言葉なき三つ巴
早朝、シリの寝室。
重たいまぶたを開けると、まだ薄暗い空に雪が舞っていた。
「・・・疲れたわ」
シリはゆっくりと身を起こし、湯気の立つ白湯をエマから受け取る。
昨夜の熱が、身体の奥にまだわずかに残っていた。
けれど、もう隣には誰もいない。
ゴロクはすでに起きて、領務の支度に戻ったのだろう。
残されたのは、乱れたベッドと、重い沈黙だけ。
机には、今日行うべき作業の書き付け。
裁縫、保存食の確認、補給路の整理――
戦の準備は、女の手からも始まる。
ふと、窓の外から木剣の打ち合う音が届く。
若者たちの訓練の音。
リズムよく続くその響きに、シリは目を細めた。
「・・・私も、頑張らないと」
白湯を一口すすると、冷えた身体にじんと染みた。
兵舎の奥、かつて武器庫だった広間。
冬になると、そこが若者たちの稽古場に変わる。
石床には霜が残り、天井からは蜘蛛の巣が垂れている。
けれど、剣を交わす音だけが、生きた証のように響いていた――
稽古場には、三人の青年が木剣を奮っている。
フレッド、リオウ、そしてシュリ――。
誰も言葉は発しない。
けれど、その沈黙こそが、剣よりも鋭く、張り詰めていた。
誰よりも力強く剣を振るいながら、フレッドは横目でリオウを捉えていた。
軽やかで、正確で、まるで風のような剣。
あんな細身のくせに、どうして芯を揺るがさないのか――
そう思うたびに、歯がゆさが込み上げる。
「・・・ちっ」
舌打ちがこぼれたのは、リオウがシュリの攻撃を半歩で交わし、逆に的確に間合いを詰めたその瞬間だった。
だが、それよりもフレッドの目に焼きついたのは、その直後だった。
ユウの目線。
城の窓から、稽古場を見ていた彼女が、微笑んでいる。
その視線の先は、リオウでも、自分でもない。
シュリ――あの使用人の青年だった。
ーー乳母子、だからか?
フレッドは肩で息をしながら、手のひらに汗を滲ませた。
冷たいはずの朝の空気が、どこか熱い。
リオウのような領主の跡取りと違い、
シュリは地位も、名前も、何も持たない。
ただの従者に過ぎない。
だからこそ、最初は相手にもしていなかった。
けれど――
ーーあの目は、何だ。
ユウがシュリを見つめる視線、あの二人の間に流れる空気。
言葉を交わさずとも、互いを知り尽くしているような、迷いのない距離感。
そのことが、何よりも胸をざわつかせた。
リオウもまた、視線を逸らした。
彼の目にほんの一瞬、焦りが宿ったのを、フレッドは見逃さなかった。
ーーお前も――気づいているのか。
剣を交わす音は変わらず続く。
だが、稽古はもうただの訓練ではなかった。
互いを意識し、奪い合いにも似た、名もなき競争。
そして――口にすることもない、“彼女”をめぐる静かな戦い。
誰もそれを認めようとはしない。
けれど、その朝の稽古場には、確かに火が灯っていた。
「・・・よく動くな、あの三人は」
ジャックが腕を組みながら、訓練場を見下ろす。
雪のちらつく早朝、稽古場ではフレッド、リオウ、シュリが剣を交えていた。
「力のフレッド、技のリオウ、間合いのシュリ・・・か」
マナトが静かに言う。
「揃ったな。将来、シズルを背負っていく若者たちだ」
ノアが口元に笑みを浮かべる。
「だが、シュリは――どうなんだ」
ジャックが話す。
「乳母子だからな」
ノアが短く答える。
「身分が違う。どれほど腕が立っても・・・正式な“選択肢”にはなれん」
「惜しいな」
マナトが、少し目を細めて呟く。
「正直、あの子を戦に連れていきたい。誰よりも度胸がある。読みも効くし、剣の踏み込みも鋭い」
「本当だ」
ノアも頷く。
「背負わせたいと思わせるだけの力がある。けれど・・・」
「どこまでも“影”の役回り、か」
ジャックが肩をすくめた。
三人はしばし沈黙し、剣の打ち合う音だけが響く。
「フレッドもリオウも、あの使用人を見て焦ってるな」
ノアが言う。
「口には出さずとも、あの距離感には・・・抗えまい」
ジャックは苦笑いをしながら頷く。
「だろうな」
マナトは視線を中庭の端へ移す。
そこには、ユウが立っていた。
手袋を外し、じっと訓練を見守っている。
「・・・あの三人の背中を見ていると、少しだけ希望が湧くんだよ」
「同感だ」
マナトとノアも頷いた。
降りしきる雪の中、三人の重臣たちは、
言葉少なに、だが確かに、“未来”を見つめていた。
雪の中、静かに火が燃え始めていた。
争いは、剣よりも先に、心から始まる。
次回ーー本日の20時20分
針音が響く城の一室。
娘たちの手が、戦を支える布を縫う。
一方、敵は静かに包囲を狭めていた。
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
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兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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