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鍵をかけていた唇を解く

シリが少しだけ硬い声で尋ねる。


「ゴロク、今夜も・・・どうしたの?」


「シリ様・・・」


そう呼びかけながら、ゴロクはゆっくりとその手を取った。

シリが戸惑ったように視線を落とす。


その様子を見たエマは、そっと椅子のレースを置き、気配を消すように部屋を後にした。


扉が閉まり、微かな音が響く。


「・・・ゴロク、妾のところにはもう三日も行っていません。そろそろ、あの子たちにも・・・」


「・・・」


ゴロクは、何も言わずにかぶりを振る。


そのまま、静かに寝室の方へと促してきた。


「・・・ゴロク?」


胸がざわめく。


いつものように理性的で、距離を守っていたゴロクではない。


それでも、手は強くも乱暴でもなかった。


ただ、ひたすらにまっすぐで、揺るぎない意志があった。


ベッドに身を預けたとき、ゴロクがそっと頬に手を添える。


その掌が温かくて、シリは思わず目を伏せた。


そして――口づけが落とされる。


瞬間、シリの身体がぴたりと硬直する。


9年間ーー交わされなかった唇への愛撫。


ーー唇は、まだ亡き夫のもの。


そう思い込んできた。


心の奥に鍵をかけて、大事に、大事にしまいこんできた。


けれど。


――あの人はもういない。


静かにそう思った瞬間、胸の奥が軋むように痛んだ。


「・・・まだ、私では・・・だめか」


ゴロクの声は低く、苦しげだった。


シリは、かすかに震える声で返す。


「・・・そんなこと、ないです」


「ただ、もう・・・あなたを抱くだけの夫では、いたくない」


ゴロクの真摯な表情に、何も言えなくなってしまった。


「・・・私は、シリ様を好いています」


その言葉に、シリの喉が詰まる。


ーーずっと、気づかないふりをしてきた。


でも、それは自分が見ないようにしていただけで――この人の想いは、いつもそばにあった。


「全部を受け入れてほしい・・・そう願うのは、わがままか?」


その問いに、シリはしばらく黙ったまま目を閉じる。


胸の奥で、何かが音を立ててほどけていく。



「・・・違います」


鍵を解いたのは、私。


だから、もう一度歩き出す。


妃として、女として。


ゴロクの顔が再び近づいた時、シリは黙って受け入れた。


ーーこれは、私が選んだこと。


娘を守るために、自分で選んだ道だ。


ここまで待っててくれたゴロクの気持ちを考えると、胸が痛んだ。


ーー夫婦なのだ。唇も・・・許そう。


そう、心の中で静かに告げながら。



翌朝、まだ空が淡く明るみ始めた頃、ゴロクは静かに部屋を出て行った。


少しして、エマが入ってくる。


「・・・おはようございます」


室内の空気が、昨日までと違う。


その違和感に気づいたエマが、ベッドに座るシリの表情をそっと窺う。


目元には、涙の跡がうっすらと残っていた。


「どうされましたか」


問いかける声は、どこかおそるおそるしていた。


シリは一拍置いてから、かすかに笑う。


けれど、それはとても弱い笑みだった。


「大丈夫よ、エマ」


「・・・はい」


「ただ、私が妃として未熟なだけ。それだけなの」


震えるような声でそう言いながら、シリは自分の胸にそっと手を当てた。


その声の奥にある痛みを感じとって、エマは、ただ静かにうなずいた。



――私は妃。けれど、この胸の震えが、悲しみなのか、

認めたくないことなのか・・・まだ、自分でもわからない。


それでも。


――この人のそばで、生きていくと決めたのだ。


少しずつでも、前を向けるように。


それが、私の選んだ道。




次回ーー明日の9時20分


乳母が見た姫の顔は少女ではなく、女の顔だった。

その顔をむけていた相手はーー。


そして夜、ゴロクが告げた「大事な話」とは。

揺れる想いが交差する、静かな一日が終わろうとしていた。


揺れる心 少女の終わり

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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/


おかげさまで累計10万9千PV突破!

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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