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難攻不落の姫に、ただ笑ってほしくて

ソリは雪の上を静かに滑っていた。

遠くの森がゆっくりと流れていく。空は灰色に澄んで、吐く息が白く溶けた。


「俺と出かけるのは、そんなに嫌ですか?」


フレッドが、ふと真面目な声で尋ねた。


ユウはわずかに眉を寄せたまま、小さく首を横に振る。


「・・・そんなことは、ありません」


返事はしたものの、言葉に自信がない。

フレッドはちらと横目でユウを見て、にやりと笑った。


「嘘だ。姫様は嘘をつけない。顔に全部書いてある」


「えっ・・・!」


思わず、ユウは頬に手を当てた。


その仕草を見て、フレッドは楽しそうに笑った。


その笑いは、からかいではなく、まっすぐで気持ちのいいものだった。


「乗り気じゃなくてもいいんです。俺は、姫様と一緒に過ごせるだけで楽しいですから」


「・・・どうして?」


ユウの問いかけは、思わず漏れたものだった。


フレッドは少し首をすくめると、快活に答える。


「そりゃあ、普段はむさくるしい男ばっかりに囲まれてますから。

今日は、美しい女性と一緒にソリで雪原デート。・・・楽しくないわけないでしょう?」


屈託のない答えに、ユウは言葉を失った。


「昨夜は楽しみで、なかなか眠れなかったんですよ」


そんなふうに笑う横顔を見ながら、ユウはぽつりと尋ねた。


「・・・あなたは、私が“姫”だから、出かけるのですか?」


フレッドの笑顔が少しだけ翳る。


「父上に命じられたのでは? 私と結婚すれば、あなたの家は領主になる。

それで・・・こうして、ソリに乗せたり、料理を振る舞ったりしているんでしょう?」


声は静かだったが、その奥には氷のような緊張があった。

フレッドは一瞬黙ってから、雪原に響くように笑った。


「言いにくい質問をする姫様だ」


「・・・」


「もちろん、父には言われた。姫様と結婚すれば、うちは重臣から領主になれる。すごい機会だって」


「ええ」


「稀に見る機会だ、頑張れってさ。最初は命令だったよ。姫様に近づけって」


「・・・知っています」


ユウは目を伏せた。けれど次の言葉で、顔を上げる。


「でも、接してみたら・・・姫様は予想以上に、難攻不落だった。気高くて、俺にまったく心を許さない」


「・・・」


「そんな姫様を、笑わせてみたいと思ったんだ」


「え?」


フレッドは微笑んだ。


いつもより、ずっと静かな笑みだった。


「俺は今、満たされてる。両親も健在で、仕事も楽しい。

後輩たちにも慕われてるし、領主にならなくても充分に幸せだよ」


ユウは言葉もなく、ただ耳を澄ませる。


「だけど――姫様の笑顔を、見てみたいって思ったんだ。

料理を作るのも、ソリに誘うのも、そのためだよ。ただ、それだけ」


フレッドの視線は真正面を向いていた。

雪を蹴る音が、ふたりの間に静かに広がっていく。


ーー笑わせたい、だけ。


その言葉が、何度も胸の奥で反響していた。


彼の笑顔は明るく、言葉も軽やかに聞こえたけれど、そこに込められた思いは、嘘ではないと感じた。


ーーどうして・・・そんなふうに言えるの?


