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修学旅行3日目 千歳レジャーランド(5)

「今、休憩時間が終わって、国会中継が再開しました」

 フィオナが報告した。

「国能生実伴が議場に入ってきたわ」

 奏絵も声を上げる。

 彼はどこか緊張した面持ちで登場した。恰幅のよい身体が座席に収まった。

「ただいまから代表質問を続けます。国能生実伴くん」

 議長に名前を呼ばれると、彼は返事をして立ち上がった。

 持ち時間を計測するベルが鳴らされたが、彼は沈黙したままだった。その異様な光景に周りがざわつき始めた。

 秘書の前では強がって見せた実伴も、神聖なる議会場で、人を殺したなどと口にするのは、相当勇気が要ることなのであった。

「国能生くん、どうかしましたか? 体調でも悪いのですか?」

 議長が質問者の顔を斜めから覗き込むようにした。

「大丈夫です」

 そう答えた。

「では、お願いします」

「実は……」

 その頃、ゴンドラの中では澪の携帯電話が鳴っていた。彼女はすぐに出ると、素早く外部スピーカーに切り替えた。

「さっきの続きはどうした? せめて国能生澪にナイフを向けたらどうなんだ」

 冷酷な男の声がゴンドラ内に響いた。

「そんなことはできない!」

「では、里沙の命は諦めるんだな。それでもいいのか?」

 彩那は一瞬口をつぐんだ。

 男はさらに続ける。

「たとえ、君が手を下さなくても、こちらには時限爆弾という切り札がある。私がスイッチを押せば、二人とも死ぬことになる。それでもいいのか? 今、澪を殺せば、君だけは助かるんだぞ」

 最早、どんな脅し文句も彩那の耳には届いてはいなかった。代わりに、喉の奥から声を捻り出した。

「あなたは本当に、あの花島美乃華さんなの?」

 電話の男は何も言葉を発しなかった。しかし息づかいだけは確かに聞こえている。

「ねえ、花島さん」

 彩那は構わず呼び掛けた。

「私、あなたのことを尊敬してたのよ。だって、強い信念を持って悪と戦う姿勢を見せてくれたじゃない。正直、憧れさえ抱いたほどよ。あの花島さんは全て幻だったというの?」

 電話は無言のままだった。彩那はそのまま続けた。

「もしあなたが恋人の復讐をする気なら、正々堂々と法廷で勝負すべきよ。こんな姑息なやり方では何にもならない。亡くなった恋人だって浮かばれないわ」

「うるさい!」

 突如、女の声が空気を切り裂いた。これまでの声はどうやら機械を通したものだった。

「あなたに何が分かるっていうの? 最愛の人を亡くした気持ちが、あなたに分かる筈ないじゃない」

 激高したその声は、確かに花島美乃華だった。

「今、レストハウスの裏口へ来ました。正面玄関は自動ドアが開かないため、閉じ込められた人で溢れています。職員通用口には鍵が掛かっていますが、窓を割って突入しますか?」

 菅原刑事が確認した。

「待ちなさい。こちらから合図を出します。そのまま待機して」

「了解」

「花島美乃華の身柄を確保することが目的ですが、周りの客の安全が最優先です。彼女は自殺を考えて、そのための凶器を所持している可能性があります。十分注意しなさい」

「分かりました」

「それから室内の電気は全て消えていますので、彼女を見つけるには時間が掛かると思います。ですが、ビデオカメラが3階テラスの柱に固定してあることから、その付近にいると思われます。彼女に気づかれないよう、テラスを目指しなさい」

「了解」

 男の声が重なった。

「では、突入しなさい」

 彩那には、フィオナの指示は聞こえていなかった。花島と激しく感情をぶつけ合っていたからである。

「確かに恋人の死を経験したことはないわ。だから今の花島さんの気持ちは到底理解できないかもしれない。でもね、私だって家族を一人亡くした経験があるのよ。だから言わせてもらう。こんなやり方をしたって、決して恋人は喜んでくれない」

「だけど、権力者と真っ向から戦っても勝ち目はないのよ。実際に警察に訴えたところで門前払いだったわ。事件を立証して、裁判に持ち込むのは、一般人にとっては土台無理な話なの。それに、もたもたしていたら、私だって消されてしまうかもしれない」

「私だって警察はあまり好きではないけれど、それでも正義はきっとあると思う。あなたの力になって真実を突き止めてくれる人は必ずいる。何なら、私が警察に働きかけてもいい。所属も身分も一番下っ端だけど、何年掛かったって絶対に真実を明らかにしてもらう。約束するわ。だから感情的にならないで」

 美乃華はいつしか泣いているようだった。

「倉沢さん、あなたのような人が居てくれて嬉しく思うわ。あなたとはもっと早くに出会うべきだったのかもしれないわね。最初、この計画を立てた時は成功する、いや絶対成功させてやると息巻いていたんだけど、旅行中、あなたを見た時、何故だかこの計画は失敗に終わるんじゃないかって予感がしたのよ。やっぱりそれは現実になっちゃったわ」

