備えの冬、友に向ける槍
翌朝、早朝稽古を終えた後、シュリは新たにできた落とし穴を見にきていた。
城の塀のそばには大きな落とし穴が掘られている。
「こんな短時間で・・・」
隣にいたリオウが驚いた声を洩らす。
「雪が降る前に間に合わせたのでしょう」
シュリは答えながら、落とし穴の先に立つシリを見つめた。
シリの目は、誰よりも冷静で、誰よりも遠くを見ていた。
こんな時間に、妃が現場にいる。
それだけで兵たちの背筋が伸びる。
「冬の間に木杭を作って欲しいの」
澄んだ声が、風に乗って聞こえてくる。
「木杭ですか?」
職人が訝しげに尋ねる。
「そうよ。この落とし穴に隙間なく木杭を打ち込むの――春になったら」
「はい」
「木杭の先は尖らせて」
「は・・・はい」
少し離れた場所で、重臣のジャックとノアがその様子を見守っていた。
ジャックは感心したように軽く口笛を吹く。
「・・・すごい妃だ」
「落とし穴に杭を仕込む。足を踏み入れた者は・・・串刺しになるな」
ノアが顎をさすりながらつぶやく。
「本当に」
ノアは身震いをした。
「だがあの妃は、ただ殺すために仕掛けるわけじゃない。見せつけるんだ――“ここを越えるには、命を懸けよ”って」
ジャックの発言にノアが真顔で見つめる。
その瞳は「本当に?」と問いかけているようだった。
「ノア、お前は参戦してないが、レーク城の争いの時は、あの妃に手を焼いた」
「そうなのか」
「ああ。次から次へと仕掛けを作って、我々を泣かせた。今回もいろいろ考えているだろうな」
ジャックが苦笑いを浮かべた。
その横顔を見ながら、ノアは複雑な表情で佇んでいた。
◇
その夜――。
シズル領の領地にある館では、一人の男が葛藤に沈んでいた。
「あいつと刃を交えるのか」
帰宅したノアはため息をつき、着替えるその手をふと止める。
「・・・キヨと、本当に戦うのか」
ぽつりと洩らした言葉に、誰も返す者はいなかった。
侍女たちは気を遣い、遠巻きに立ち尽くしていた。
「あなた、どうされました?」
ノアの妻、マリーがそっと声をかける。
「いや、なんでもない。ただ・・・」
ノアはうつむいた。
「話してください」
マリーが柔らかく微笑む。
「ゴロク様も大事な主、そして・・・キヨも大事な友人だ」
ノアが切なさそうに言葉を紡ぐ。
ワスト領の領主、キヨ。
領民出身の成り上がり。
だが、心の底から笑える男。
泥臭く、憎めぬ才覚の持ち主。
ゼンシの下で、何度も命を預け合った戦友だった。
「マリー、私は・・・あいつに槍を向けねばならぬのか」
ノアの声が震える。
ノアは槍の名手だった。
「ゴロク様は争いに強い。そして、妃のシリ様は聡い。あの方の策は、いつも静かで優しく見えて――
気づけば、退路も選択肢も残されていない」
苦しそうな夫の顔を見つめ、マリーが静かに答える。
「あなたが槍を構える相手が、キヨ様であること。それがどれほど辛いか、私にもわかります」
彼女の手が、そっとノアの背に触れる。
「けれど・・・あの人は、あなたがここで迷っていることも、きっと分かっておいでです。
あの人こそ、あなたのことを誰より理解しています」
ノアは口元を引き結んだ。
「それがまた・・・苦しいのだ」
マリーはそっとノアの背に寄り添った。
冷たい風が、戸の隙間から吹き込む。
ノアの胸中は、静かに、けれど確かに乱れていた。
――あの妃と争うということは、理で抗うということ。
そしてその理は、心をも切り裂く。
その夜、ノアは一度も眠れなかった。
今回は短めですが、大事な展開の一つになるので書きました。
次回ーー本日の20時20分
冬の備えが進む城内。
シュリがふと手に取ったのは“ユウの瞳と同じ色”の青いリボンだった。
許されぬ想いに、ひとひらの優しさが灯る——。
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
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兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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