誰かのものになっていく、その人を
三日後、エマが三姉妹の部屋を訪れた。
「ユウ様、今日はリオウ様がお母上と共に来られます」
「・・・そうだったわね」
ユウが小さくうなずくと、エマは続けた。
「シリ様もご一緒に、お茶の席に出られます」
すると、レイがふと問いかける。
「リオウ様のお母様って、私たちにとって叔母にあたるのよね?」
「はい、そうです。ウイ様もレイ様も、お行儀よくお迎えしてくださいね」
午前中、リオウとその母・ミコが城の客間を訪れた。
「はじめまして」
柔らかく挨拶するミコに、シリは優しい微笑みを返す。
グユウの妹であるミコとは、今日が初対面だった。
控えめに言葉を選びながらも、落ち着いた所作と声の調子は、どこか亡き義母を思わせる。
そのミコが、ふとユウに視線を向けた。
まっすぐに、けれど柔らかく、息子を見守るような眼差しで。
ユウはその視線に気づき、どこか背筋が伸びる思いがした。
彼女の眼差しが、何かを促しているように感じたのは・・・気のせいだったのだろうか。
「シリ様、このたびは士官の件でお世話になりました」
そう頭を下げるミコに、シリは「とんでもないことです」と応じた。
やがて、三姉妹を交えたお茶の席では、グユウや義父母の思い出話に花が咲く。
和やかな空気に包まれたひとときが、ゆっくりと流れていった。
お茶の時間が終わりに近づいた頃、リオウがそっと立ち上がり、ユウのそばへと歩み寄る。
「・・・少し、お話しできませんか」
その言葉にユウは戸惑い、視線をわずかに泳がせた。
すぐ横にいたエマが、小さく、しかし力強く囁く。
「行ってください、ユウ様」
ユウははっとして顔を上げた。
「シュリ、あなたも」
見張りとして命じられた少年は、無言でうなずく。
やがて三人は席を外す。
中庭へと向かうユウとリオウの後ろを、シュリが静かに付き従った。
中庭は雪かきされ、歩きやすく整えられていた。
ーーシリ様が命じたのだろう。
客人を迎える日の細やかな気配りは、城中の誰もが知っている。
中庭を望む回廊に、ユウとリオウは並んで立っていた。
雪の光が差し込むその場所は、ふたりの姿を柔らかく照らす。
遠巻きに見守るシュリの目に映るのは、まるで絵のように並ぶ長身の美男美女。
たしかに“お似合い”なのだ――そう、誰が見ても。
けれど胸の奥が、静かに軋んだ。
ーーこれからも、ずっとこうして見守るんだ。
ユウの乳母子として傍にいることは、誇りであり、幸せでもある。
けれどそれは、時に切ない任務にもなる。
好いているその人が、誰かと結ばれていく姿を見届ける役目――
それが、自分に課せられた立場なのだ。
「今日は、母との面会・・・ありがとうございました」
静かに口を開いたのは、リオウだった。
「いえ。お会いできて・・・母上も嬉しそうでした」
ユウは小さく微笑みながら答える。
その顔を、リオウはそっと見つめる。
まっすぐに。
隠すことなく、真正面から。
ーーそんな目で見られたら。
落ち着かない気持ちが、胸の奥からふつふつと湧いてくる。
ユウはそっと自分の長い髪を耳にかけた。
視線を避けようとする自分を、少し情けなく思いながら。
リオウは多くを語らない青年だ。
けれど、その分だけ――言葉ではなく、視線で想いを伝えてくる。
その目があまりに真剣で、ユウの胸は締めつけられるように苦しくなる。
ーーどうして、この人を好きになれないのだろう。
背も高く、父譲りの端正な顔立ち。
剣にも優れ、礼儀もわきまえている。
結婚相手として申し分ない青年――誰もがそう言うだろう。
それでも、心が動かない。
そんな自問を繰り返すうちに、リオウが不意に片膝をついた。
「え・・・?」
戸惑うユウの前で、リオウは静かに顔を上げ、彼女の手を取り――
リオウは雪の残る石畳に跪き、ユウの手をそっと取る。
「ユウ様、私はあなたを好いています」
言葉は静かだったが、心の奥底から紡ぎ出されたような響きがあった。
ユウは息をのむ。
その言葉を、聞きたくなかったわけではない。
けれど、こんなにもまっすぐに、真正面から向けられるとは思っていなかった。
リオウの手は冷たかった。
けれど、その目には火が灯っている。
「初めてお会いしたときから、ずっと・・・あなたのことを想っていました。
笑った顔も、黙って本を読んでいる横顔も、その手も――すべてが、心に残っています」
「リオウ・・・」
「あなたのそばにいたい。あなたを守りたい。
それが、私のただひとつの願いです。
どうか――私に、あなたの伴侶となることをお許し願えませんか?」
頭を下げるリオウの額に、白い光が差し込む。
