羨ましさの名を借りた、私の毒
その日の夕方、ユウとシュリは回廊の先にある小さな椅子に並んで座っていた。
空はすっかり薄暮に染まり、雪は静かに降り続けていた。
「・・・雪は、いつまでも降り積もるのかしら」
ユウがぽつりと呟く。
「そうですね」
「でも・・・この雪がとけたら、争いが始まるのでしょう?」
「はい」
「そして、縁談を求めてこの城に若い男たちが来るわ」
「・・・はい」
シュリの声が少し硬くなった。
その答えに、ユウは小さく笑った。
「なら、ずっと冬のままでいいわ」
淡く光る雪の白さに、その声だけが吸い込まれていった。
そのときだった。
柱の影から、一人の少女が姿を現す。
フィルだった。
足音に気づき、シュリが振り返る。
フィルは少しだけ視線を逸らしながら、何でもないように近づいてくる。
「・・・静かね、ここ」
「・・・はい」
短く答えるシュリに、フィルは微笑む。
けれどその視線の先で、ユウが隣に座っているのを見た瞬間、心の奥に棘のようなものが刺さった
ーーまた、あの二人。
肩を並べて同じ雪を眺めている。
それだけなのに、どうしてこんなに心がざわつくのだろう。
シリのそばにいるときのユウは、大人びた娘だ。
けれど、シュリの隣では、年相応の“普通の女の子”に戻っていた。
それが、たまらなく羨ましかった。
ーー私より年下なのに。
ユウはゼンシの姪であり、シリの娘であり、領主の娘――“姫”だ。
領民出身の自分にはないものを、全て持っている。
思い出すのは、初めてユウと対面したあの日のこと。
自分こそが“城で一番”だと思っていた。
顔立ち、髪、肌の艶、女としての器量・・・そのどれもが人目を惹くと信じて疑わなかった。
けれど、あの少女が馬車から降りた瞬間、空気が変わった。
白い肌と澄んだ瞳、そこにいるだけで目が離せない佇まい。
“姫”という言葉が、まるで彼女のためにあるようだった。
ーー私は、美しさしか持ってないのに。
だから余計に悔しかった。
「仲良くしてるじゃないの、二人とも」
軽やかに声をかけながら、わざとらしくシュリの肩を叩く。
そして、あの出来事を持ち出す。
「この子ったら、私の胸、揉んだのよ」
「っ・・・!」
シュリが凍りつき、ユウの目が驚きに見開かれる。
「それは事故で・・・!」
「ふーん、まんざらでもなさそうだったけど。あなたも他の男と同じね。
小さいより、大きい方が好きなんでしょう?」
フィルは豊かな胸を寄せて、ユウにチラリと視線を向けながら、にっこりと笑った。
けれど、ユウは微笑みも返さず、ゆっくりと立ち上がる。
「冷えてきたわ。部屋に戻ります」
その声はやわらかかったけれど、どこか突き放すようでもあった。
「・・・ユウ様」
あわてて立ち上がるシュリ。
だが、ユウは振り返らない。
その背中に、フィルはぽつりと呟いた。
「いいわね。姫様は」
その声に、ユウが静かに振り返る。
「妾と違って、身体を張ることもない。綺麗なドレスを着て、男たちにちやほやされて
・・・金持ちの誰かに嫁いで、妃になる。羨ましいわよ」
「・・・羨ましい?」
ユウは冷たい瞳で問い返す。
「ええ」
「でも、姫に自由はないわ。好いてもいない男に嫁いで、家のために子を産む。
それが務めなの。選ぶことなどできない」
ユウはまっすぐにフィルを見つめた。
「あなたは、自分で妾になる道を選んだ。
・・・選べるって、それだけで、どれほど恵まれていることか・・・」
その目に、怒りではなく哀しみが滲んでいた。
フィルは何も言い返せなかった。
ただ、その美しい横顔を見つめていることしかできなかった。
ユウはふっとため息をつく。
そして、ほんの少しだけ微笑んだ気がして——
「・・・もう少し、大人になってから言ってくれるかしら」
その言葉に、フィルの胸がひどく締めつけられた。
そんなこと考えたこともなかった。
選べることが当たり前だと思っていた。
ーーそして、羨ましかった。
自分には――母がいない。
物心ついたときにはいなかった。
誰も、自分の髪を撫でたり、名前を優しく呼んだりしてくれなかった。
ーー母って、こういうものだったのかもしれない。
軟膏づくりで手を取って教えてくれたこと。
笑いかけてくれたこと。
名前を呼んでくれたこと。
ーーあんな目で、あんな声で呼ばれたのは、初めてだった。
けれど――その優しさは、ユウにはもっと深く向けられている。
好きになった男の子も・・・ユウに夢中だ。
「・・・ずるいわよ」
小さくつぶやくように漏らした声は、もう届いていなかった。
ユウはすでに、静かに雪の中へと歩みを進めていた。
その後ろ姿を、フィルは見つめ続けた。
それが、悔しい。
それが、羨ましい。
だから、つい意地悪をしてしまう。
ーー私、最低ね。
フィルは、足元の雪をぎゅ、と踏みしめた。
白く閉ざされた回廊を一人歩きながら、もう一度だけユウの背を思い出す。
——あんな風には、なれない。けれど。
空から、まだ雪は静かに降り続いていた。
フィルの胸に、小さな棘のような想いが芽を出した。
ーーこのまま黙って見ているだけなんて、できない。
次回ーー本日の20時20分更新
姫であることが、ただ苦しい夜がある。
見晴らし部屋に逃げ込んだユウと、追いかけたシュリ。
触れそうで触れられない想いが、静かに降る雪に溶けていく。
次回『言えない「好き」が積もる場所で』
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
おかげさまで累計10万9千PV突破!
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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