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この温もりは恋じゃない

翌朝、窓の外では雪がまだ降り続いていた。

けれど、城内はいつものように静かに動き始めている。


シリは湯を張った桶の湯気を眺めながら、ぼんやりと身支度を整えていた。

肌に残る温もりと、夜の記憶が、胸の奥にまだ滲んでいる。


その時、扉を控えめにノックする音が響いた。


「失礼します」


エマが湯気の向こうから現れ、いつもより少しだけぎこちない仕草でタオルを手渡してきた。


シリはタオルを受け取りながら、ぽつりと呟く。


「・・・疲れた」


エマの手が一瞬止まり、それから曖昧な笑みを浮かべる。


「そりゃ・・・まあ」


「夜通し・・・あの年齢で・・・」


シリはわざとらしく肩をすくめてみせた。

けれど、誰よりもわかっている。

それがただの照れ隠しで、通じるものではないということを。


エマは湯を見つめたまま、そっと答える。


「今日は作業がお休みの日です。ごゆっくりしてください」


シリは言葉を返さず、ただ唇を結んだ。


しんとした朝の空気に、湯気の白が静かに溶けていく。


夜が去っても、心の奥ではまだ、あの腕の重さを覚えていた。



朝食後、部屋で静かに過ごす三姉妹の元に、エマが足早に現れる。


「また・・・?」


ユウが反射的に顔を曇らせる。


「ユウ様、おはようございます」

返事を待たずに、エマは予定を切り出した。


「今日の昼食は、客間でフレッド様と召し上がる予定です」


「・・・昼食を?」


「はい。フレッド様のご希望です。ぜひご一緒にと」


エマはどこか恐ろしいほど丁寧な笑顔で微笑んだ。


「・・・わかったわ」


その返事に、エマは密かにほっとする。


――前より嫌がっていない。


「その後、お茶の時間はリオウ様とご一緒です」


「なぜ、お茶まで・・・?」


「フレッド様が昼食、リオウ様がお茶。これで公平が保たれます」

エマはさらりと口にした。


納得できない様子のユウに、エマはさらに言葉を重ねる。


「春になれば、もっと多くの殿方がいらっしゃいます。その練習です」


ユウは小さくため息をついた。


降り積もる雪では想像もできない未来。

けれど、確かにそれは近づいているのだ――。



テーブルの上に湯気を立てて運ばれてきた鍋を見た瞬間、ユウは思わず息をのんだ。


「・・・これ、何の肉?」


「昨日、山で仕留めた猪。まだ新しいから、柔らかいはずだ」

フレッドが袖をまくりながら、木の杓文字で鍋をかき回す。


出てきたのは、大ぶりに切られた根菜と、骨つきの肉。

透き通ったスープからは深い香りが立ちのぼり、食べる前から喉が鳴った。


「・・・すごい。こんなの、作れるの?」


「こう見えて、料理は得意なんだ」

フレッドが笑うと、その顔は剣を振るう時よりもずっと年下に見えた。


ユウは木のスプーンを取り、一口すくって口に含む。


途端に、舌の上に広がったのは、野性と出汁が溶け合った深い滋味。

猪肉のうまみを根菜が受け止め、ほんのり香る香草が、雪の冷たさを忘れさせる。


「・・・なにこれ。美味しい」


思わず漏れた声に、自分でも照れくさくなった。


その一言に、フレッドの胸がわずかに跳ねた。


「よかった」

彼の声が、少しだけ低くなる。


ユウはスプーンを持つ手を震わせながら、恥ずかしそうに笑った。


火照った頬が、雪の白さを照り返している。


思わず何か言いたくなったが、口から出たのは全然違う言葉だった。


「・・・おい、シュリ、お前も来い」


そう言って、フレッドは椅子から立ち上がった。


「いえ・・・私は」


姫と重臣の息子、そこに乳母子は同席できない。


「いいから。早く座れ」

強引に促され、シュリはためらいながらも椅子に座った。


ユウはにっこりと微笑む。


その笑顔に、フレッドはまっすぐ目を向けられなかった。


――あんな顔、されたら困る。


それが、ただの食事じゃなくなってしまう。


だから、そうなる前に。

三人で食べる、普段の食事に戻そうと思ったのだ。


静かな雪に覆われたノルド城。


その下で、芽吹きはもう始まっていた。

次回ーー本日の20時20分


差し出されたのは、古い戦術書。

思わず弾んだ声に、リオウは静かに微笑んでいた。


けれど、その笑顔の先にいるのは、もう自分ではない。


次回『その隣にはーー自分以外の誰かが」


ほんの少し、心が遠くなる音がした

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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/


おかげさまで累計10万9千PV突破!

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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