雪が静かに舞う回廊で、跪く青年と、その言葉に言葉を返せない姫。
ーーこれが、噂に聞く――プロポーズ。
ユウは身を固くしていた。
まさか本当に、この場でその言葉を聞くことになるとは思っていなかった。
リオウは黙って、ただユウを見つめている。
その視線の強さに、ユウは思わず小さく息を飲んだ。
「あ・・・」
何を言えばいいのかわからない。
喉が張りつくように乾いて、声がうまく出せない。
「まだ・・・私・・・わからなくて」
かすれた声で、ようやくそれだけを言った。
逃げるように視線を彷徨わせた先、柱の陰で俯いているシュリの姿が目に入る。
――もし、あの人に同じことを言われたら。私は、どう答えるのだろう。
その問いの答えは、自分の中にはっきりとあった。
ユウはそっと目を伏せる。
――好いている人と結ばれたい。そう思う自分は、まだ未熟なのかもしれない。
戸惑いと願いが交差する中で、リオウがやさしく微笑んだ。
「・・・良いのです。今すぐ答えが出なくても」
そう言って、ゆっくりと立ち上がる。
「けれど・・・拒絶しないところを見ると、まだ希望を持っても良いのでしょうか」
ユウは言葉を見失い、ただ揺れながら首をかしげる。
その仕草に、リオウはそっと手を伸ばし、彼女の髪に触れた。
その距離の近さに、ユウの頬が赤く染まる。
目を伏せたままの厚ぼったい瞼――そのあまりに愛おしい姿に、
リオウは胸を衝かれ、思わずその肩をそっと抱き寄せたい衝動に駆られる――。
「あなたは・・・」
ユウはゆっくりと顔を上げた。
その青い瞳が、まっすぐにリオウを見つめる。
「あなたは・・・コク家を復興したいと、そう思っていたはずです。
なのに、私と結婚すれば・・・婿に入ることになります。それで、本当に・・・いいのですか?」
リオウは、一瞬だけまばたきをして、
そしてまるで熱に浮かされたような眼差しでユウを見つめ返した。
「・・・ええ、たしかに。復興したいと、ずっと思っていました。
コク家が滅びてから・・・その夢だけを抱いて生きてきた」
「なら、どうして・・・?」
問いかけるユウの声は震えていた。
「でも、ユウ様といるのなら・・・その夢を、手放しても構わないと思ったのです」
「・・・そんな」
「それだけ、ユウ様のそばにいたい。あなたと生きたいんです」
その告白に、ユウの胸は締めつけられるようだった。
視線を落とし、思わず唇を噛む。
「・・・返事、待っています」
リオウの声は静かだった。
けれど、揺るぎない熱が込められていた。
ユウの頬が見る見るうちに赤く染まっていく。
ーーなんて返事をして良いのかわからない。
「・・・今はまだ、わかりません。でも・・・ありがとう」
それだけ言って、ユウは目を伏せた。
リオウは名残惜しそうにユウの髪に指を絡め、その金色の毛先にそっと唇を寄せた。
柱の陰から、そっとふたりの様子を見ていたシュリは、こらえるように唇を噛んだ。
声は聞こえない。
けれど、リオウが膝をつき、ユウ様の手を握った時、全てを悟った。
あれが噂に聞く、求婚というものなのだと。
ユウ様は目を伏せ、頬を紅潮させていた。
ーー答えを口にしてはいない。
それでも、拒絶の仕草ではなかった。
その瞬間、ふとシリ様の言葉がよみがえる。
『人を守るというのは、見送る覚悟もいるのよ』
今になって、その意味が胸に痛いほど沁みた。
リオウが、あの金の髪にそっと唇を寄せるのを見た瞬間、
胸の奥がきしむように痛んだ。
ーー俺には・・・できないことだ。
一緒に育った時間、守ってきた日々、ユウ様の何気ない笑顔。
それだけが、宝物だった。
けれど、こうして少しずつ・・・誰かのものになっていく。
その現実を、ただ見つめるしかできない自分が情けなかった。
ーーそれでも・・・ユウ様が、幸せなら。
そう思いたかった。
心の底から。
けれど、ふと漏れた溜息が、そんな綺麗事をあっさりと否定した。
その痛みが、雪の冷たさよりも深く沁みた。
次回ーー本日の20時20分
雪の静けさを破ったのは、跪くリオウの姿。
柱の陰で涙をこらえる妹ウイ、窓辺から見つめる乳母エマ――
胸を締めつける想いと、消せない予感が交錯する。
そして、ユウが本音を打ち明ける相手は、
求婚者ではなく、ただそばに立つ乳母子シュリだった・・・。
『あの人の隣になれるのなら』
お陰様で11万PV突破しました↓
===================
この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
=================




