誰にも言えない恋と、戦の準備
翌朝、大広間には、三姉妹と妾たちを含む女性たちが一堂に集められていた。
冬の冷たい空気がまだ残る中、
焚かれた炉のぬくもりが、薄暗い広間をわずかに和らげている。
「これから、兵の補給食を作っていきましょう」
シリが前に立ち、はっきりとした口調で告げた。
その声に応えるように、女中たちは乾パンの生地を捏ね始め、火のそばではすでに大釜が湯気を立てていた。
妾たちや三姉妹、領民の婦人たちは、干し肉を両手で裂き、小さな布袋に詰めていく。
三万人を超える兵のための食糧。
城の女性たちが総出で取り組んでも、途方もない作業だった。
「・・・手が痛いわ」
ウイがぽつりと呟いた。
彼女の細い指は赤くなり、裂いた肉の脂がじわりと滲んでいる。
干し肉は冷えきっていて固い。
力を込めなければ裂けないし、裂けば裂くほど手が痺れていく。
ホールの端では、家臣たちが薪をどんどん運び込んでいた。
中でも中心になって動いていたのは、フレッドだった。
「大丈夫か? 重くないか?」
面倒見の良い彼は、小柄な少年兵に屈みこみ、声をかける。
薪を引きずっていた少年の手からひょいと束を取り上げ、目尻に皺を寄せて笑った。
そのまま頭をくしゃりと撫でる。
その気さくさに、少年兵たちが自然と彼のまわりに集まってくる。
輪ができ、あちこちで笑い声が弾んだ。
「・・・あの人がフレッド?」
レイが干し肉を詰める手を止め、じっと見つめながらユウに尋ねた。
「そう」
ユウは短く答え、肉を裂きながら言葉を続ける。
「良い人そうだね」
「ええ。シズル領を支える若手の家臣だって聞いたわ」
「姉上、あのお方なら・・・」
ウイが目を輝かせて声を弾ませた。
ユウは一度手を止め、そっとフレッドを見やった。
人懐こい笑顔。周囲を明るくする雰囲気。誰からも慕われる、体格のいい青年。
――けれど次の瞬間、目線はその隣で黙々と薪を運ぶ、痩せた少年へと吸い寄せられていた。
シュリだった。
「良い人だと思うわ」
それだけを言い残し、ユウは再び干し肉へと向き直る。
――確かに魅力的な人だ。
将来、きっとシズル領を支える柱になる。
そう思うのに、胸の奥で何かが揺れる。
ユウは、自分でも気づかないほど小さなため息をこぼした。
その音を聞き取ったかのように、ウイとレイがそっと目を合わせる。
――姉上、なんか変。
――うん、そうだね。
ウイとレイは、短い視線のやり取りで互いの思いを確かめ合った。
最近のユウは、どこかおかしい。
表情は硬く、唇を噛みしめることが増えた。
そんな彼女を、シュリとヨシノがさりげなく見守る様子もまた、ウイは気がかりだった。
けれど、理由はわからない。
何があったのか、ユウは何も語らなかった。
「干し肉って、本当に硬いわね」
空気を変えたくて、ウイが明るく言った。
「本当に」
レイが頷きながら続ける。
「豚肉はまだ柔らかいけれど・・・鹿肉は、どうにも」
ユウは眉をひそめ、手の動きを止めずに答える。
「姉上・・・本当に争いは、あると思う?」
ウイの声が揺れていた。
大きな群青色の瞳には、不安の色が浮かんでいる。
「・・・あると思うわ。春になったら」
ユウの返事は静かだった。
「やだな・・・また争いなんて」
ウイは今にも泣き出しそうな顔をする。
ユウはそっと頷くだけだった。
彼女たちは、幼い頃に争いを経験していた。
父の死、兄との別れ、城から逃げたあの日。
泣き叫ぶ母。
そして――兄と祖母が、殺された。
言葉にせずとも、記憶は鮮やかに胸を締めつける。
「・・・この準備が、無駄に終わればいいのに」
ユウの声は、かすかに震えていた。
三姉妹はしばらく無言で作業を続けた。
干し肉を裂く音だけが、広間に響いていた。
少し離れたテーブルでは、妾たちとシリが並んで作業をしていた。
「フィル! 上手いじゃないの!」
シリの明るい声が広間に響く。
「・・・昔、家で手伝ってたの」
フィルが少しだけ照れくさそうに答える。
「私もやってみたけど、フィルのように細く裂けないわ」
プリシアが笑いながら言う。
「シリ様が裂いたお肉、噛みごたえがありますね!」
ドーラの冗談に、どっと笑いが起きた。
その様子を見て、ウイが目を丸くする。
「妃と妾が・・・一緒に笑ってる」
「・・・母上は、平気なのかしら」
レイが首をかしげ、シリをじっと見つめる。
「私・・・将来妃になったとして、妾とうまくやっていけるのかな・・・」
ウイの声が、小さく震えていた。
その言葉に、誰もすぐには答えられなかった。
空気がすっと冷え、テーブルの上に静けさが落ちた。
ウイの言葉に、結局ユウは何も答えられなかった。
過去の傷は癒えたようでいて、ふとした瞬間に膿を広げる。
妾たちと笑い合う母の姿すら、今のユウには、まぶしすぎた。
部屋に戻った三人は、それぞれ黙って椅子に腰を下ろす。
すると間もなく、扉の向こうからノックの音がした。
ユウが顔を上げる。
「入ってもいいかしら?」
廊下の向こうから、シリの声が静かに届いた。
三人の視線が、同時に扉へと向けられる。
予告ーー本日の20時20分
母と娘たちの間に交わされた、静かで深い会話。
“好き”という言葉の奥に、いくつもの意味と温度があると知ったユウは、胸の奥に重たい靄を抱えたまま座っていた。
婿を迎えるという現実と、まだ形にならない自分の想い。
その答えを見つける日は、本当にやってくるのだろうか――
お陰様で11万PV突破しました↓
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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