戦は女の針から始まり、男の剣の前に終わる
シリは、広間を歩きながら立ち止まった。
朝の光が射し込む裁縫室では、娘たちと十数人の女たちが、黙々と手を動かしていた。
白く整えられた包帯、何層にも縫い重ねたシーツ、古布を利用した肩当てや足巻き。
それらが床の籠に積まれ、次々と完成していく。
「すごいわ・・・」
思わず、小さな声を上げた。
「これだけあれば、怪我人が出ても、賄えるわね」
その声に、ウイとプリシアが顔を見合わせ、穏やかに微笑んだ。
「母上、あとは・・・患者着ですよね」
レイの瞳がまっすぐに向けられる。
「私たち、縫わせてもらえますか?」
その声に、シリはゆっくりと息を吸い込んだ。
娘たちが自ら望んで“戦の準備”に加わろうとしている。
その小さな決意に、胸が熱くなるのを感じた。
「・・・ええ。お願いするわね」
布の匂いと針音の中で、ひとつの時代が動き始めていた。
裁縫室の扉の外。
通りすがりのゴロクは、ふと足を止めた。
静かな針の音と、少女たちの笑い声が、木の扉越しにこぼれてくる。
「・・・あの年頃の娘が、針で戦うとはな」
呟いた声に、隣で立ち止まったエマが頷いた。
「はい。皆で頑張っております」
「・・・そうか」
ゴロクはわずかに微笑む。
戦は男のものだと、ずっと思っていた。
だが、いま城を支えているのは、こうした手だ。
手を傷だらけにして、縫っているのは、名もない女たちだ。
その輪の中に、シリの娘たちがいる。
大切に育てられ、守られてきた姫たちが、自ら手を動かし、汚れを恐れず、未来の命を縫っている。
「誇りだな」
その言葉に、エマが目を細めた。
「・・・はい。あの子たちは、もう戦っています」
扉の向こうからレイの声が聞こえた。
「これ、本当に着てもらえる? 誰かの命を守るために」
その問いに、シリが優しく答えるのが聞こえた。
「ええ。お願いするわね」
一瞬の沈黙のあと、また針の音が続く。
ゴロクはもう一度だけ扉を見て、踵を返した。
白く冷たい廊下の先、戦の準備が続く広間へ向かって歩いていく。
その背に、エマは小さく頭を下げた。
◇
ーー同じ頃、ワスト領 キヨの城
キヨは、ゆっくりと紅茶を口に含みながら、文机の上の地図を見下ろしていた。
白く塗られたシズル領のノルド城に、小さな丸を描く。
「動けまいな、ゴロク」
小さな声で呟いた。
それは独り言でも、嘲りでもなかった。
まるで、かつての盟友を想うような響きだった。
「ゼンシ様がおられた頃は、誰より忠義に厚く、無骨で、まっすぐな男だった。
だがそれゆえに、時代が変わったことに気づかない」
キヨは手紙の束を脇に積み直す。
今日だけで、使者を十人以上送っている。
ゼンシを慕っていた家臣たちに、ひとつずつ“静かな誘い”をかけていく。
「力で屈するのはたやすい。だが、心を折るのが戦じゃ。
ゴロクが剣を振るうまでもなく、味方が離れれば――それで、勝ちは決まる」
暖炉手をかざしながら、キヨはふと立ち上がる。
カーテンを開ければ、雪。
静かに降り積もるその白さが、何かを隠すように景色を覆っていた。
「戦が始まる前に、すでに終わっていると気づかせた時、人は武器を置く。
…いや、置かざるを得ぬ」
キヨの眼差しは、雪の向こう――
動けず、味方も減り、焦燥に沈むゴロクの姿を想像していた。
ーーそして、その隣にいるはずのシリ。
「あの二人は争うことばかり考えている」
そう呟いた後に、キヨはふっと笑った。
「すまぬな、ゴロク。
だが、わしは“戦わずして勝つ”とゼンシ様に教わったのだ。
あいつが剣を取る前に、戦はもう決しておる」
その声音に、かすかな寂しさが混じる。
「忠義を貫く者が最も脆いとは、皮肉なものよな」
雪はなお降り続いていた。
だが、キヨの心にはすでに春が近づいていた。
その春が、誰かの“最期”を運ぶと知りながらも――
――雪は静かに降り続ける。
ただし、その雪が溶けた時に、何かが音を立てて崩れようとしていた。
次回ーー明日の9時20分
甘い香りに満ちた作業部屋で、静かにこぼれる感情。
“母”の温もりを知る娘と、知らなかった妾の少女。
そして、届いたのは旧友からの誘いの書。
ノアの心に揺れるのは、過去か、今か。
明日の9時20分「春が来るまでに、心が裂けそうだ」
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
おかげさまで累計10万9千PV突破!
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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