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言えない「好き」が積もる場所で

ユウは、早足で階段を上りながら、胸の奥にたまったものを押し殺していた。


――感情のままにぶつかるのは、母が望まぬこと。


『妾たちを、憎まないで。彼女たちの誇りを守ってあげて』


そう言った母の声が、頭の中に残っていた。


でも、本当は言いたかった。


傷つけられた。悔しかった。泣きたかった。


けれど、それを口に出すことはできなかった。


ーー私は、未熟者だ。


自分の中に芽生えた怒りと悲しみを持て余しながら、ユウは唇を噛む。


階段を登る足音に追いつかれそうになって、ユウはさらに歩幅を広げた。

後ろから、慌てた声が響く。


「ユウ様! お待ちください!」


その声を振り返ることはできなかった。

待つことなど、できなかった。


この胸のざらつきも、腹の底に沈んだ情けなさも。

そんな醜い心のまま、シュリに顔を見られるなんて、絶対に嫌だった。


――お願い、今は、見ないで。


爪先に力をこめて、雪のついた階段を駆け上がる。

目指したのは、ノルド城の最上階。


誰もいない、物置と化した、ただの見晴らし部屋だった。


重たい扉を開け放つと、そこには静寂が広がっていた。


窓の外には、青い屋根がいくつも並ぶ白銀の街並みが広がっていた。


積もる雪がすべてを覆い隠し、ただ白一色の世界が、眼下に広がっている。


ユウは窓際まで歩み寄り、両手で窓枠を掴む。


吐く息が白く、胸の内の熱を持っていく。


けれど、心は少しも冷めてはくれなかった。


――どうして、あんなこと言ってしまったの。

――どうして、あの子に、あんな顔をさせてしまったの。


自分の言葉も、表情も、すべてが浅はかで、未熟だった。


それでも。


それでも――


雪の降る城下を見下ろしながら、ユウはそっと目を閉じた。


背後で、そっと扉が開く音がした。


振り返らなくても、誰が来たのかはわかっていた。


「・・・ユウ様」


その声は、そっと触れるように、静かだった。


「追いかけてこないでって、言ったはずよ」


ユウは窓の外を見たまま答える。


けれど、声はわずかに震えていた。


「でも、放っておけません。・・・あんな顔、初めて見ました」


その言葉に、ユウの指先が窓枠を強く握る。


「・・・あの子に、言いすぎたわ」


「・・・言いすぎてません。正しいことをおっしゃったと思います」


「そうじゃないの!」


肩が震え、ユウはくるりと振り返った。


その声が、静かな部屋に突き刺さる。


「正しいとか間違ってるとか、そういうことじゃないの。・・・私は、ただ悔しかっただけ」


その目に、涙が滲んでいた。


「私だって、好きな人の隣にいたいって思ってるだけなのに。・・・好きで姫に生まれたわけではないわっ」


シュリは、そっと一歩近づいた。


「ユウ様は、我慢ばかりしてる。優しくて、強くて・・・でも、本当は、誰よりも不器用だ」


「・・・私、不器用?」


「ええ。すごく」


その言葉に、ユウは唇を噛んだまま、とうとう涙を落とした。


ぽたり。


窓の外と同じ白い床に、それは淡く滲んだ。


ユウがそっと顔を伏せる。


シュリは迷うように唇を動かしたが、やがてまっすぐに言った。


「・・・でも、私は・・・そういう、不器用なところが・・・好きです」


空気が一瞬、静止した。


ユウの目が大きく見開かれ、微かに震える。


「・・・そんなの、ずるいわよ」


笑おうとした声は、かすかに震えていた。


シュリは照れくさそうに、それでも頷いた。


「ずるくても、嘘じゃありませんから」


言った後に後悔した。



ーーユウ様は、姫だ。


自分のような下の立場の者が、心を寄せてはいけない。


・・・それでも、想ってしまう。


ユウは、視線をそらすように窓の外を見た。


「・・・さっきの、あの話・・・」


「・・・フィルの胸を触ったって、本当なの?」


その問いに、シュリの頬がみるみる赤くなった。


「違います。あれは・・・事故で・・・っ!」


必死に伝えようとするその声に、ユウはしばらく黙っていたが、やがて小さくため息をついた。


「・・・シュリも、不器用ね。あんなことを言われて、何も言い返せないなんて」


「それは・・・」


「でも、そういうところも・・・好きよ」


その声は、ふいにほどけたようにやさしく、まっすぐだった。


言ってしまったあと、ユウは自分の胸に針を刺すような痛みを覚えた。


ーーダメよ、これ以上踏み込んでは。


私は、誰かのものになる定めなんだから。


夕暮れの光が、真っ白な雪の屋根を静かに染めていた。


ユウの顔も、シュリの顔も、赤く染まる。


「私も・・・」

口を開きかけて、シュリは言葉を飲み込んだ。


代わりに、静かに外を見て言う。


「・・・雪がやみましたね」


「・・・やんでも、また降るわ」


「そうですね・・・」


ユウの指先が、窓枠の隅をなぞった。


その手に触れたかったけれど・・・


手を伸ばしかけて、やめた。


この距離を越えてしまえば、もう戻れなくなる。


だから、何も言わない。


それが、今の“答え”だった。






次回ーー明日の9時20分 


夜を越えた朝、シリは妾たちの部屋を訪れる。

焼き菓子とともに届けられたのは、和解か、それとも裁きか――

交差する女たちのまなざしと、揺れる心。


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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/


おかげさまで累計10万9千PV突破!

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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