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母が語る“好き”のかたち

「入ってもいいかしら?」

シリが声をかける。


「もちろん!」

ウイが立ち上がって、急いで椅子を引いた。


部屋に入ってきた母を見て、レイは目を丸くした。

忙しい母が、この時間に娘たちの部屋を訪ねてくるなんて、珍しい。


ユウは何も言わず、ただ静かに座っていた。

まるで、すでに話の内容を察していたかのようだった。


シリは三人の向かいに腰を下ろし、そっと息を整える。


「ウイとレイにも、話しておこうと思って」

そう言って、一瞬だけユウを見やった。


「なんでしょうか?」

ウイが緊張した面持ちで問いかける。


こういうときは、いつもユウが最初に質問するものだった。


けれど今日のユウは、貝のように口を閉ざしている。

代わりに、ウイがその役を担っていた。


シリは一度まぶたを伏せ、それからゆっくりと口を開いた。


「――実はね、ユウがゴロクの跡を継いでもらうことになったの」


「えっ・・・」

ウイは息を呑んだ。


ユウは沈黙したまま、ただ前を見つめている。


「・・・姉上が、シズル領の領主になるの?」

レイが静かに訊ねる。


「そうね。ユウと、そのお相手が、という形になるわ」

シリは淡々と告げた。


「ユウには、婿を取ってもらうことにしました」


「お相手は・・・」

ウイがユウの顔をちらと見てから、問いかける。


「ゴロクは、フレッドかリオウにと考えているわ」


その瞬間、ウイの顔が引きつった。


「まだ・・・決まってないの?」

レイが控えめに尋ねる。


「まだよ。春――もしかすると、争いが終わってから本格的に動くと思う」

シリの声は冷静だった。


「そのことを、妹の二人にも知っておいてほしかったの」


けれどユウは、まるで銅像のように動かない。

ただ、かすかに唇を噛みしめていた。


その姉の様子に、レイはこのままでは会話が進まないと悟った。


ユウは明らかに納得していない。

ウイは、顔を伏せて沈みこんでいる。


だからレイは、少し無理にでも空気を変えるように、ぽつりと口を開いた。


「母上・・・どうして妾の人たちと、仲がいいの?」


「えっ?」

シリが驚いたように顔を上げる。


「妃と妾って、あんなに仲がいいものなの? うまく付き合わなきゃいけないとは思ってたけど・・・」

レイの口調は淡々としていたが、その瞳は真剣だった。


その言葉に、ユウもウイもはっとして顔を上げる。


「母上・・・私も、ずっと思っていました」

ウイが言いにくそうに口を開いた。


「嫌ではないんですか? 妾と接することは」


「どうしてそう思うの?」

シリが静かに問い返す。


「だって・・・妾は・・・ゴロク様と・・・」

ウイはしばらく口ごもり、意を決して問いかけた。


「母上は・・・ゴロク様のことを、お慕いなのですか?」


シリは思わず目を見開いた。


――この子たちは、もう子どもではないのね。


いつの間にか、こういうことを考えるようになっていたなんて。


「下がって」

シリは部屋に控えていた侍女たちに出るよう命じた。


残ったのは、シリと三姉妹、それに乳母とシュリだけだった。


「ゴロクのことは、好いているわ」

シリはきっぱりと言った。


「・・・そうなのですか?」

ウイは首をかしげた。


その答えは、まるで「ケーキが好き」とでも言うかのように聞こえたからだ。

どこか情の温度が感じられなかった。


「ゴロクは良い領主よ。あなたたちを大切にしてくれる。素晴らしい方です」

シリは穏やかに微笑んだ。


「はい・・・」

ウイは納得したような、しきれないような曖昧な返事をした。


――母の言っていることは、正しい。


間違ってはいない。でも、何かが違う。


心のどこかに、わずかな違和感が残った。


「ドーラたちも良い人たちよ。良い妾に恵まれて、私は幸運ね」

シリは微笑む。


それは、娘たちに“妃としての心得”を教えようとする、模範解答だった。


「母上・・・私たちの父上のことは・・・?」

レイがまっすぐな瞳で尋ねた。


その目は、まるでグユウの面影を映しているようだった。


「母上はもう・・・」

言いかけた言葉に、シリの胸が一瞬だけ締めつけられた。


――思い出す。あの眼差し。


レイの瞳に、あの人が浮かぶ。


「・・・グユウさんのことは、今でも・・・好いているわ」


気がついたら、その言葉が唇からこぼれていた。


同じ「好いている」でも、先ほどの言葉とはまるで違っていた。


その響きの重みに、三姉妹は息を呑んだ。


シリはふっと笑い、少しだけ肩の力を抜いたように話す。


「グユウさんに妾がいたら、私は冷静ではいられなかったと思う。

 嫉妬して、きっと、醜い妃だったわ」


自嘲めいた笑みを浮かべながら、ぽつりとこぼす。


「恋をしていない方が、妃の務めは果たしやすいのよ」


「それでは、ゴロク様のことは・・・」

ユウが掠れた声で問う。


シリは小さく首を振った。


「世の中には、いろんな“好き”があるの。

 胸が熱くなるような恋情もあれば、尊敬や信頼から生まれる想いもある。

 ゴロクのことは、人として、領主として、心から好いているのよ」


「もし・・・結婚した後で、どうしても相手を好きになれなかったら・・・?」

ユウの声はさらに細くなっていた。


シリはその問いに、ゆっくりと頷いて答える。


「お互いが、家のため、領のために仲良くやっていこうと思えたら――

 自然と寄り添って、支え合っていけるようになるわ」


その言葉は、誰かに向けた教えではなく、

自分自身に語りかけているような響きだった。


「・・・私には、まだ、わかりません」

ユウがぽつりと呟いた。


心の奥にあるもやもやを、うまく言葉にできなかった。


それでも、絞り出すように吐き出した一言だった。


シリは優しく微笑んで、そっと言った。

「それでいいの。・・・いつか、きっと、わかる日が来るわ」


静かな間が流れた。


ユウは、ふと顔を上げると、口を開いた。


「母上は・・・父上と、ゴロク様・・・どちらが・・・」


そこまで言って、自分の言葉の重さに気づいた。


シリは、驚いたように少しだけ瞬きをして、そして――

何も言わずに、そっと微笑んだ。


それだけだった。


ーーあれは、言ってはいけない質問だった。


ユウは、そっと目を伏せた。




次回ーー明日の9時20分


母が去ったあと、三姉妹の部屋には重い沈黙が残った。

婿を迎える現実と、恋情を押し殺す覚悟。

そして夜――シリは、愛ではないぬくもりに身を委ねながらも、かつての名を胸の奥で呼んでいた。

交わらぬ心と心。それでも人は、夜を越えてゆくのかもしれない――


「忘れられないまま生きていく」


お陰様で11万PV突破しました↓

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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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