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忘れないまま生きていく あの頃の笑顔は、ここになくても

シリが去った後、三姉妹は誰も口を開かなかった。


ユウは乳母たちにそっと目を向けた。


「・・・三人だけで話したいの」

その言葉に、三人の乳母とシュリは黙って一礼し、静かに部屋をあとにした。


「驚いたわね・・・」

ウイがようやく口を開いた。小さな声だった。


レイは黙って頷く。


「母上が妾と仲がいいのは・・・」


「・・・ゴロク様に恋情を抱いていないから、だって」

ユウが言葉を継いだ。


「妃としては、その方が務めを果たしやすい・・・そう仰っていたわね」


「・・・それって、どっちが良いのかしら」

ウイがぽつりとこぼす。


「・・・わからないわ」

ユウは目を伏せたまま言った。


「姉上・・・今の母上と、昔の母上・・・どちらが幸せそうだった?」

レイがぽつりと尋ねる。


彼女には父の記憶がない。赤ん坊の頃に、父は亡くなったのだから。


ユウは答えず、隣にいたウイがそっと答えた。


「・・・昔の母上は、いつも忙しそうだったけれど、幸せそうだった」


「夕方になると、父上と並んで歩いてた・・・そのお顔は・・・」


そこから先は言わなかった。


けれど、その記憶はふたりの胸の中で、静かに光っていた。


父と母――あのふたりの姿は、幼い彼女たちにとって理想の夫婦だったのだ。


「じゃあ・・・今の母上は?」

レイの声が震える。


「不幸ではないわ」

ユウはきっぱりと答えた。


「でも・・・」


でも――かつてのような笑顔は、もうそこにはなかった。


「どうして・・・ゴロク様と・・・」

ウイが言いかける。


「私たちのためよ」

ユウは静かに言った。


「私たちの未来と、モザ家のために・・・母上はここに嫁いだ」


ーー母のようにはなれないけれど、私も覚悟を決めなくてはならない。


ユウは、手のひらを強く握った。


シズル領の未来のために。


ーーフレッドとリオウ。嫌いな相手ではない。


好いた相手でなくても――母が言ったように、結婚してから好きになればいい。


どこかに、良いところは見つかるはず。


二人は、悪い人たちではない。


自分に言い聞かせるように、ユウは目を閉じた。


「姉上、フレッド様とリオウ様・・・どちらが、好ましいの?」

レイが遠慮がちに尋ねた。


「どちらも・・・別に」

ユウは淡々と答える。


その顔を見て、ウイが複雑な表情を浮かべた。


「・・・決めなくてはならないわね」

ユウは小さなため息をついた。


ウイとレイは、そっと目を合わせた。

ふたりとも、胸の内に同じ問いを抱えていた。


――シュリのことは、どう思っているの?


けれど、それを口にすることはできなかった。

今の姉に、そんな問いは、きっと重すぎる。


恋とか、情とか。

姉はもう、それを押し殺して、冷静に未来を選ぼうとしている。




三姉妹の部屋を出て、長い廊下をゆっくりと歩く。

冬の空気は石の壁に染みついていて、灯りの熱も届かぬようだった。


「あれで・・・よかったのかしら」

シリはつぶやいた。


窓の外に目をやる。

雪に埋もれた中庭が、静かに夜の帳に沈んでいく。


「・・・よかったと思いますよ」

背後から、エマのやわらかな声が響いた。


「グユウさんのことは・・・言うべきではなかった」

シリはため息混じりに呟く。


「レイの顔を見て・・・思わず、口をついてしまったの」


「それでいいのです」

エマがそっと言葉を添えた。


「姫・・・妃というのは、情よりも先に責任があるものですから」


あの言葉は、きっと――ユウにとって必要なものだった。

そう、エマは信じていた。


部屋に戻っても、シリの胸は穏やかではなかった。

グユウの名を口にした唇に、まだ微かな熱が残っている気がした。


炉の前で、火を見つめていると、扉がそっと開いた。

振り向かずともわかった。


ゴロクだった。


「戻りました」

低く、控えめな声。


「・・・お帰りなさい」

シリは立ち上がり、そっとガウンを脱いで椅子に掛けた。


いつもより少しだけ静かな間が、部屋を包む。


ゴロクは無言のまま、炉の火をちらと見つめた後、そっと彼女の隣に座った。


昔は広くがっしりとしていたその肩も、年とともに落ち着き、わずかに丸みを帯びていた。


指先には古い傷があり、膝の動きはやや鈍い。


身体は衰えても、その佇まいは変わらず穏やかで、重ねた年月の分だけ、静けさが深まっているようだった。


ゴロクは、決して距離を詰めてはこない。


ただそっと、彼女の近くに腰を下ろす。


そして、そっと顔を近づけ――


躊躇いながら、唇を寄せた。


シリは目を閉じ、身を引かなかった。


それは優しい口づけだった。

痛くも、激しくもない。


ただ、静かで、まっすぐな。


――心は動かない。


けれど、拒む理由もない。


そういう立場に、私は今いるのだ。


ゴロクの腕が、そっと背を抱いた。

シリは、ゆっくりと身を委ねる。


ーー愛ではない。


けれど、寄り添うことで夜が穏やかになるなら、それでいいと思った。


灯りが消え、部屋が静けさに包まれる。


目を閉じると、ふと名が浮かんだ。


――グユウさん。


それは、誰にも聞こえない独り言のように、夜の静けさに溶けていった。


その名に応えるものは、もうどこにもいない。


けれど、その名を手放せぬまま、シリは静かに夜を迎えた。


体を重ねても、心までは近づかない。

けれど、それでも――誰かと夜を越えることの意味を、今の自分は知っている。


老いた男のぬくもりに身を委ねながら、シリは目を閉じた。


それは、愛ではない。


けれど、それでも人は、こうして夜を越えてゆくのかもしれない――そう思いながら。


次回ーー本日の20時20分  

ゼンシの愛剣を手にしたノア。

それは信頼の証か、心を縛る罠か――。

一方キヨは、手紙と噂、そして“見せかけの兵”を動かし、戦場を芝居小屋へと変えていく。

まだ刃は交わらぬ。だが、心の戦はすでに始まっていた。


「欲しいものがあるのだよ」

母シリとグユウの話 11万PV突破しました

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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/


兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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