「3階に来ましたが、何やら煙が立ち込めています」

 菅原の報告が入った。

「何ですって?」

 続いて龍哉の声で、

「どうやら消火器がぶちまけられたみたいです」

「消火器?」

 フィオナがオウム返しをした。

「倉沢さん、でも私はもう後戻りはできないの。彼と約束したからね。私も彼の元へ行くって」

 美乃華は優しい声で言った。それは彩那にではなく、恋人に向けられているようだった。

「ちょっと待って。早まらないで」

 慌てて叫んだ。

「彩那、花島にその場からすぐ離れるように言いなさい」

 フィオナが叫んだ。

 しかしそれはほんの一瞬遅かった。突然、美乃華の断末魔の叫びがゴンドラに響き渡った。

「花島さん、どうしたの? 何があったの?」

 彩那は大声で呼び掛けた。

「菅原、状況を報告しなさい」

 フィオナが呼び掛けたが、返事がない。

 レストハウスで何かが起きたに違いなかった。

 いつまでもゴンドラに閉じ込められている訳にはいかない。彩那はもう一度ナイフを握り直した。

 自然と国能生澪の顔が青ざめた。

「倉沢さん、まさかそれで私を?」

「せっかく利用できる物は、何でも利用しなきゃね」

 澪に向かってウィンクをした。

「一体、どうする気なの?」

 彩那は身体を屈めると、ドアの勘合部分にナイフの刃先を入れた。

 細い隙間にナイフは上手い具合に入っていく。そうしておいて、一気にナイフを上に持ち上げた。

 するとドアを固定していた板状のフックが半回転し、鍵が外れた。ドアが外側に開くと、途端に風が吹き込んでくる。ゴンドラが大袈裟に揺れ出した。

「ちょっと、何してるの?」

「ごめん。しばらくの間、ドアが開いたままになるけど我慢して。内側から引っ張っていて。絶対、落ちちゃダメよ」

 澪はポカンと口を開けたままだった。

「もしかして、あなた……」

「そう、ここでじっとしている訳にはいかないの。何とか地上に降りて、里沙を助けに行くわ」

「彩那、待ちなさい」

 フィオナの声が耳に突き刺さった。

「大丈夫よ。私、高い所は平気だから」

「そうじゃありません。麻袋を裏返しにして手袋代わりにしなさい。素手では滑ります」

「なるほど、さすがは年の功ね」

 彩那は言われた通りに準備した。それからナイフを戻し、時限爆弾の入った麻袋と合わせて、制服の胸にしまい込んだ。胸が異様に膨らんだ。

「これでよし、と」

 彩那はドアから顔を出して、真下に誰もいないことを確認した。

「もうこれには用がないわね」

 手で鞄を押し出した。空中で自由になった黒い物体はゆっくりと小さくなっていく。最後は鈍い音とともにアスファルトに受け止められた。

「彩那、大事なことを忘れてやしませんか?」

「えっ、何?」

「鞄の中に何か入っていたでしょう?」

 フィオナの冷静な指摘に、

「あっ、しまった! 本物の一千万円が」

「それはもちろん回収しますが、もう一つありましたよ」

 彩那は天を見上げて考えた。そう言えば、GPS付きのブラジャーを入れたままだった。この高さでは破損したに違いない。すっかり忘れていた。

「国能生さん、後できっと会いましょうね」

「ええ、あなたも気をつけて」

 彩那は開いたドアから半身を乗り出して、天井部分に手を掛けた。そこから腕の力だけで、丸屋根のてっぺんによじ登った。

 ゴンドラは揺れ続けた。地上からは20メートルほどの高さがある。落ちたら怪我では済まないだろう。

 意外にも風は強く吹いている。さすがに立ち上がることはできない。這うようにして、ゴンドラを支えているアームを掴んだ。これが大観覧車の中央に向かって伸びているのだ。これを伝っていけば支柱まで辿り着ける。

「花島がナイフで刺されました」

 菅原刑事の声。

「何ですって?」

 彩那は思わず声を上げた。

「まだ息はありますか?」

 フィオナが訊いた。

「はい、みぞおちの辺りにナイフが刺さっています。出血はそれほど酷くありません」

「そのままナイフは抜かないように。今救急車がそちらに向かっています。駐車場に待機させてあったので、すぐ到着します。それまでに、龍哉と二人で正面玄関の自動ドアを割って救急隊員の通路を確保しなさい」

「しかし容疑者に逃げられる恐れがあります」

「構いません。怪我人の救急搬送が先です。菅原は隊員の誘導を、龍哉は客の中に紛れた不審者を探しなさい」

「了解しました」

「里沙の監禁場所について、花島に尋問はできますか?」

「いえ、気絶していますので無理です」

「分かりました」

 しかしそれについては、彩那に一つ考えがあった。そのために今ゴンドラから脱出を図ったのである。

 次はアームを伝っての横移動だった。全体重を二本の腕だけに預け、宙にぶら下がった。次第に痺れを感じてくる。しかし花島や里沙のことを思えば何ともなかった。即席の手袋で金属をしっかり掴み、少しずつ渡っていった。

 ゴンドラの乗客が、制服を着た女子校生の奇行に気づき始めた。みんな窓から顔を並べて、その動向を見守っている。

 ようやく中央の大支柱に手が届いた。ここにはメンテナンス用の簡易はしごが通っている。おかげで安全に下へ向かうことができた。

 突然、ガラスの砕け散る音と悲鳴が聞こえた。レストハウスである。

 どうやら龍哉たちはドアを破壊することに成功したようだ。と、そこに見覚えのある人物の姿を捉えた。忘れる筈もない、小樽の公園で最後まで決着をつけられなかった暴力団のリーダーである。

「龍哉、今玄関を角刈りの男が出ていったでしょ。あいつが怪しいわ。追い掛けて頂戴」

「分かった」

「ボクシングの経験者みたいだから、十分気をつけて」

「任せておけ」

 龍哉は狙いを定めて後を追っていった。

 彩那は無事に地上に降り立った。それから空を見上げた。一つだけドアが開いたり閉まったりしているゴンドラがあった。

 あの中には澪がいる。彼女の無事を願った。

 それにしてもよくあの高さから降りてきたものだと我ながら感心した。しかしそんなことを言っている暇はない。すぐに駆け出した。

「彩那、どこへ行くのですか?」

「もちろん、里沙が監禁されている場所よ」

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