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あの人の隣に、なれるなら

ウイは城の回廊の柱の陰に身を寄せていた。


「トイレに行ってきます」と告げて席を立ったのは、ほんの数分前のこと。


けれど、本当の目的は別にあった。


どうしても、見ずにはいられなかったのだ。


ーー今日のリオウ様は、いつもと違っていた。


姉上に声をかけたときの眼差しが・・・熱を帯びていた。

まるで、何かを決意した人のように。


中庭には、姉とリオウ様。


二人が並んで立ち、そして、リオウ様が跪いた。


その瞳が真っ直ぐに姉を見つめ、言葉を紡いでいく。


そして、彼は姉の髪にそっと唇を寄せた。


まるで、壊れ物を扱うかのような、優しく、慈しむ仕草だった。


その瞬間、ウイの足元から何かが崩れ落ちた。


ぐらりと身体が揺れ、柱に手をついてなんとか踏みとどまる。


ーーわかっていた。


初めて出会ったときから、あの人の視線は姉に向いていたこと。


一度だって、自分を見たことなんてなかった。


知っていた。


だから、期待しないようにしてきた。


けれど。


頬をつたう涙は、思いのほか温かく、止まらない。


唇を噛んで、声が漏れそうになるのを必死に堪える。


この感情に、名前をつけることすらできない。


ただ、心が痛くて、悲しくて、悔しくて。


それでも、姉のことが大好きだから。


あの人のことも・・・本当に、大好きだったから。


ウイはそっと、柱の影にしゃがみ込んだ。

こらえきれなかった想いが、ぽたりと床に落ちていった。



同じ頃、


シリとミコが穏やかに言葉を交わすのを確認し、エマはそっと席を外した。


ーー気になっていたのだ。


あのふたりのことが。


窓辺に立ち、外をのぞく。


雪の光が反射する中庭で、ユウとリオウが並んでいる。


その距離がすっと近づいたと思うと、リオウがゆっくりと跪いた。


言葉は聞こえない。


けれど、あの表情と動きは・・・間違いない。


ーー求婚だ。


遠目に見ても、リオウの想いは真剣で、ユウは戸惑いながらも真っ直ぐに受け止めている。


美しい、と思った。


立ち姿も心の在り方も、互いに釣り合って見えた。


けれど、胸の奥にふと、冷たいものが過った。


ーーユウの激しさ。


時に歯を食いしばり、周囲を見返すような目をするあの子は、

まだ柔らかさよりも鋭さを纏って生きている。


強く見えるけれど、本当は脆い。


感情が高ぶれば言葉も涙も止まらず、時には自分自身を傷つけそうになる。


――リオウ様に、その気性が受け止められるのだろうか。


静かに立ち尽くすエマの脳裏に、かつての“あの人”の面影がよぎった。


シリ様の兄、ゼンシ様。


彼もまた、天賦のカリスマ性と、情緒の不安定さを併せ持つ人だった。


ユウには、どこかゼンシ様と似たところがある。


その鋭さが、時に自分をも他人をも追い詰める。


けれど、放っておけないほどに、人の心を惹きつけてしまうのだ。


エマは知らず、窓枠をぎゅっと握っていた。


願わくば、ユウが自分を追い詰める恋ではなく、寄り添える人・・・。


その相手はーー跪くリオウではなく、少し離れた柱の影にいる乳母子 シュリだった。


「どうして、あの子は乳母子なの」


エマの呟いた声は、冬の窓に響いた。



ソリの鈴の音が、雪の静けさにやわらかく響いていた。


リオウと母ミコは、寄り添うようにして館へと戻っていた。


「・・・あれが、兄上の奥方だった方なのね」


ふいに口を開いたミコは、遠くを見つめたままつぶやく。


「噂に違わぬお方。気品があって・・・とても美しい」


「・・・はい。シリ様は、とても聡明で優しい方です」

リオウは静かにうなずいた。


その答えには、初めて会った日の印象も混じっていた。


城の中心に静かに座しながら、誰よりも場を支配している。


――そんな存在感を、リオウは確かに感じていた。



「そして、姫君のユウ様」

ミコはそっとリオウの横顔を見た。


「あなたが“家を捨ててもよい”と思うほどの方なのね。まるで・・・シリ様に瓜二つ」


「・・・はい」

短く返した声には、熱がこもっていた。


ミコは目を伏せ、流れる木々を眺める。


「三人とも、美しいわ。末のレイ様は、兄上に似ているけれど・・・

