男になりたい――その夜の祈り
「ユウ様、リオウ様とフレッド様からの文が届いております」
三姉妹の部屋に入ってきた、乳母ヨシノが恭しく手紙を差し出した。
ユウは馬術の本を読んでいたが、その声に眉をひそめた。
窓辺の椅子には、シュリが静かに控えている。
刺繍に向かっていたウイの手が止まり、
レイは読書の手を下ろして顔を上げる。
「また? リオウ様って、本当に筆まめね」
ユウが本を伏せてため息をつく。
「どうせ、夕方の散歩のお誘いでしょう」
そう言って、再び視線を本に落とした。
「はぁ・・・お二人にはどのように返事をすれば良いのでしょうか」
つれないユウの返答に、ヨシノは困り顔だ。
「フレッドって、誰?」
ユウが質問をする。
そのとき、扉が勢いよく開いた。
「フレッド様は、ジャック様の長男です!」
入ってきたエマが、まるで重大発表のように声を張った。
ジャック――シズル領の重臣。その息子だ。
「ああ・・・あの人ね」
ユウが面倒そうに返すと、エマがすかさず言い直す。
「あの人ではありません。ご立派なお方です。
別日にお二人とお会いするように予定を調整いたします。今日はリオウ様、明日はフレッド様」
「ええっ!? 私は乗馬がしたいのに!」
ユウの悲鳴のような声に、エマはきっぱりと言い放つ。
「ダメです。ユウ様は年頃です。
春になれば、各地から領主の方々がご挨拶にお越しになります。その準備も兼ねております。
その予定も、ゴロク様と私で立てています」
「ゴロク様と!? なにそれ、聞いてない!」
ユウが絶句する。
ゴロクのもとには、ユウへの縁談の申し込みが後を絶たなかった。
ゼンシの姪、絶世の美少女――誰もが嫁に欲しがる条件だった。
「婚姻の相手探しを、エマが決めるの?」
レイが真顔で尋ねる。
「もちろん、私が行います。何しろ、シリ様は――」
エマはそこで言葉を濁した。
「そうね。母上は・・・」
レイが言いかけた瞬間、ウイが不安そうに口を挟む。
「え? 母上がどうかしたの?」
エマは咳払いをして話をそらす。
「ウイ様も他人事とは思わないでください。来年は、あなたの番かもしれません」
「えっ? 私?」
「当然です。ユウ様と一歳しか違わないのですから」
そこへ、侍女が部屋に入ってきた。
「ユウ様の新しいドレスが仕上がりました」
封を開けると、淡い赤色のドレスが現れる。
ゴロクが選んだ布で仕立てられたものだった。
「ちょうど良いですね。これを着てリオウ様にお会いしましょう」
「ええ」
ユウは顔をしかめながらも、そっとその布地に触れた。
ーーどうして、こんな時に限って、着なくちゃいけないの?
「珍しいお色ですね」
着替えを手伝っていたヨシノが、目を輝かせて言った。
ピンクでも紅でもない、淡い赤のドレス。
着る人を選ぶその色は、まるでユウのために染められたようだった。
ほっそりとした身体に沿う、柔らかなシルエット。
白い肌と金の髪、青色の瞳によく映えていた。
支度を終えたユウの姿に、部屋の誰もが思わず見とれた。
その視線のなかで、ユウはふとシュリの方を見た。
皆の言葉より、彼の反応のほうが気になる。
シュリは真っ赤な顔で、じっとユウを見つめていた。
その目に宿るものを感じて、ユウは満足そうに小さく笑った。
「そのドレスなら、リオウ様も見惚れるはずです」
エマが胸を張って断言する。
その一言に、ユウはうんざりした顔をし、
ウイはそっと唇を噛み、俯いた。
◇
夕暮れ、中庭。
リオウは指定された場所で静かに待っていた。
少し遅れてユウが姿を現す。
ユウの姿を見た瞬間、リオウの表情がこわばった。
目が見開かれ、言葉を失ったようにその場に立ち尽くす。
少年の胸に、何かが刺さったのがわかるほどだった。
「・・・よくお似合いです」
「ありがとう」
ユウは伏し目がちに返す。
それ以上、会話は弾まなかった。
リオウは口数が少ないらしい。
ユウも話す気がない。
けれど、後ろに控えていたシュリには見えていた。
リオウが何度も、ユウをちらちらと見ていることに。
ーーこれから、何度もこういう“任務”があるのだろう。
そう思うと、胸がきゅっと苦しくなる。
シュリは誰にも見られぬよう、顔をわずかに歪めた。
静寂に耐えかねて、ユウが口を開く。
「ノルド城には、もう慣れましたか?」
「ええ・・・なんとか」
「・・・私は、もう一度コク家を再興するつもりです。そのためなら、どんなこともします」
リオウがそう言ったとき、ユウはまっすぐに彼を見た。
「セン家が滅んだことで、コク家も・・・。私たちを恨んでいますか?」
リオウは驚いたように目を見開き、すぐにかぶりを振る。
「恨んでなど・・・できません。シリ様には、これほどまでにお世話になっているのに。
ユウ様を恨むなんて・・・とても」
その瞳を見つめながら、ユウはふと思った。
ーー父に似ているようで似てない。けれど、あの優しかった兄・シンに少しだけ似ている。
「・・・羨ましいわ」
ポツリとこぼしたその言葉に、リオウは目を瞬かせる。
「え・・・羨ましい、とは?」
「私は・・・キヨを憎んでいます。
兄のシンが殺されて、セン家を興す希望もない。
滅ぼしたくても、女の身では何もできない。
動けるあなたが、羨ましいの」
リオウは呆然とした。
この時代に、こんな言葉を口にする女性がいるとは思わなかった。
けれど、今にも泣きそうな顔で立っているユウを見た瞬間、
何かが胸の奥で強く燃え上がるのを感じた。
「・・・せめて、コク家が再興できるように。それを願ってます」
そう告げたユウの瞳に、リオウは力強くうなずいた。
「ユウ様・・・私は必ず、建て直してみせます」
そのときのリオウの表情には、揺るぎない誓いの光が宿っていた。
ユウは静かに頷いた。
ーーこの人と私は似ている。
けれど、行動できない私は・・・男になりたい。
◇
そしてそのころ――
ミンスタ領から、一通の手紙が届いた。
宛名はマサシーーゼンシの次男 ミンスタ領の領主だ。
重く封をされたその文には、告別式が終わったこと、そして――
キヨの動きを示す、静かな宣戦布告が綴られていた。
それは、シリと娘たちの未来を、大きく揺るがす知らせだった。
次回ーー
「私は・・・男に生まれたかった」
誰よりも娘を想い、誰よりも戦いたかった。
けれど妃は、ただ見守るしかない。
届かぬ願いが、静かな夜に溶けていく――
ブックマークありがとうございます。これからも頑張ります。
明日9時20分に更新します
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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
おかげさまで累計10万8千PV突破!
兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。
すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――
そんな物語です。
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