これまでの“求婚者”たちは、皆どこかで姫としての自分を見ていた。


肩書きも、家柄も、跡継ぎの重圧も――その全てを含めて「姫」として扱われていた。


でも今、フレッドの言葉は、それらをいったん脇に置いて、ただ「私」を見ている気がした。


そのことが、かえって怖かった。


けれど――ほんの少しだけ、胸がふわりと軽くなる。


「・・・私、そんなに難攻不落ですか?」


気づけば、冗談めいた言葉が口をついていた。


自分でも意外だった。


ソリに乗ってからずっと張り詰めていた表情が、ようやく緩んだ気がする。


「めちゃくちゃ難しい」


フレッドが笑う。


あの無邪気な笑顔が、今日は少しだけ、優しく見えた。


風が頬を撫でた。


毛布の下の指先が、そっと握り返されるような感覚。


ユウは静かに目を伏せた。


ソリは雪を蹴って進み、やがて小高い丘の裏手へと滑り込んだ。


そこはフレッドの館の裏手に広がる森で、木々の間から獣道がのぞいている。


「ここ、見えるか?」


フレッドが立ち上がり、一本の大木を指さす。

その枝先には、風に揺れる塩の袋がくくりつけられていた。


「この木の上から鹿を狙うんだ。昼間のうちに塩を撒いておくと、夜に舐めに来るから」


そう言って、満足げに頷く。


「・・・木の上から?」


「そう。下にいたら匂いで気づかれるからね。上に登って、息を殺して待つんだよ」


雪を踏みしめながら話す彼の横顔は、まるで少年のようだった。


「これ、鹿の足跡だ。で、こっちは・・・穴熊」


足元の雪を指差しながら、フレッドは目を細める。


「穴熊・・・?」


「そう。肉がやわらかくて旨いんだ。匂いは少し強いけど。

今度仕留めたら、姫様にも食べてもらいたいな」


得意げに言いながら、ちらりとユウの顔をうかがう。


ユウは少し驚いたように目を瞬かせ、けれどすぐにふっと笑みを浮かべた。


「・・・食べてみたいわ」


その言葉に、フレッドは一瞬ぽかんと口を開け、すぐに頬を赤らめた。


「・・・ごほんっ」


わざとらしく咳払いをして顔をそらすフレッドの仕草に、ユウの唇がもう一度、わずかにゆるむ。


小さな笑いと沈黙が、雪の中でやさしく揺れていた。


「ここだ!」

フレッドがソリを止め、跳ねるように雪の上に降りた。


手に持ったスコップで雪を軽く掘り始める。


「何をしているの?」


ユウが問いかけると、フレッドが手を差し伸べた。


彼の掌は、冬の冷気のなかでもどこかあたたかく、ユウは一瞬だけ迷い、そっとその手を取る。


雪の下から現れたのは、緑の葉と、小さく赤い実だった。


「チェッカーベリーだ」


「・・・チェッカーベリー?」


「うん。葉は料理に使うけど、実も甘酸っぱくて旨いんだ。姫様、食べてみて」


フレッドが雪の中からそっと摘んだ実を、ユウの前に差し出す。


その赤は、雪の白さに際立っていて、まるで宝石のようだった。


ユウが恐るおそる口に含むと、ふわりと広がる香りに、酸味と甘味がやわらかく溶け合った。


「・・・美味しい」


素直な声が口をつくと、フレッドが嬉しそうに笑った。


「だろ? 子供のころ、葉を集めるのが手伝いでさ。そのついでに、よく実を摘んで食べてた」


そう言いながら、自分も一粒口に入れる。


「・・・もっと食べたいわ」


そう言って、ユウは雪に手を伸ばす。コートの袖が白く染まるのも気にせず、赤い実を探した。


その姿を見つめていたフレッドが、ふと名残惜しそうに呟く。


「そろそろ・・・城に戻る時間だな」


ユウは顔を上げた。


あっという間だった、と驚いていた。


思ったより、ずっと楽しかった。


遠くの木々の向こうに目をやる。


「この森の先には・・・何があるの?」


「海だよ」


「え・・・海?」


「うん。もっと向こうに行けば、浜に出る」


「海は・・・見たことがないの。本では知っているけれど・・・」


「争いが終わったら・・・姫様に海を見せたい」


少しだけ、フレッドの声が硬くなった気がした。

けれど、その瞳はまっすぐにユウを見つめていた。


「俺は・・・姫様に、笑っていてほしいんです」


小さな声だったが、その一言は、まるで雪の中に灯る焚き火のようにあたたかかった。


ユウは少し黙ってから、ぽつりと呟く。


「・・・見てみたいわ」


「・・・一緒に」


「・・・ええ」



「今日は楽しかった。姫様とソリに乗れた」


ソリを走らせながら、フレッドはおどけたように笑う。


微笑むフレッドの横顔を見て、ユウは何も言えなくなった。


「どうして・・・そんなに明るいの?」


ふと漏れたユウの問いに、フレッドは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに柔らかく笑った。


「それは――ゴロク様のおかげ、かな」


「・・・えっ?」


思わず問い返すユウに、フレッドは少し空を仰ぐようにして続けた。


「俺は、姫様と違って・・・あんまり辛い思いをしてこなかったんです」


「・・・」


「親も健在だし、戦で死にかけたこともない。屋根の下で眠れて、毎日飯が食えて・・・。

争いはゼンシ様とゴロク様のお陰で負けたことがない。

それって、実はすごいことだって、ゴロク様が教えてくれた」


風が少し吹き抜けていく中、フレッドの声はあくまで朗らかだった。


「姫様は・・・辛い経験ばかりしていた」

フレッドは馬に鞭を入れた。


「だから、俺は――笑っていたいんです。守ってもらってきた分、今度は誰かの支えになれるように」


その目は冗談めかしているようでいて、どこまでも真っ直ぐだった。


ユウは、何も言えずにその横顔を見つめた。


「・・・フレッド」


ユウは、ふとした間に、その名を口にしていた。


自分でも驚くほど自然に。


けれど、それは、今日の雪の時間がくれた静かな勇気だった。


「えっ」


フレッドが驚いたように顔を上げ、ユウを見つめた。

その視線を正面から受けとめて、ユウはまっすぐに言う。


「私は・・・ユウという名前があるの。姫様ではないわ」


しん、とした雪の森に、彼女の声が柔らかく落ちる。


一拍ののち、フレッドの口元が綻んだ。


そして、声を立てて笑った。


けれど、それはいつもの朗らかさではなく、どこか嬉しさを噛みしめるような、柔らかな笑みだった。


「――それなら、ユウ様と呼んでもいいですか?」


ユウは少しだけ頷き、目を細めた。


「・・・ええ」


ユウの名前を呼ぶ声が雪の森に消えていく。

その後ろで、シュリは黙って雪を見つめていた。


――気づかれぬように、小さく吐息をひとつ落とした。

それは、白く消える息とともに、胸の奥の名もなき感情を静かに溶かしていくようだった。


次回ーー明日の9時20分


静かな雪の回廊で、リオウが膝をつき、ユウの手を取った。

「あなたと生きたい」――真っ直ぐな求婚の言葉に、姫は答えを出せない。

その様子を柱の陰から見つめるのは、幼き日から彼女を守ってきた少年。

届かぬ想いと、奪われていく時間。

雪は音もなく降り積もり、三人の胸の中で、それぞれの決意と痛みを静かに深く染めていく。


「誰かのものになっていく、その人を」


お陰様で11万PV突破しました↓

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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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