静かすぎる手、言えなかった恋
「寒い・・・」
昼食時、ユウは鼻の頭を赤くしながら部屋に戻ってきた。
その姿を見るなり、ウイはぱたんと裁縫箱の蓋を閉じる。
何かを隠したような仕草。
「午後のリオウ様は・・・客間なの?」
ウイは、平静を装って尋ねる。
「中庭よ」
ユウはシチューを口に運びながら淡々と答えた。
まるで、義務でもこなすかのような口ぶり。
「・・・あの人、真面目だけれど・・・重いの」
ぽつりと続ける。
その瞳に迷いはなかった。
ーー姉の中に、揺らぎはない。
ウイはほっとするような、不思議な気持ちになる。
「行ってらっしゃい」
青いコートを羽織ったユウの後ろ姿を見送りながら、心に少し冷たい風が吹いた。
中庭では、すでにリオウが待っていた。
ユウの姿を見つけると、彼の表情がふっと柔らかくなる。
その目に浮かぶ感情を見た瞬間、ウイの胸がきゅっと締めつけられた。
ーーけれど姉上は、それに気づいていないのだ。
まるで、愛を置き去りにしてしまった人のように。
ーー母上と、同じ
ウイはそっと目を伏せる。
ーーあの人は、姉を見ている。
好いているのは、私じゃない。
あの黒い瞳が、私に向くことは、きっとない。
ウイは小さく息を吐き、そっと扉を閉じた。
裁縫箱の蓋を開ける。
そこには、青いリボンと縫いかけの白百合の花。
ひと針、ひと針、丁寧に縫い進めていく。
まるで、消せない想いに蓋をするように。
*
「ユウ様、こんにちは」
リオウは、迷いのないまなざしでユウを見つめる。
その黒い瞳には、亡き兄の面影があった。
「今日も・・・寒いですね」
目を伏せたユウに、リオウはそっと微笑む。
「ユウ様にお会いできるのです。寒さなど、気になりません」
言いながら、彼は静かにユウの顔を見つめ続ける。
その真っすぐすぎる視線に、ユウは目をそらした。
「・・・男性たちの準備は、進んでいるのですか」
「はい。早朝稽古の後、武具の手入れや確認。
合間にまた稽古――そんな日々です」
ぽつり、ぽつりと交わされる言葉。
静かな沈黙が、時折ふたりのあいだに流れる。
「・・・羨ましい」
ユウが、ふとつぶやいた。
「え?」
リオウが驚いたように目を見開く。
「私は・・・男に生まれたかった」
その声には、怒りと悔しさがにじんでいた。
「男に生まれていたら、戦場に出て・・・キヨを殺せたかもしれない」
まっすぐに見上げるユウの青い瞳に、リオウは言葉を失う。
その瞳に浮かぶのは、恋でも憧れでもない。
ただ、燃えるような――怒り。
「私は、キヨが憎いの」
ユウの声は、かすかに震えていた。
あの夜、泣きながらも毅然と座っていた母の背中を思い出す。
決して感情を乱さないその姿に、ユウはずっと憧れ、同時に恐れていた。
「父を殺され、祖父母を失い、兄も・・・母の笑顔も奪われた。
城を壊され、モザ家を汚された」
「・・・それなのに私ができるのは、軟膏を作ること。
悔しくてたまらない・・・!」
その言葉に、後ろに控えていたシュリも息をのんだ。
ーーずっと、抱えていたのだ。
凍りつくような静かな怒りを。
「・・・私も、です」
リオウが、そっと手を差し出す。
ためらうように、けれど確かに、ユウの手に触れた。
「私も、キヨを憎んでいる」
リオウの声は、低く、はっきりと響く。
「私も祖父母を殺された。姉は・・・夫を殺されたあと、キヨの妾にされた。
愛した人を殺した相手に身体を預ける姉の気持ちを、考えると・・・」
リオウの手が、いっそう強くユウの手を握った。
「父を失い、家は裂かれ、私は逃げるようにワスト領を去った」
ユウは静かにうなずいた。
「・・・それなら、キヨを殺して。私の想いも、のせて」
その声は、震えていなかった。
「はい」
リオウは両手でユウの手を包み込んだ。
リオウの手に重なる、自分の手の冷たさ。
それでも、この想いが伝わってほしいとは、思わなかった。
ーー殺したい。
ただ、それだけ。
冷たい風が、ふたりのあいだを通り抜けていった。
その姿を見つめていたシュリは、そっと目を伏せる。
ユウの瞳は、恋をしているそれではなかった。
けれど――
ふたりの距離が、少しずつ、確かに、縮まっていることを
シュリは知っていた。
◇
午後――
廊下を歩いていたシリは、ふと足を止めた。
窓の外、中庭に目をやると、二つの影が並んでいる。
青いコートをまとったユウと、黒い装いのリオウ。
風が強い日だった。
「まるで、昔のシリ様とグユウ様のようですね」
エマが微笑む。
リオウはグユウの甥にあたる。
グユウの面影があるリオウと、シリそっくりなユウ。
その2人を見ていると、時が舞い戻った気持ちになる。
「確かに、リオウはグユウさんに似ているけれど・・・やっぱり違うわ」
「そうですか?私にはそっくりに見えます」
「グユウさんの方が素敵だわ」
シリがつぶやく。
シリの話を聞いて、エマは吹き出した。
「何よ。変な事を話した?」
シリは少し顎を上げて質問をする。
「いいえ。慕っている者が見れば、その方はこの世で1番素敵に見えるものです」
エマは微笑む。
「そうかしら。絶対にグユウさんのほうが素敵よ」
シリは納得できないように首を傾げる。
その姿を見て、エマは少しだけ表情が硬くなる。
ーーシリ様のお気持ちは、いまだにグユウ様にある。
シリは窓の外に目を戻す。
中庭のふたりは、風に揺れながら、まだ言葉を交わしていた。
ーーどうか、あの子には・・・。
争いなどなく、平和で平凡な日々を過ごしてほしい。
愛する人を争いで亡くす経験はしてほしくない。
それは、母としての、ただひとつの祈りだった。
次回ーー本日の20時20分
雪に閉ざされた城。
迫る包囲と、届かぬ声。
「私は、未来を失った身です」
それでも――
抱きしめる腕に、たしかな温もりがあった。
次回、『雪の夜、ただ一人の男として』
静けさのなかで、ふたりの想いが交差する。
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
おかげさまで累計10万9千PV突破!
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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