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欲しいものがあるのだよ

◇ ワスト領 キヨの城


「この剣を、ノアに頼む」

キヨは包みを使者に渡す。


「承知しました」


使者が馬を駆って城を出ていった後、キヨは一人、私室の窓を開け放った。


冷たい風が書類を一枚めくる。


暖炉の火がわずかに揺れた。


「・・・欲しいものがあるのだよ」


誰に言うでもなく、キヨは呟いた。


「政でも、地位でもない。“あの女”だ。どれほど手に入らぬとわかっていても、手放せるものか」


シリの名を口にはしなかった。


だが、瞼の裏には、強い意志を秘めたシリの顔が浮かぶ。


その表情が、キヨの心を深く捉えて離さない。


「グユウの死を悼む姿さえ、美しかった・・・。まさかゴロクの元に嫁ぐとは・・・」


拳を握る。


爪が掌に食い込む。


「老いた将にすがるしかない女など、滑稽なはずなのに・・・なぜ、心が囚われる?」


ーー嫉妬だった。

怒りだった。

けれどそれよりも、執着だった。


「だが、もう止められぬ」


ペンを走らせる手が止まり、キヨは静かに目を閉じた。


「“欲しい”と願ってしまった以上、それはもう“策”ではなくなる」


その声は、かすかに熱を帯びていた。



◇シズル領 ノアの館


薄曇りの午後、ノアのもとに、剣が届けられた。


「・・・これは」


紫の包みに巻かれたそれは、紛れもなく、かつてゼンシが愛用していた剣だった。


かつての主の愛剣。


幾多の戦場を共に駆け抜けた、象徴とも言える品。


「キヨ様からです」


使者の言葉に、ノアは息を飲んだ。


手に取ると、刃の重みと、過去の記憶が同時に押し寄せる。


主君の背を追い、共に戦い、共に笑った日々。


ゼンシ様の、あの目、あの声、あの怒気と慈しみが・・・この剣に残っている。


「なぜ、これを・・・?」


ノアは誰にともなく問いかける。


そのとき、使者が口にした。


「キヨ様が申されました。『この剣に相応しい者は、ノアしかおらぬ』と」


剣を見つめる瞳が揺れた。


それは信頼の証か、それとも――試練の導火線か。


「・・・俺は、試されているのか」


ゴロクと共にあると決めた今、キヨから贈られる忠義の象徴。


それを手にしたことで、心が揺らいでしまう己が、何より恐ろしかった。


「キヨ・・・、そこまで読んでいるのか」


剣を静かに鞘に戻し、ノアは目を閉じる。


「――私は、どこへ向かえばよいのだ」


刀の重みが、答えを拒んでいるかのようだった。




その夜。

ノアの寝室には、香のかすかな煙が揺れていた。


「・・・これを、キヨ様が?」


マリーは、机の上に置かれた刀をじっと見つめた。


ゼンシの、あの鋭い眼差しと威厳を、どこか感じ取っているかのように。


「・・・そうだ」


ノアは、暖炉の前で膝を抱えるように座っていた。


背中に重く、冷たいものがのしかかっているようだった。


「キヨは、わしの性を知り尽くしておる。情に流されやすい、古い騎士の性分をな」


「だからこそ・・・贈ったのね。この剣を」


「そうだ。断てば薄情、受け取れば裏切りに近づく」


マリーはそっとノアの手を握った。


「・・・何を選んでも、私は、そばにいます」


ノアは目を閉じた。


「・・・どうしたら良いのだ。ただ、主君を想いたいだけなのも。ゼンシ様も、ゴロク様も。キヨも・・・」


言葉を継げなかった。



◇ワスト領 キヨの城


「ゼンシ様の剣、ノアは、受け取られたか」


家臣が頷く。


キヨはその報告に、ただ一言、つぶやいた。


「これで、ノアの心は、戦場に置いてきぼりになる」


「・・・どういうことで?」

弟のエルは質問をした。


「信義と忠義の板挟み。迷いを抱えた騎士ほど、動きは鈍る」


暖炉の火が、ぱちりと音を立てた。


それは、情か、策か――

答えは、まだ雪の中だった。



キヨは机の前に静かに座り直した。

その眼差しは、もう戦場を見据えている。


「さて・・・芝居の幕を開けようか」


紙にペンを走らせながら、キヨは一つひとつ、名を呼ぶように手紙を書いていく。


「ノアには“親しき旧き友”としての頼み」


「南領には“我らはもはや同じ船”という理」


「マサシには、あえて沈黙。焦らせて動かせばよい」


そして、ペンを止め、口元に笑みを浮かべた。


「手紙だけでは足りん。動きも見せねば」


城の奥へ声をかけ、3人の男を呼ぶ。


「お前たちに命ずる。あと1ヶ月後に

ミンスタ方面に兵を動かせ。ただし、見せかけでよい。

人目に触れ、“キヨがもうミンスタに攻め込む”と思わせろ」


男たちが頭を下げて出ていく。


その背を見送りながら、キヨは独りごとをつぶやく。


「人はな、戦が怖いのではない。負けるかもしれないと思うことが怖い。

その心を揺らせば、もう勝ったも同じだ」


隣に立つエルが黙って頷く。


カーテンを開けると、雪がやんでいた。

星がいくつか、雲の隙間から顔を出している。


「見ておれ、ゴロク。

わしは剣ではお前に敵わぬかもしれん。

けど、人の心を動かすことでは――誰にも負けたことはない」


その夜、幾つもの使者が城を出て、

噂と手紙と“動き”が、各地へと広がっていった。


幕が上がった。


まだ一戦もも交えていないのに、戦はすでに、キヨの描く“芝居”の上で動き出していた。


次回ーー明日の9時20分


冬の朝、ユウはフレッドとソリで領地を巡ることに。

護衛として同行するシュリ、見送るウイ――それぞれの胸に、言えない想いがあった。

雪原を滑るソリの上で、ユウの表情がほんの一瞬だけほどける。

けれど、その笑顔の理由は、誰のためのものなのか――。


母シリとグユウの話 11万PV突破しました

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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/


兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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