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火にゆらぐ手紙、冬を超える覚悟

「これを、ノアの妻マリーへ届けてくれ」


キヨは、絹の包みを使者に手渡した。


桃色の地に繊細な花の刺繍が施されたそれは、柔らかくも冷たい手触りだった。


キヨの部屋には、色とりどりの布地が山のように積まれている。


その中心で、彼は黙々と手紙を綴っていた。


「あと十人ほど送る」


弟のエルが目を細める。


「なぜ奥様に布を・・・」


「ノアの胸に届かぬ言葉も、マリーの心になら届くことがある」


キヨは笑った。


どこか静かで、冷たい笑みだった。


「女は男の命の根っこを握っとる。マリーは気丈で、よくノアを叱る。

ノアの槍を止めるには、家の方から攻めるのが早い」


エルは驚いた顔をしたが、すぐに唸るようにうなずいた。


「“戦わずして勝つ”道・・・ですね」


「そうじゃ。絹一枚で槍を置かせられるなら、それが最上よ」


キヨは、布の端を指でなぞりながら、ぽつりと呟いた。


「この布は? どなたにも送らないのですか?」

エルが問いかけると、キヨの表情が一変する。


棚にポツンと残されている水色の布。


「これはシリ様に・・・と思って用意したのじゃ」

キヨの声は切なげに揺れる。


「え?は? まさかシリ様にも布を贈られるのですか?」

エルの声は同様で裏返る。


「・・・それができないのが辛いことじゃ。このお色、シリ様に似合うだろう。

シリ様のために作られた布じゃ。ひと目見て気に入った」


キヨは愛おしげに布を触る。


繊細な銀色の刺繍を施した水色の布。


「当てもないのに・・・どうするのですか」

エルの声は呆れが含む。


「いずれ、シリ様はこの布を使う」

キヨは、ゆっくりと話す。


「布は腐らん。その時のために・・・保管しておくのだ」

確信めいた言い方でキヨは話を締めた。



「戯れはお終いじゃ」

キヨは痩せた顔に不釣り合いの大きな瞳を閉じる。


「今度の布の裏には、血の匂いもついとる」


その一言に、エルの顔がこわばる。


「・・・敵は“ゼンシ様の血”です。情勢を誤れば、我らが“逆賊”と見なされましょう」


「だからこそ、サトシ様だ。“ゼンシ様の正統な跡継ぎ”として担ぎ上げれば、世間は黙る」


キヨの目が細くなる。


サトシーーゼンシの孫だ。


「この戦は、兵より“言葉”と“名分”がものを言う」


「この布はマリーに。そしてこの手紙は、ゴロクの所へ。――例の件を、知らせろ」


エルは唾を飲み込んだ。


「・・・はい」


――雪が降る直前の夜、使者たちは静かに各地へ走った。キヨの仕掛けが、水面下で静かに始動した。



数日後。


ノアの妻マリーは、贈られた布をじっと見つめていた。


「・・・まあ、あの人らしいわね」


布には短い手紙が添えられていた。


《かつて私が貧しき身分だった頃、あなたの作った食事と笑みが、どれほど救いであったか。


いま、ようやく一枚贈れる身となりました。


どうか、ノアを見ていてください。あの男の槍が、無益な血に染まらぬよう》


マリーは布を丁寧に畳み、夫に目を向けた。


「キヨは、優しいのね。私にまで、こんな布を・・・」


ノアは黙って、暖炉の火に手をかざしていた。



同じ頃――ノルド城。


届いた手紙を読んだゴロクは、無言でそれをたたんだ。


「キヨシ様が・・・亡くなった」


その一言に、シリが息を呑む。


「キヨシが・・・? どうして?」


「18歳。高熱で伏して、そのまま・・・とある」


キヨシはゼンシの三男。


シリにとっては弟のような存在であり、子のないキヨに養子として引き取られていた。


ゴロクの言葉に、シリは呆然となった。


「嘘よ・・・あの子は丈夫だった。そんな、急に・・・」


声には、怒りとも悔しさともつかぬ感情が滲んでいた。


彼女は手紙を読み返した。


あまりにも整った筆跡。


まるで礼儀をなぞっただけのような、感情のない文章だった。


ふと、視線が宙を泳ぐ。


――シュドリー城での日々が、胸によみがえった。


優しくまっすぐなタダシ。負けず嫌いで、でも憎めないマサシ。


そして、いつもその陰に隠れるように控えめで、大人しいキヨシ。


戦ごっこの剣を持たず、シリの後ろに隠れて笑っていた、あの少年。


「・・・あの子は、殺された。そうでなければ、この胸の痛みが説明できない」


シリはそっと、手紙の端を折った。


まるで、誰にも見せぬと誓うかのように。


その目は、すでに戦の先を見ていた。


ゼンシの血が消え、タダシが消え、キヨシが死んだ。


残るはマサシと、孫のサトシだけ。


「・・・どれほど、失えばいいの・・・」


その呟きに、ゴロクが低く言った。


「失うたのではない。――奴に、奪われたのだ」


シリは頷いた。


「キヨが仕掛けてきたのね。私たちに戦わせる気で、大事なものを壊していくつもり」


ゴロクは、静かに問いかけた。


「このまま、キヨが“ゼンシ様の後”を名乗る世を、見過ごせますか」


シリは顔を上げた。


「見過ごせません」


その声は低かったが、凛とした鋼のような強さがあった。


「・・・ならば、わしは退かぬ」


ゴロクの目にも、決意の光が宿っていた。


「キヨの下で生きるのは、誇りを捨てるに等しい。わしはゼンシ様の最後の家臣として、最期の戦を選ぶ」


シリは何も言わなかった。


ただ、手のひらを夫の手に重ねた。


その手は、すでに冷たく、戦の覚悟を宿していた。


「私もです」


まだ、戦の足音は遠い。


だが、心はもう、その地響きを聞いていた。


――冬の向こうに、避けられぬ運命が待っている。


次回ーー本日の20時20分更新


城を覆う初雪の下、静かに戦の支度が始まる。


縫う者、備える者、そして火花を散らす者たち。


「私に、何かできることはあるのかしら」

揺れるユウの心に、シュリの手がそっと伸びる。

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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/


おかげさまで累計10万9千PV突破!

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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