あの人を想いながら、この人と生きる
「妾たちは・・・どうしますか?」
シリの問いに、ゴロクは静かに頷いた。
「・・・暇を出そうと思う」
そう言った彼の声音には、決意と迷いが混じっていた。
「・・・あの人たちを、大切にしてあげてください」
シリはそっと言葉を継いだ。
「私が嫁ぐときも、あなたのそばにいたいと願った者たちです」
「わかっておる」
ゴロクは低く答える。
だが、その目は少しだけ、遠くを見ていた。
「この話は、争いが終わるまで彼女たちには黙っておきましょう」
「なぜだ?」
「こんな雪の中で、あの子たちを追い出すわけにはいかない。
春になって、外が動けるようになったら・・・あなたの口から、きちんと説明してあげて」
しばしの沈黙のあと、ゴロクは「わかった」と短く応じた。
「ドーラとプリシアは、重臣の娘です。まだ若い。再婚の可能性もあるわ」
シリは真っ直ぐにゴロクを見つめた。
「彼女たちの名誉を傷つけることなく、この城から送り出すには・・・推薦状が必要です。
良き女性であると、あなたが記した手紙が」
「・・・わかった。書こう」
「できれば、今日中にお願いできますか」
「なぜ急ぐ? 春まで話さぬのではなかったか」
その問いに、シリは少し目を伏せて、かすかな咳払いを一つした。
「・・・ゴロクは元気だけれど・・・高齢よ。何があるかわからない」
その声は次第にか細くなっていった。
一瞬の静寂ののち、ゴロクが小さく吹き出した。
「・・・さすがシリ様じゃ。用意がいい」
「縁起でもないことを・・・ごめんなさい」
「いいや」
ゴロクは首を振り、穏やかな笑みを浮かべた。
「それだけあの者たちに気をかけている。良い妃だ」
シリはほっと息を吐き、そして話題を変えるように言った。
「・・・それから、フィルのことですが」
「領民出身だったな」
「ええ。もし、あの子が望むのなら・・・この城で働かせてください。
頭の回転が早く、賢い子です。性格は少々、扱いにくいけれど・・・路頭に迷わせたくない」
「良いだろう」
シリはゆっくりと頷いた。
「冬の間・・・彼女たちを抱いてあげてください」
その一言に、ゴロクの眉がわずかに動いた。
「・・・なぜだ」
「仕事がないということは、彼女たちにとって“役目を終えた”と感じること。
自分の魅力が失われたと思い、傷つくわ」
ゴロクは短くため息をついた。
「妃としても・・・賢い」
そうつぶやいた声には、どこか苦笑の色が混ざる。
「けれど――」
ゴロクの白髪まじりの髪が、蝋燭の光にぼんやりと揺れていた。
頬の皺は深く、昔のようにぴんと張った背中も、今は少しだけ丸い。
けれどその眼差しは、昔と変わらぬままに真っすぐだった。
「わしは残りの生涯を、シリ様とふたりで歩みたいのだ」
思わず言葉に詰まり、シリはゆっくりと目を伏せた。
「・・・こんなふうに、思ってもらえるなんて・・・私は、幸せですね」
ゴロクは静かに頷いた。
「・・・ありがとう。心から」
そして、しばらくの沈黙のあと、ふっと表情を引き締める。
「けれど――だろう?」
ゴロクは苦笑いをして話す。
「はい。あなたには領主の務めを果たしてもらいたいと思います」
シリは顔を上げる。まっすぐな目で。
「抱いてあげてください。彼女たちを大切にして、春になったら・・・手放しましょう」
その声には、静かな決意と、慈しみが滲んでいた。
◇
ゴロクが部屋を出ていく音が遠のいた。
扉が静かに閉じられると、部屋の空気が少しだけ変わった気がした。
シリはふらりと窓辺に歩み寄り、静かにカーテンを開けた。
雪が、しんしんと音もなく降り積もっている。
まるで、何もかもを覆い隠してしまおうとするかのように。
「・・・春まで、あと一月ね」
ぽつりと呟くと、後ろに立つエマがそっと応じた。
「長いようで、きっと、あっという間に来てしまいます」
シリは微かに頷く。
「今はこうして・・・平和に過ごせるけれど・・・春になったら争いが始まるわ」
その声には、不安というよりは、直感に近い冷静さが滲んでいた。
「ゴロクは・・・良い人ね」
「こうして、想われるのは幸せなことです」
エマが話す。
「でも・・・やっぱり、グユウさんを思い出してしまうの。許されないことだって、わかってるのに――」
「・・・はい」
「忘れなくてはいけない。忘れたくない・・・忘れられない・・・」
雪を見つめながら、つぶやく。
エマは何も言わなかった。
ただ、そっと近くに立ち、窓の外に目をやる。
その沈黙が、何よりも温かい。
「恋愛が絡まないと、妃の仕事は全うできるものね」
シリは深く息を吐いた。
白く、細い吐息がふわりと宙に溶けていった。
――春が来たら、すべてが動き出す。
それまでは、せめて、この静寂に身を委ねよう。
あの人を想いながら、ゴロクと生きなくては。
けれどその春が、最期の春になるとは、このとき誰も知らなかった。
次回ーー本日の20時20分
「義を貫く」と決めた男に、
「心を揺らせ」と迫る者がいる。
決意はやがて、剣に変わる。
――その春、誰が裏切り、誰が守るのか。
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
おかげさまで累計10万9千PV突破!
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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