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その隣にーー私ではない誰かが

午後になっても、雪は降り続いている。


客間に、上品な湯気が立ちのぼっていた。


テーブルの上には、丁寧に淹れられた紅茶と数種類の焼き菓子。

ユウは少し緊張した面持ちで椅子に座っていた。


リオウとは、何度も話している。

彼の目にはいつも自分への思いを湛えている。


ーーそれが苦手だった。


それでも彼は、いつも礼儀正しく、少しだけ目を伏せがちで――妙に落ち着いた空気をまとっている。


目の前には、すでに席についているリオウ。


整った身なりと落ち着いた佇まい、年齢以上に静かな空気をまとっている。


ユウは、彼の瞳をまっすぐに見ることがまだ少し苦手だった。


その気持ちに応えることなどできないからだ。


けれど、今日のリオウはどこか違った。


彼は、膝の横から布に包まれた一冊の本をそっと取り出した。


「これ・・・よろしければ、ユウ様に」


差し出されたのは、使い込まれた革表紙の戦術書だった。


古く、しかし丁寧に補修され、大切にされてきたことが伝わってくる。


「えっ・・・これ、ワスト領の動員図が載ってる初版本!」


思わず身を乗り出すユウ。


「ここ、見てください。再編成された年が違っていて、誤記があるんです。

でも、現地の証言をもとに修正されたのが、後の改訂版で――」


ユウの声が自然と弾んでいく。


最初こそ緊張していたはずなのに、気づけばもう、本を指でなぞりながら言葉が止まらなかった。


リオウは微笑を浮かべたまま、相槌も打たずに、ただ静かに頷いている。


けれどその沈黙が、ユウには心地よかった。


「・・・ごめんなさい、つい一人で話してしまったわ」


「いえ。もっと聞いていたいと思いました」


リオウの言葉に、ユウははっとして顔を赤らめた。


女性らしく、優雅で、控えめであれ――。


そう教えられてきたのに、自分の興味を抑えきれなかったことが、急に恥ずかしくなる。


「そういう話ができる姫君は、僕にとって、ありがたい存在です」


リオウの声は低く、穏やかで、どこか優しかった。


ユウがふと見せた横顔に、リオウは思った。


――ああ、やはり“妃の娘”なのだ、と。


口数は少ないのに、伝わってくる芯の強さ。

戦術の話になると、ふいに灯るような目の輝き。


それが、誰に似たものかは分からない。


けれど、今この瞬間――

彼女が、ただの姫ではなく「この領の一角を支える人」なのだと、自然とそう思えた。



前回の会話でリオウは、ヒントを得たのだ。


ユウと楽しく会話をするためには、一般的な女性が好む会話ではないということを。


その言葉に、ユウの口元がゆるむ。


戦術、布陣、補給線、指揮系統――。

一般の女子と話すには堅すぎるその話題も、今は不思議と心地よい。


湯気の向こう、リオウはずっと静かに、でも真剣に耳を傾けてくれていた。


そしてふと、ユウは気づいた。


こんな風に、自分が“得意な話”を遠慮なくできる時間が――楽しいことを。



ユウは紅茶に口をつけながら、カップの中の揺らぎを見つめた。


――不思議。


心の奥が、ほんの少しあたたかくなる。



◇ 



その光景を、部屋の片隅でシュリは見ていた。


柔らかな声が聞こえてくる。


片手に剣を携えたまま、シュリはそっと目を細めた。


ユウの顔は、いつになく楽しげだった。


頬に紅を差すように自然な笑顔。


身振り手振りで説明し、時折、リオウと笑い合っている。


――あんな顔、知らない。


ユウがあんなふうに誰かと楽しそうに話すのは、自分だけだと思っていた。


乳母子として生まれ、常に寄り添ってきた。

どんな時も傍にいた。


彼女の涙も怒りも、全部見てきた。


それなのに。


今、ユウの目の前にいるのは自分じゃない。


リオウが本を差し出し、ユウが顔を輝かせる。


そのやり取りを見つめながら、胸の奥がじんわりと痛んだ。


――これは、恋じゃない。


けれど、遠ざかっていく気がする。


自分の知らない世界に、ユウが足を踏み入れている。


ーーいつかきっと、シリ様のように誰かと夫婦になり、領主の妃になるのだろう。


そして、あの人もいつか“母上”と呼ばれるのだ。


領地を背負い、人々に語り、誰かを守る強さを持つようになる。


それが嬉しいことなのか、哀しいことなのか、自分にはまだ分からなかった。


その未来はまぶしくて、美しい。


だからこそ、苦しかった。


ユウの声が、その響きが、やけに遠く聞こえた。


その横顔は、もう“少女”ではなく、“誰かの妃”になる人の顔だった。


シュリは小さく肩をすくめ、胸に手を当てた。


ユウの笑顔は、いつか誰かの隣に落ち着く。


それを想像しただけで、胸の奥が少しだけ、冷たくなった。


次回ーー明日の9時20分


静かな雪の朝。

打ち合う音の奥で、誰も言わぬ火花が散る。


互いを意識し始めた心が、剣よりも鋭く交差する。


次回『雪よりも熱いもの』


争いの前に始まる、名もなき戦があった


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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/


おかげさまで累計10万9千PV突破!

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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