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好いていない人と、結ばれる日

「・・・エマから聞いた。フレッドも、リオウも・・・ユウ様に夢中らしいな」


雪の静けさが残る午後、執務机に並んで立つゴロクがぼそりとつぶやいた。


「ええ。あのふたり、どちらがユウにふさわしいのでしょう」


茶器に手を伸ばしながら、シリが首をかしげる。


「それを見極めるには、それぞれの立場と人柄を考えねばならん」


ゴロクは小さくうなずくと、まずはフレッドについて語り始めた。


「フレッドは、明るく朗らか。少年兵にも慕われておるし、領主としての器も十分だ」


「重臣の家の出では・・・他の領主たちとの釣り合いが、問題になるかもしれませんね」


「うむ」


一拍置いて、今度はリオウの話題へと移る。


「リオウは家柄も良い。滅びたとはいえ、

コク家の名は重みがある。周囲への示しという点では、申し分ない」


「ですが・・・ここの家臣となってからは、日が浅いのですよね」


「加えて、寡黙すぎる。・・・人を率いるには、信を得ねばならん。言葉は、その要だ」


ゴロクはうなりながら顎に手を当てた。


エマからの報告によれば、

ユウはどちらの青年とも穏やかに過ごしているが、まだ心は決まっていないようだった。


「シリ様の見立ては?」


と問われ、シリは少しだけ視線を下げて笑う。


「どちらも、素晴らしい青年です。・・・こうして悩めること自体、ありがたいことかもしれません」


「・・・そうか」


ゴロクの肩がわずかに緩んだ。


その目には、戦の策を練る時とはまた違う、深い思案の色が滲んでいた。


「ゴロク、ユウのために、いろいろありがとう」


ゴロクは低く笑った。


「それも、あなたのお子だからだ。・・・結婚相手を一緒に考えるくらい、当然だ」


その言葉のあと、ゴロクはそっと手を伸ばし、シリの肩に触れた。


その瞬間、彼女の表情に、ほんの一瞬だけ翳りがさす。


けれど、すぐにそれを押し込め、彼女は静かに目を閉じた。


背中に腕を回しながらも、ゴロクはどこかで、

これは妃の心に踏み込む行為ではないかという後ろめたさを感じていた。


背後から、そっとシリを抱き寄せる。


厚い胸板の温もりと、重さを帯びた静かな呼吸が背中越しに伝わってくる。


――来る。次は、たぶん。


シリはごくわずかにまつげを伏せた。


背筋を固くしないように意識していても、肩にわずかな緊張が走る。


年を重ねてもなお、この距離に慣れることはなかった。


ーー口づけ・・・?


