
乳母子にも出世の機会はある。
だが、それは男の跡継ぎに仕えた場合の話。
姫付きの乳母子は、そもそも「昇進」の道がない。
光の中へ出ることは、ほとんどない。
ーー良い話のはずなのに。
マナトは心の中で呟いた。
トドメを指すようにマナトは話を続ける。
「例えばーー、ユウ様がここの妃になったのなら」
マナトはつっかえながら話す。
ゴロクがユウに婿をとらす。
その相手はフレッドかリオウかーー。
どこからともなく、そんな噂が城内に蔓延していた。
秘密のはずーーけれど、それは皆が把握している出来事だった。
「重臣にセン家出身のものが1人いたら、心強いでしょう」
マナトは勇気を出して話した。
ーーこの発言は決め手になる。
そう思っていた。
重臣の発言力は重い。
シズル感出身で固められた重臣に、セン家の家来が入ることで多様な視点が得られる。
ユウ様に寄り添える重臣になる。
マナトの考えは、的確だった。
シリは小さなため息をつき話す。
「大切なのは、シュリの気持ちだわ。本人の意志を聞かずに決めることではありません」
マナトは頷いた。
「もちろんです。ですから、ぜひシュリ本人にも――」
「ユウ様もご一緒に」
エマが添えるように言った。
「・・・そうね。シュリはユウの乳母子。本人だけでなく、ユウの想いも聞くべきね」
そう言って、シリは小さく息をつき、視線をエマに移した。
「エマ。シュリとユウを・・・そして、ヨシノも呼んでください」
「かしこまりました」
エマが立ち上がり、そっと部屋を出ていく。
静かな空気が、部屋を満たしていた。
「ユウ様、シュリと一緒に部屋までお越しください」
いつもと違う、どこか張り詰めたエマの声音に、ユウは首を傾げた。
『シュリと一緒に』なんて、あえて言われることは今まで一度もなかった。
彼は、常に自分のそばにいた。それをわざわざ言葉にする必要などなかったのに。
「ヨシノ、あなたもご同行を」
エマの指示に、ヨシノも静かにうなずく。
そのまま、全員でシリの部屋へと向かうと、中にはすでにマナトが座っていた。
シリは穏やかな笑みを浮かべながらも、どこか張り詰めた空気をまとっている。
「シュリ」
シリは椅子に腰かけたまま、まっすぐ彼を見つめて言った。
「あなたに、養子の話が来ています」
思わず、部屋の空気が止まった。
驚いて顔を上げたのは、シュリだけではなかった。
ヨシノも、そして――ユウの瞳が大きく見開かれる。
その目は、ただ呆然と宙をさまよっていた。
シリの簡潔な説明のあと、マナトがにこやかに前へ進み出る。
「シュリ。今日の稽古を見ていて確信した。
お前には剣の才がある。乳母子として終わるには、あまりに惜しい」
静かに、けれど熱を込めて語る。
「我が家の養子となれば、将来は重臣。今より遥かに高い地位と暮らしを約束できる。どうだ?」
部屋の空気が再び、じわりと揺らいだ。
重臣、それは夢物語のような話だった。
身分制度が絶対とされるこの時代、乳母子が武家の養子になるなど、ほとんど前例がない。
シュリは言葉を探すように口を開きかけて、また閉じる。
一度だけ、そっとユウを見た。
けれど、ユウはじっと俯いたまま動かない。
その横顔を見て、シュリは再び口を開いた。
出てきた言葉は、それだけだった。
「・・・そうですね・・・」
自分にとっては、あまりにも突然で、現実味のない話だった。
その沈黙の中で、ユウは静かに彼を見つめていた。
唇をきゅっと結び、膝の上で組んだ手が、わずかに震えている。
視線はシュリに向いているが、どこか遠くを見ているようでもあった。
その目に、恐れとも焦りともつかない色が滲んでいく。
やがて、ぽつりと口を開いた。
「・・・重臣になれば、戦にも出るの?」
ユウの声が、かすかに震えていた。
「はい。もちろんです」
マナトはまっすぐに応じる。
「剣を学ぶ者は、いつか命をかけて主を守る覚悟が必要です。
シュリの剣は、実戦でも通じる。乳母子のまま終わらせるには、あまりにも惜しい」
その言葉に、ユウの顔がわずかに引きつった。
ユウの手が、スカートの生地をぎゅっと握っていた。
呼吸が浅く、顔には焦りとも怒りともつかない色が滲む。
そして――
「・・・いや」
ぴん、と部屋の空気が張り詰めた。
それは鋭く、凍てつくような声だった。
「シュリが・・・戦に行くなんて、嫌」
ユウの声が震えながらも、確かな意志を持っていた。
「死んでしまうかもしれないのよ! そんなの、絶対に嫌!!」
「しかし・・・それが重臣の務めです。主君を守る、それが――」
「そんなこと、知らない!!」
マナトの言葉を遮るように、ユウが叫んだ。
「シュリがいないなんて、耐えられない!! そばにいなきゃ、嫌なの!!」
その瞬間、部屋にいた全員が息を呑んだ。
ユウの叫びは、ただの拒絶ではなかった。
それは、心の底からの本音――「喪失への恐れ」だった。
そして。
そのまま、ユウは稲妻のように立ち上がり、椅子を倒す勢いで部屋を飛び出していった。
「ユウ様!」
ヨシノが呼びかけようとしたが、それより早く。
「・・・失礼します」
シュリが一言だけ残して、静かに部屋を出て行った。
誰の目も見ず、ただまっすぐに――ユウの後を追って。
久々に・・・ポイントが動きました(涙)
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次回ーー本日の20時20分
シュリを養子に――突然の申し出に、ユウは耐えきれず部屋を飛び出した。
向かった先は、誰にも邪魔されない見張り部屋。
追いかけてきたシュリに、抑えきれない涙と本音があふれる。
「そばにいなきゃ、嫌なの!」
抱きしめ、引き止め、それでも彼は重臣になる道を選ぶのか――。
揺れる心と誓いが交差する、午後の見張り部屋での出来事。
『わがままでも、そばにいて』
お陰様で11万PV突破しました↓
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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