それでもやはり、シリ様の面影がある」


「・・・セン家の血が一番強く出ていると思います」

リオウは答えるが、目はぼんやりと前を見つめていた。


「そして、真ん中の子。ウイ様」

ミコがそっと名前を口にした。


「ウイ様・・・」


リオウはわずかに首をかしげた。


笑顔が印象的な娘だが、具体的な顔の輪郭がすぐに浮かばない。


「よく笑って、まわりをよく見ている賢い子よ。ああいう子は・・・人を支える器量があるわ」

ミコは淡く微笑んだ。


「・・・そうですね」


リオウはそう言いながらも、心はもう――


あの時、ユウが目を伏せた瞬間の表情、頬を染めた横顔、

そして小さく震える声にすべてを奪われていた。


ーーあの姫君の笑顔を、もう一度見たい。


そんな想いが、胸の奥でふくらんでいくのを、ミコは気づいていたかもしれない。



その日の夕方、ユウは中庭にひとり立っていた。


冬の冷たい空気のなか、空を仰いでいた彼女の背に、淡い西陽が差している。


少し離れた場所で、シュリが黙って佇んでいた。


いつものように。


けれど、今日はどこか、空気が違っていた。


ユウはふっと小さなため息を吐いた。


「・・・シュリ」


呼びかけは、ごく控えめだった。


けれど、それだけでシュリは歩み寄り、静かに立ち止まる。


ユウは振り向かないまま、ぽつりと口を開いた。


「・・・聞いていたでしょう?」


「・・・はい」


頷くシュリの声もまた、静かだった。


「突然で・・・私も驚いたわ」


ユウはそう言って、小さく首を傾ける。


「昔から・・・憧れていたのよ。いつか、誰かに好きだと言われる日が来るのだろうって。

どんな人が、どんなふうに言ってくれるのか、ずっと夢見ていた」


「・・・そうでしたか」


「リオウ様は、とても素敵な方よね。見た目も、立場も、将来もある。

きっと多くの娘が羨むような、理想的な相手」


そう言いながらも、ユウの声に力はなかった。


「でも、実際にその時が来たら・・・思っていたのと違ったの。

天にも昇るような心地になるかと思っていたのに・・・。現実は、ずっと・・・難しいものね」


呟くようにそう言って、ユウは初めてシュリの方を見た。


その青い瞳に、困惑と、痛みと――どこか、さみしさが揺れていた。


「・・・それって・・・」


思わず声を漏らしたシュリに、ユウはそっと微笑む。


けれど、それはどこか諦めを帯びた笑みだった。


「私はまだ・・・姫として、未熟なのかもしれないわ。

何が正しいのかも、どう生きるべきなのかも、わからなくて」


ーー母のように、すべてを受け止められる器はない。


ユウは、小さなため息をこぼした。


母の背中は、いつも遠く、そしてまぶしかった。


「ユウ様は・・・」


そう言いかけて、シュリは言葉を飲み込んだ。

どんな言葉を重ねても、今の彼女の心には届かない気がして。


ユウはふっと息を吐き、視線を外す。


「ごめんなさい、変なことを言ったわね。・・・でも、話せてよかった」


そう言って、また彼に視線を向ける。


「あなたには・・・何も隠せないのね。昔から、そうだった」


彼女の微笑みが、今度はほんの少し、あたたかく緩んだ。


風が吹いた。


ユウの髪が舞い、シュリの頬をかすめる。


「ありがとう、シュリ。いてくれて」


その言葉に、シュリはただ、深く頭を下げることしかできなかった。


ーーその距離が、いつか埋まる日は来るのだろうか。


けれど、今はただ、その背を見つめるだけで精一杯だった。



次回ーー明日の9時20分


雪の午後、揺れる娘の心を前に、母は静かに語りはじめた。

「好いていない人との結婚は、妃の務めでも・・・嫌なものよ」

ユウの迷い、シリの覚悟――そして胸に秘めた、亡き夫との約束。

守るべきもののために生きる母と、まだ答えを出せない娘。

二人の本音が交わるとき、選ぶべき未来が見えてくる――。


『好いてない人と、結ばれる時』


お陰様で11万PV突破しました↓

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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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