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妾部屋にて、戦の支度を

西側の妾部屋の扉の前で、シリは深く息を吸い込んだ。


ーー今回の争いの準備、お願いするにあたって、一番気が重い相手たちだ。


力強くノックをすると、扉の向こうから品の良い声が返ってくる。

「どうぞ」


ーーードーラだ。


部屋に入ってきた人物が妃、つまりシリだと知った瞬間、妾三人の動きが止まった。


驚きに、誰もが言葉を失う。


ーーなぜ、妃が妾部屋に。


ドーラは思わず息を呑み、すぐに表情を整えた。


「シリ様、このような場所に・・・どうされましたか?」


「お話ししたいことがあって。座っても大丈夫?」

シリの片手には、書類の束があった。


「はい。もちろん・・・」

プリシアが慌てて椅子を引く。


「ありがとう、プリシア」

微笑みながら椅子に腰を下ろしたシリに、三人の視線が集まる。


妾部屋に妃――異質な光景だった。


フィルは鋭く目を細める。


ーー何かしら。

ーー最近、月の半分はゴロク様が妾部屋に来る。

それに対する警告かも。


「今日は、あなたたちの協力のお願いに参りました」

シリの瞳はまっすぐで、芯のある光を宿していた。


「協力・・・?」

お茶を淹れていたドーラが、手を止める。


「ええ、協力です」

その顔には、もはや“妃”の柔らかさより、“領主”としての責任感が浮かんでいた。


「ワスト領のキヨが、私の兄ゼンシの告別式を行ったのはご存知ですか?」


「え・・・ええ」

ドーラが不安そうに頷く。

プリシアも同様に頷いたが、フィルだけは目を伏せたまま反応が薄い。


ーー知らなかったのだろう。


妾たちは政のことに疎い。


美しさを保つこと、衣装で殿方の目を引くことが日常で、国の動きなどは遠い世界の出来事だった。


妃でさえ、そうであったはずなのに――。


フィルは首を傾げた。

ーーこの妃、いったい何を話そうとしているの?


シリは簡潔に、そして冷静に、目前に迫る危機を語った。


「・・・それでは、ゴロク様は春に争いをする可能性があるのですか?」

ドーラの声が震える。


「そうです。もし負ければ、この城は燃え、ゴロクは死ぬかもしれません」

シリの口調は淡々としていた。


「そんな・・・!」

プリシアが、悲鳴のような声を上げた。


「それは妃様の・・・ただの予想では?」

フィルが、刺すような言葉を放った。


「ええ。予想です。しかし、雪が降り、私たちが動けなくなったとき――

キヨは必ず動き出します。だから、備えなければならないのです」

シリは毅然としていた。


その姿に、三人とも言葉を失う。


「・・・戦に勝てるよう、お祈りします」

ようやくプリシアが声を絞り出す。


「祈るだけでは勝てません。動くのです」

シリは静かに首を振る。


「でも・・・私たちは女性です。戦に関わることなんて・・・」

ドーラが戸惑いを隠さずに言う。


「できます」

シリはそう言って、書類の束を机に置いた。


「何これ? シーツ? 包帯作り? 軟膏に・・・食材確保・・・?」

フィルが目を通して顔をしかめた。


「私たちにしろと? こんなの、侍女や女中の仕事でしょう」


「フィル!」

ドーラが咎める。


「女中や侍女たちは、通常の仕事で手一杯です」

シリが冷静に応じる。


「でも、私たちがやるべき仕事ではないわ」

フィルは食い下がらない。


「そうですか。ならば妾の仕事が多忙でしたら、無理にとは言いません。

私も姫たちも、侍女も女中も、全員でこの作業を行います」


「シリ様も・・・?」

プリシアの目が大きく見開かれる。


「ええ。九年前、ワスト領の妃だった私は、家臣とともに武器の製作や補給にも関わりました。

命をつなぐために、できることはすべてやりました。・・・それに比べれば、これは簡単な作業です」


小さく、静かな沈黙が落ちた。


プリシアがそっと口を開いた。

「・・・お手伝いします」


「私も!」

ドーラが力強く頷く。


「ありがとう」

シリは柔らかく微笑んだ。


「フィル」

ドーラが、黙ったままのフィルを見つめる。


フィルは目を伏せたまま、ぽつりと呟いた。

「・・・こんな作業したくなくて、妾になったのよ」


「フィル、あなたは領民出身ね」

シリが優しく言う。


「だから何なの?」

フィルの目が鋭く光る。


「あなた、この生活があと何年続けられると思っているの?」


フィルの呼吸が止まった。


「ゴロクは高齢です。明日、亡くなってもおかしくない年齢です」

シリの言葉に、空気がピンと張り詰めた。


「ゴロクが死ねば、ドーラもプリシアも生家に戻るでしょう。でも、あなたは?」

フィルの唇が震える。


「・・・顔と、身体があるもの」


「外見の美しさは、十年もすれば衰えます」

シリは断言した。


フィルは唇を噛んだ。


ーー彼女のような子を、守ってやれなかった。

ーーでも、今なら、差し伸べられる。


シリは目を細めて微笑んだ。


「軟膏作りがいいと思う」


「私も裁縫も料理も苦手。でも、軟膏作りはできたわ。

それを売って、ワスト領の戦費を稼いだの。あなたも、生家に戻ったら商売を始めなさい」


沈黙のあと、フィルはポツリと言った。


「・・・やるわ。手伝う」


プリシアが笑顔になり、そっと彼女の手に触れた。


「一緒に、頑張りましょう?」


フィルは小さく頷いた。


「ありがとう。プリシア、あなたは裁縫が得意ね。包帯とシーツ製作をお願い」


「はい、もちろん!」


「ドーラ、備蓄品の勘定と不足品の確認、お願いできる?」


「はい。やったことはないけれど、やってみます」


シリは大きく頷いた。

「それでは、明日から頑張りましょう!」


その声は、妾部屋の壁を超えて、遠くまで響いた気がした。


次回ーー明日の9時20分更新 

落とし穴に木杭――妃の非情な知略に、兵たちは息を呑む。

その夜、槍の名手ノアは、かつての友キヨとの対決を前に葛藤する。

「主か、戦友か」——揺れる男の胸中に、冬の風が吹き込む。


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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/


おかげさまで累計10万8千PV突破!

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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