若い妾に夫を奪われて嫉妬しないの?
ノルド城周辺には、深々と雪が降り積もっている。
城内は来るべき争いの準備に追われていた。
貯蔵庫ではドーラを中心に保存食の仕分けを。
裁縫班はウイとレイ、そして妾のプリシアが針を走らせていた。
軟膏班では、ユウとフィルが時折小さな衝突を繰り返しながらも、
シュリとヨシノが手綱を締め、班をまとめていた。
男性陣は武具や馬具の手入れ、鍛錬に遠征の準備を進めている。
「この感じなら・・・3日に一度は休息を入れてもいいと思うの」
進行表を眺めながら、シリがつぶやく。
「どうしてですか?」
エマが驚いたように顔を上げる。
「準備は順調だし・・・それに、ノルド城はレーク城よりもずっと豊かよ。
武器を作らなくてもいい。食料も、自給しなくていい。・・・あの頃に比べたら、楽だわ」
シリは少しだけ苦笑いを浮かべる。
9年前、彼女が嫁いだレーク城は貧しく、戦のたびに備えも資金も足りなかった。
それに比べれば、ゴロクが治める領地は広く、備蓄も豊富で、用意に節約はなかった。
「そうですね・・・」
エマもどこか懐かしそうに頷く。
「大変だった。・・・でも、幸せだった」
シリの視線が雪に埋もれた中庭へと移る。
どんなに作業が忙しくても、グユウが隣にいた。
優しく美しい黒い瞳と大きな手がシリを包んでくれた。
あのぬくもりに、心が救われていた。
今は違う。
豊かだ。時間もある。
だが――
「・・・寂しい。もう大丈夫。でも、やっぱり寂しいのよ」
ぽつりとこぼれた言葉に、エマはそっと目を伏せる。
そのとき――
「また・・・あの二人」
エマは思わず呟く。
視線の先に、ユウとシュリの姿が見えた。
中庭はすっかり白銀に包まれていた。
けれどその一角――屋根付きの回廊の下、風の届かぬ石畳のスペースには、雪ひとつ積もっていない。
ふたりはそこで、並んで座っていた。
「本当に仲が良いわね」
シリは微笑む。
「ええ・・・」
エマは歯切れが悪いまま、内心でため息をつく。
――政はこんなに聡いのに、色恋沙汰になると本当に鈍い。
「ゴロクの元に、休暇の申請をしておかなくては・・・」
シリは小さく言い、足を進めた。
◇
その頃――
「・・・雪って、ずっと見ていられるわね」
ユウがぽつりとつぶやく。
「はい。・・・でも、ずっと外にいると手がかじかみます」
シュリが懐から小さな包みを取り出す。
湯気の立つ焼き芋が一つ、くるまれていた。
「こっそりもらってきました。少し冷めてますが、よければ」
「えっ、これ・・・ありがとう」
ユウは驚きながらも受け取る。
指先にじんわりと伝わる温もりが、胸の奥にも広がった。
「半分こにしましょう」
焼き芋を手で割って、シュリに手渡す。
「・・・いつも、ありがとう。軟膏班で・・・
フィルと私、言い合いになりそうな時・・・いつも、さりげなく間に入ってくれるでしょ」
「・・・気づかれてましたか」
シュリは少し照れくさそうに微笑む。
「さりげなさすぎて最初は気づかなかったけど・・・
シュリって、いつも空気を壊さないようにしてる」
「自分のためですよ。あのお二人が怒鳴り合うと、薬草が焦げるので」
「ふふっ、正直ね」
ユウが笑う。
その笑顔は、寒空の下でいっそうあたたかく見えた。
その様子を――
◇
フィルは反対側の窓から、忌々しげに見つめていた。
あのふたりは、いつも一緒にいる。
一緒に作業をして気づいた。
シュリは四六時中、ユウの様子を見守っている。
使用人と姫であるなら、あんなに親しくするはずがないのに。
「ふん」
吐き捨てるようにして背を向けたその時、シリの声がかかった。
「フィル。こんなところで」
フィルはぎくりとして、慌てて頭を下げた。
「寒くないの? こんなに胸を出して・・・風邪を引くわよ」
そう言って、シリはそっと彼女の胸元の布を直す。
まるで子を想う母のような、やさしい手つきだった。
その仕草に、フィルの中で何かが軋んだ。
「・・・悔しくないのですか」
「何が?」
「ゴロク様は・・・この胸をとても優しく愛してくれる。昨晩も・・・
若い妾に夫を奪われて、悔しくないのですか?」
不意に投げられた言葉に、後ろのエマが息を呑んだ。
「フィル、あなたは立場を・・・!」
声を荒げかけた彼女を、シリは静かに制する。
「その心配はご無用よ」
シリは柔らかく微笑んだ。
「え・・・? ゴロク様を、自分のものにしたくないの?」
「むしろ逆よ。ゴロクはあの年齢で元気だから、私ひとりでは大変。
あなたたちがいてくれて助かっているの」
「・・・は?」
あっけにとられたフィルの口が開いたままになる。
「妾がいて助かる・・・? 嫉妬とかは・・・?」
「今はないわ」
あまりに即答だった。
「・・・じゃあ、昔は?」
「そういう感情は、九年前に捨てたの」
シリの目は遠く、けれど穏やかだった。
その瞳の奥には、誰かを想う影があった。
「あなたがいてくれて、私は助かっています。
しいて言えば、軟膏作りのときに私の娘と喧嘩をしなければ・・・もっと助かりますね」
シリは優しく笑って、その場を去っていった。
残されたフィルは、その背中を見送るしかなかった。
ーー妾に嫉妬しない正妻。
ーーそれなのに、心のどこかが満たされない自分。
「・・・なんなのよ、ほんと・・・」
つぶやいた言葉は、雪に吸い込まれていった。
次回ーー本日の9時20分
休暇の日に告げられた、突然の面談。
眩しすぎる笑顔に、ユウは戸惑う。
けれどその言葉は、心にふと触れて――
次回、『明るすぎる男 重すぎる想い』
笑顔の裏に、何を見る?
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
おかげさまで累計10万9千PV突破!
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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