予感が胸に広がる。

けれど、どうしても心が追いつかない。


恋情ではない。

情はあっても、そこに愛はない。

そう自分に言い聞かせるたび、どこかがひんやりと冷える。


それでも、抗うことはしない。

抗えないのではなく、拒む理由を持たぬ自分を――彼女は、誰よりよく知っていた。


ほんのひと呼吸、息を止めた。


目を閉じたままのシリは、そっと自分の感情を胸の奥に押し戻した。



ゴロクが去った後、部屋には一瞬、張りつめたような静けさが残った。


シリは背後の扉が優しく閉まる音を聞きながら、ゆっくりと息を吐く。


窓の外は夕暮れが始まりかけていた。


雪に染まった庭に、薄い茜色の光が差し込んでいる。


その光の中に、ひとつの影が現れた。

扉が控えめにノックされる。音は小さかったが、シリにはすぐに誰だかわかった。


「・・・ユウ?」


返事の代わりに、扉が静かに開かれた。


ユウはいつもより少しだけ表情が硬く、何かを噛みしめるように唇を結んでいた。


「・・・少し、お時間をいただけますか」


その声音に、どこか迷いと焦りが混ざっていた。


シリはうなずき、席を促す。


ーーああ・・・来たのね。


心のどこかで予感していたことだった。


「もちろんよ。座って」


優しく勧められた椅子に、ユウはどこかぎこちなく腰を下ろす。


強ばった表情のまま、視線は俯いたままだ。


「どうしたの?」


問いかけは柔らかかった。けれど、ユウの肩がぴくりと揺れる。


「・・・昨日、リオウに・・・プロポーズをされました」


震える声で絞り出すように言った。


「まあ」


シリは驚きの声を漏らし、娘の顔を覗き込む。


だが、ユウは何も答えず、ただ静かに視線を落とした。


「それで・・・なんと返事を?」


少し間を置いて尋ねると、ユウは小さく首を横に振った。


「・・・答えられませんでした」


「そう。・・・リオウは嫌いなの?」


「嫌いでは・・・ありません。ですが、好きかと聞かれると・・・」


そこまで言って、ユウは不意に顔を上げた。


瞳に、迷いと苦しさがにじんでいる。


「母上、私にはできません・・・。

好いてもいない人と結婚して・・・ましてや、子供をつくるなんて・・・考えられません」


言い終えた瞬間、ユウの顔に後悔の色が浮かぶ。


思わず口にした言葉が、姫としての自分にそぐわないものだと、わかっていたのだ。


けれど、シリは穏やかに微笑みながら言った。


「気持ちは、よくわかるわ」


その言葉に、ユウの目が驚いたように見開かれる。


「領民のように、好きな人と結ばれることができたら・・・

どんなに幸せだろうって、思ったことは何度もあるわよ」


「・・・母上も?」


「ええ。何百回もあるわ」


静かに微笑む母の顔を、ユウはじっと見つめる。


「母上は・・・好いていない人と、そういうことをするのが・・・つらくないのですか?」


“そんなことはない”――それが妃としての正しい返答だった。


だが、目の前にいるのは、幼い頃から愛し守ってきた娘だ。


言うべきことではなく、伝えるべきことを選ぶ。


「・・・そうね。本音を言えば、嫌だわ」


シリはそっと目を伏せる。


つい数時間前の、あの瞬間が脳裏をよぎった。


「それが妃の務めだとしても・・・好いている人のほうが、ずっといい」


「私は・・・母上のようにはなれません」


ユウの声はかすかに震えていた。


「それでいいのよ。でも、いずれ“守りたいもの”ができた時、あなたもきっと選ぶことになるわ」


「・・・守るもの?」


「そう。領でも、民でも・・・家族でも。

自分以外の何かを、本気で守ろうとしたとき、人は変わるの。感情だけでは動けなくなる」


ユウはしばらく黙ったまま、何かを探るように問いかけた。


「母上は・・・守るものが、あったから・・・ゴロク様と・・・」


「そう。あなたたちよ」


シリの言葉に、ユウの瞳が揺れる。


「私たちのために、自分を犠牲にしているのですか?」


「違うわ。自分のためよ」


シリはきっぱりと答えた。


「私は、グユウさんと約束をしたの。

あなたたちの成長を見届け、セン家の血を守ると。だから生きると決めたのよ」


ユウは静かに頷いた。


「グユウさんは、死ぬことを選んだとき、自分で選べるのは幸せなことだって・・・手紙に書いていたわ。

だから私は、生きることを選んだ。あなたたちを見届けるために。

彼の命と引き換えに残った私の命を、胸を張って使いたいの」


「・・・母上」


「あなたは、まだ私とゴロクの庇護のもとにいる。まだ覚悟がなくて当然。それでいいの」


ユウは唇を噛み締め、小さくうなずいた。


ーー自分は、まだ母のようにはなれない。


けれど――「守るもの」ができたとき、きっと、少しは変われるのかもしれない。


その守るものは、自分にはできるのだろうか?


疑問が浮かぶ。


「すぐに結論を出す必要はないの」

シリは微笑む。


「急いで大人になる必要なんてないのよ」


そう呟いた、そっと娘を抱きしめた。



次回ーー本日の20時20分


朝の稽古場でぶつかる木剣――フレッド、リオウ、そしてシュリ。

その一方で、密書を胸に秘めたノアは、雪の中で杭を打つシリと出会う。

「守りたいものがあるから」

揺るがぬ覚悟を語る妃の言葉が、ノアの心を揺らす。

同じ頃、ウイは密かに縫い上げた白百合の刺繍リボンを、

姉が想いを寄せる相手へと託そうとしていた――。


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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/


兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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