第56話 静かな怒り
「それまでにしてもらおうか」
そう冷たく言い放ったヨル社長は、そのままツカツカと俺の傍らまで歩み寄ってくる。
「社長……どうしてここに?」
「もともと、スケジュールを見て気がかりだったんだ」
「気がかりって?」
「クロウの古巣との面会。万が一にもキミがいなくなってしまったら我が社の重大な損失だから」
「そんな、俺は――」
社長に対してそんな不義理を働くはずがありません。
そう反論しようとしたとき、ヨル社長は人差し指を俺の唇に当てて、俺の言葉を遮った。
そしてその指先を自らの口元へ運びながら、小声で囁く。
「わかってるさ。キミを信頼している。だけど私はヤキモチ焼きな女なんだ」
「あ……」
「そもそも……まったくいらない心配だったようだけれど」
ヨル社長はふっと口元に笑みを残してから、視線を俺からアサトに向けた。
「さてと――」
「なんだ、ガキ?」
「私はジェスター社代表取締役社長、月夜野ヨルだ」
「はあ? 社長? こんなガキが……? なんの冗談だ?」
『冗談ではありません。企業データベースと照合の結果、目の前の人物は、株式会社ジェスターの代表取締役であると判断できます』
アサトの疑問の声に反応して、ハルが補足説明を行う。
「マジかよ……? こんなガキが?」
アサトは訝しむように眉間にシワを寄せたあと、すぐに下卑た笑みを浮かべた。
「はっ……社長ならちょうどいいや。オタクの社員にさぁ、こっちは暴行を受けちゃったわけですよ。この後ソッコー病院行って診断書もらうんでぇ。ケーサツにも被害届出しますから。そしたら傷害事件っすよ? どうオトシマエつけるつもりです?」
アサトは大げさなジェスチャーで自分の手首をかばいながらヒラヒラさせる。
「それは、アナタが応接室で一人で暴れ出したからじゃないですか! クロウさんはそれを止めようとして――」
「リンネ、ストップ」
リンネさんが非難の声を上げるも、ヨル社長がそれを片手で制した。
そして社長は肩越しにリンネさんへ振り返る。
「大丈夫、私に任せてくれ」
「は……はい……」
社長のその言葉を聞いて、リンネさんは落ち着きを取り戻したようだ。
ヨル社長はアサトの方へ再び向き直り、静かに告げた。
「それで黒末アサトくん。キミは私たちにどうしてほしいのかな?」
「決まってるでしょ? 謝罪と慰謝料っすよ! とりあえず今すぐ土下座して俺をコケにしたことを謝罪しろ。皆守と、このガキの二人ともだ。あと、このガラクタを引き渡せ。バラバラの鉄クズにしてやんねーといけないからよ」
「その要求を拒んだら?」
「何度も言わせんなって。この事実を広く世間に公表してアンタらを徹底的に追い詰めてやっからさ」
アサトがまくしたてるように自分勝手な理屈を口にする。
「なるほど、キミの主張はあらかた理解できた」
「なになに、案外物分かりいーじゃん。さすが社長〜。ビジネスじゃそういう判断力、チョー大事っスよ?」
ヨル社長の言葉を受けて、アサトはニヤニヤと勝ち誇ったように口端を歪めた。それは人の神経を逆撫でするためだけに生み出されたような不愉快な表情だった。
「黒末アサトくん」
「なに?」
「キミは周りからよく、思慮が浅いと言われないか?」
「あ、シリョ……?」
「愚かで軽はずみな行動を取りがちという意味だ。ああ、すまない、難しい言葉を使ってしまったかな? キミにも分かる言葉で言い直すとバカという意味だな」
「はあ!? なんだテメェ、舐めてんのか!?」
アサトは再び激昂して、ヨル社長に詰め寄る。
だけど社長はアサトの剣幕に対して一切動じる様子はない。
「私はキミの主張を理解したと言ったまで。キミの語る妄言の事実関係を認めたなどとは一言も口にしていない」
社長はアサトの顔をまっすぐ指差し、不敵な表情を浮かべた。
「キミに一つ、我が社の社内環境について教えてあげよう。ジェスター社は不当要求対策として、社内の全応接室に監視カメラを設置している。その動画を確認すれば、君の主張が筋の通ったモノかすぐに分かる」
「て、テメエ……!」
「なんなら今この瞬間も、粛々とカメラに記録されているということだ。言動にはくれぐれも注意したまえ」
「うっ……!」
その言葉を受けて、アサトの表情がサッと曇り、バツの悪そうな顔で、一歩後ずさった。カメラのありどころを探すようにキョロキョロと視線を泳がせる。
ヨル社長はそんなアサトを追いつめるように、一歩前に進んだ。
「そのうえで、キミがうちの社員を訴えるのは自由だ。訴訟権は私人に認められた正当な権利。思う存分、権利を行使するといい。ただ――私は売られた喧嘩は買う主義だ」
ヨル社長の言葉は獲物を絡めとる蜘蛛の糸のように、冷徹に、淡々と、アサトの余裕を奪っていく。
「キミの不遜かつ粗暴な態度、わが社の社員を侮辱したふるまい……許し難い。すべて私に対する宣戦布告と判断する」
社長は自分の胸に手を当てて、にこやかにそう告げた。
「キミの望みどおり、徹底的にやろうじゃないか。なに、生憎私はこの形だけれども、私の会社の図体は少しばかり大きい。訴訟にも慣れている。我が社の法務部で全力でお相手させていただくとしよう。遠慮はいらないよ、黒末アサトくん」
「クソがッ!」
アサトはそう吐き捨てると、そのまま逃げるように部屋を出ていってしまった。
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