雪の贈り物と、秘密のまなざし
「姉上、これからお出かけですか?」
声をかけたのはウイだった。
朝の光の中、淡い水色のコートに身を包んだユウは、白い手袋をはめながら頷く。
「ええ。フレッドと、領地をソリで巡るの」
その声音は穏やかだったが、どこか遠くを見ているようでもあった。
「ソリ・・・! 素敵ですね!」
ウイの頬がぱっと明るくなる。
その笑顔に、ユウもかすかに唇をゆるめる。
「・・・エマに命じられただけよ。フレッドがソリに連れて行きたいと・・・」
ユウがポツリと話す。
ユウの跡取りがはっきりと表明された今、
エマは、しきりにフレッドとリオウの面談の機会を作った。
その二人のうち、どれか一人がユウの婿になる。
その面談は、姉が喜ぶものではない。
ユウが義務を遂行するような態度だった。
「行ってらっしゃいませ」
ウイがそう言って頭を下げると、廊下の向こうからシュリが現れ、ユウのあとに静かに続いた。
フレッドとユウのお出掛けに、護衛として、乳母子のシュリも付き添うのだ。
ーーどんな気持ちで付き添うのだろう。
その背中を見送ったウイの胸に、ちくりと痛みが走った。
想いが報われないのは、自分だけじゃない。
そう思えばこそ、余計に苦しかった。
気持ちを切り替えるように、ウイは踵を返して自室へ駆け戻る。
姉と乳母がいない、ほんの短い時間。
それは、刺繍を進める貴重な時間でもあった。
机の上のリボンには、白百合の花の輪郭が浮かび上がっていた。
ーー姉上のお誕生日までに、仕上げなくちゃ。
心を込めて一針ずつ縫っていく。
白百合はユウの好きな花。
これを刺繍して、完成したらシュリに預けよう。
自分が縫ったことは言わずに。
針の先に意識を集中していると、不意に背後から声がかかった。
「そのリボン、素敵だね」
びくりと肩を震わせて振り返ると、そこにはレイが立っていた。
静かな黒い瞳が、机の上のリボンをじっと見つめている。
「白百合・・・」
レイが小さくつぶやく。
「姉上に贈るの?」
「う、うん。そうなんだけど・・・私が刺繍したってことは、内緒にしてほしいの」
ウイは慌てて言った。
けれど、レイは目を細めて淡々と頷くだけだった。
「わかった」
それだけで、妹の口は再び閉じられた。
もともと多くを語らない子だ。
でも、その目はちゃんと分かってくれている――そんな気がした。
ウイは小さく息をつくと、もう一度、リボンに目を戻した。
ーー誰にも知られなくてもいい。ただ、姉上の手元に、シュリの想いが届きますように。
静かな朝の光の中で、針の音だけが、小さく響いていた。
◇
馬場に出ると、フレッドがソリの前で手綱を整えていた。
二頭の栗毛の馬が、雪の上で鼻を鳴らす。
「姫様! おはようございます!」
明るく声をかけたフレッドの笑顔は、冬の朝日よりも眩しかった。
相変わらずの屈託のなさ。
その光が、かえって心の距離を感じさせる。
「おはようございます」
ユウは整った声で応じた。
表情は動かない。
けれど、その白い頬は風にわずかに赤く染まっていた。
「ソリは初めてですか?」
フレッドがソリから手を差し出す。
ユウは一瞬戸惑いながらも、その手を取る。
「ええ、初めてよ」
握り返した手の温かさに、少しだけ頬が緩む。
「それは光栄だな。今日は特別な日になるかも」
軽やかに笑うと、フレッドはユウを助手席に導いた。
ふたり並んで座るには、狭すぎる距離だった。
ユウの膝には何枚もの毛布が丁寧に掛けられ、そのひとつひとつにフレッドの気遣いが感じられる。
「シュリ、お前も」
後ろの座席をぽんと叩くと、シュリが「失礼します」と小さく頭を下げて乗り込んできた。
「ほら、これ」
フレッドは手渡すように毛布を差し出す。
「ありがとうございます」
目を伏せたまま受け取るシュリ。
その小さな動作にも、フレッドの優しさが宿る。
「じゃあ、姫様、行きますか」
フレッドが軽く手綱を引いた。
ユウはこくりと頷く。
ソリが音もなく滑り出す。
はじめはぎこちなかった感覚が、雪の上を滑るにつれて次第に滑らかになっていく。
空気を切り裂く風、馬の吐く白い息、雪原に残る細い軌跡。
――すべてが凛と澄んでいて、透明な世界に包まれていた。
「わぁ・・・!」
思わず、ユウの口から小さな声が漏れた。
頬を刺す風さえ心地よい。
ソリが雪を蹴るたび、身体がふわりと浮くようで、景色が流れていく。
見慣れた城も、遠くの木々も、いつの間にか背後に消えていた。
その瞬間だけ、ユウの顔から無表情が消えていた。
澄んだ瞳が細くなり、はじめて見る雪原の魔法に、ほんの少し、心を許していた。
ふいにフレッドの指先が、ユウの髪についた雪を払った。
「髪に雪が・・・」
そう言って触れたフレッドの顔は、どこか照れくさそうだ。
ユウは一瞬、何かを返しかけて・・・やめた。
代わりに、頬に手をあて、目を伏せる。
後ろで静かに座っていたシュリは、その横顔に気づいて、目を伏せた。
――笑ってほしい。
けれど、笑顔の理由が自分でないなら、見てはいけない気がした。
ソリは風とともに進んでいく。三人を乗せて、白い冬の静けさのなかへと――。
次回ーー本日の20時20分
雪原を駆けるソリの上で、フレッドが見せた素顔は、求婚者ではなく一人の青年のものだった。
「笑わせたいだけ」という言葉に、ユウの胸はかすかに揺れる。
けれどその微笑みを、黙って見つめる影がひとつ――。
名前で呼び合ったその瞬間から、三人の関係は静かに変わり始める。
「難攻不落な姫に笑って欲しくて」
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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