生き残るために、今できることを
「ゴロク様、今日もたくさんの手紙が届いています」
ハンスが両腕に抱えた手紙の束を、机の上に広げた。
「またか・・・」
ゴロクはひとつひとつ封を切りながら、目を通していく。
どれも各地の領主からの書状だった。
「春になったら挨拶に来たいらしい」
手紙をめくる手を止めずに、ゴロクがシリに言う。
「それは・・・同盟の申し出ですか?」
シリの声が明るくなる。
キヨとの対立が迫る中、同盟領の増加は心強い。
だが、ゴロクの反応は歯切れが悪かった。
「いや・・・そういうわけでもなくてな・・・」
視線を逸らしながら曖昧に言葉を濁す。
その瞬間、背中に刺さるような視線を感じ、ゴロクは振り返る。
そこには鋭い目をしたエマが立っていた。
彼女の目は「ごまかすな」と言っていた。
ゴロクは小さく首を横に振り、「無理だ」と目線で伝える。
エマはため息をつき、すっと頭を下げた。
「シリ様。これらの手紙はすべて、ユウ様との面会希望です」
「えっ?」
シリの目がまん丸になる。
――この人は本当に。
エマは心の中で小さく肩を落とした。
政に関しては誰よりも鋭いのに、こうしたことにはまるで気がつかない。
「ご覧ください。どの領主も後継者を伴って訪れると書いてあります。ユウ様との婚姻を望んでいるのです」
「そう・・・なのね・・・」
「この前お越しになった南領の後継も、その一環です」
驚いた表情のシリを見て、エマは深く息を吐いた。
「でも、どうして? 領と領を結ぶ婚姻なら、顔も知らない相手に嫁ぐのが普通でしょう?」
シリの問いには、実体験がにじむ。
「・・・ゴロク様は、ユウ様のお気持ちを汲んで、直接会って話をする方がよいと考えておられます」
エマが言うと、ゴロクは少し姿勢を正し、気まずそうに目を伏せた。
「そうなの?」
シリが向けた視線に、ゴロクはゆっくりと頷いた。
「はい・・・。ユウ様の性格を考えると、まったく知らない相手に嫁ぐのは・・・きっと耐え難いと思って」
頬がわずかに赤く染まる。
それを見て、シリの胸がじんわりと熱くなった。
――こんなにも、ユウのことを考えてくれているなんて。
彼の無骨な手に、そっと手を重ねる。
「・・・ありがとう、ゴロク」
「いや、なんのこれしき」
その様子を見ながら、エマはふと客間での光景を思い出す。
暖炉の前で、ユウとシュリが並んで座っていた。
静かに笑い合っていた。
シュリは何も言わない。だが、あの目は――ユウを見ていた。
ユウもまた・・・。
――春になれば、縁談は進むだろう。
その時、ユウ様の気持ちは? シュリはどうするのか?
考えるほどに、胸の奥に不安が広がる。
エマは目を伏せた。
知らなくてもよいことが、世の中にはある。
それをまだ、シリ様は知らない。
だからこそ、今は――このままでいい。
エマが思考に沈んでいる間に、話題は変わっていた。
シリは机の上に地図を広げている。
「ゴロク、この前、城の外壁を見に行ったの。ここの北側、石が風化していて脆くなっているわ」
地図を指差しながら、淡々と説明を始める。
「ここは地形も低くて、侵入には好都合。敵が鎖をかければ、あっという間に崩れる。補強が必要よ」
ゴロクは顎に手を当ててうなずく。
「さらに、ここの塀の下に落とし穴を設けたいの。目立たぬように。雪が降る前に着手すれば、春には間に合う」
「なるほど・・・補強と落とし穴か」
「はい。けれど――」
横に控えていたハンスが静かに口を開いた。
「今からそのような防備を始めれば、家臣たちは疑うでしょう」
「疑う?」
「はい。争いが近いのではと・・・」
「それが悪いことかしら?」
「現時点では和平が保たれています。争いが始まるかどうかは、あくまで予測に過ぎません」
ハンスの言葉に、ゴロクは黙ってうなずいた。
シリは姿勢を正す。
「でも・・・キヨの性格を考えて。彼がこのまま大人しくしていると思いますか?」
部屋に、静寂が落ちた。
「本格的な冬が始まれば、彼は動く。そう確信しています。その時に慌てて備えるのでは、遅いのです」
一言一言、明瞭に。
その口調には、躊躇がなかった。
「平和な今だからこそ、備えるべきなのです。今動かなければ、ここは――火の海になります」
その迫力に、誰も言葉を継げなかった。
――まるで、あのゼンシ様のように。
「家臣には、心構えが必要です。冬の間に備えを整え、春には動ける状態に。そうすべきだと思います」
静かに、けれど確かな声で。
その言葉に、エマはゆっくりと頭を下げた。
ゴロクはハンスの方に視線を向け、無言で意思を確認した。
「誠に、その通りかと」
ハンスは深く頭を下げる。
「城下の職人を集め、補強と落とし穴の準備を進めるか。ハンス、手配を」
ゴロクが命じた。
「かしこまりました」
ハンスはすぐに部屋を後にした。
「シリ様。明日には家臣たちに説明をします」
ゴロクの口調は、妻に・・・というより領主に話すような口調だった。
「ありがとう、ゴロク。私も娘たちと、城の女たちに話します」
ゴロクは頷き、目を伏せる。
「――生き残るために。今できることをしましょう」
シリの瞳には、静かに、強い光が宿っていた。
次回ーー明日の10時20分
「争いの準備を始めます」
母の言葉に、三姉妹が静かに頷いた。
レーク城で再び動き出す、女たちの戦い。
シリが最後に向かうのは、あの“厄介な部屋”──。
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
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兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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