修学旅行3日目 千歳レジャーランド(2)
乗車口には数人の列ができていた。順番が来て、二人はガラス張りのゴンドラに乗り込んだ。
係員が回転式の金具を倒してロックした。最初は大きな揺れを感じたが、その後は安定してゆっくりと空に持ち上がっていく。広場の花壇が小さくなっていった。
「彩那、ゴンドラにはもちろん開閉する窓なんて付いてないわよね?」
奏絵が確認した。
「ええ、全面がガラスに覆われていて、ドアにも鍵が掛けられたから、ある意味、密室状態よ。どうやっても犯人は手出しできないよ」
「裏を返せば、こちらからは何もできないということですね」
フィオナの声。
澪は緊張した面持ちで、彩那のやり取りを見守っている。
「しかし観覧車に乗った以上、何かが起こると見て間違いないわ。気をつけてね」
「何か異変がないか、周りをよく見ていなさい」
奏絵とフィオナ。
「はい」
「梨穂子さん」
突然、予期せぬ声が割り込んできた。菅原刑事である。
「言われた通り、花島美乃華のことを調べましたら、半年前に婚約が破談になっていますね」
一体、何の話が始まったのだろうか、彩那は耳をそばだてた。
「その原因は?」
母、梨穂子の声。
「周りの友人も、理由については分からないと口を揃えていましたが、どうやら相手が交通事故で亡くなったという噂があります」
「ちょっと、お母さん。どうして、花島さんのプライバシーを嗅ぎ回っているの?」
「彩那は黙ってなさい」
梨穂子の厳しい言葉が飛んだ。
「菅原、その相手の素性は分かりましたか?」
「すみません。まだそこまで調べがついていません。ですが、彼女は相当ショックを受けたようで、同僚の中には自傷行為の跡を見た者がいます」
すると突然、ゴンドラが緊急停止した。
いきなり停まったため、ゴンドラは惰性で大きく揺れた。鉄が不気味に擦れ合う音がしばらく鳴り止まなかった。どこか上の方で女性の悲鳴が聞こえた。
しばらくして揺れが収まった。無音の空間で澪と見つめ合う格好になった。
二人の乗ったゴンドラは円周のちょうど4分の1、地上20メートルの地点に浮いていた。
「どうしたのかしら?」
彩那は身を乗り出すようにして園内を見渡した。身体を動かすと、制服が座席に擦れる音がした。
不思議なことに、レジャーランド全体が薄暗くなっていた。何と全てのアトラクションが停止しているのである。さっきまで隣を威勢よく走っていたジェットコースターも、乗客を乗せたままカーブしたレールの上で静止していた。恐らく彼らは悲鳴を上げているのだろうが、その声はここまでは届いてこない。
園内の電気という電気がすべて消えていた。すぐ横にあるレストハウスの明かりも消えているようだ。まるでゴーストタウンを思わせた。
「菅原、状況を報告しなさい」
「どうやら園内が停電になったようです」
「直ちに管理事務所へ行って事情を聞いてきなさい」
「了解」
「龍哉は大観覧車の下でそのまま待機」
「分かりました」
これは偶然の事故なのか、それとも犯人の仕業なのか。捜査班全員に緊張が走った。
「彩那、神経を集中させて、不測の事態に備えておきなさい」
無線の中のフィオナはいつもと変わらず冷静だった。
そしてすぐ目の前に、澪の不安な顔があった。
時を同じくして、東京では国会議事堂に併設された議員会館に一本の電話が入っていた。
受けているのは、国会議員、国能生実伴の秘書、田丸幸司郞である。
「今、先生は予算委員会で答弁中だ。電話を取り次ぐのは無理だ」
田丸は苛立ちを隠せなかった。
最近、国能生実伴に対する世間の風当たりは強く、脅迫めいた電話を受けることもある。これもその内の一つに過ぎないと、最初は考えていた。
しかし、これをよくある脅迫と片付けてよいものか、田丸には判断がつかなかった。というのも、相手の言葉が脅迫の定型文句とは違ったからである。妙に落ち着いた声で語る内容は現実味を帯びていた。
「君、もう一度最初から話してくれないか?」
田丸は録音ボタンを押してから頼んだ。
「国能生実伴の娘は今、北海道の千歳レジャーランドにいる。まもなく彼女の殺人ショーが始まると言っているのだ」
「ちょっと待ちたまえ。確かにお嬢さんは修学旅行中だが、団体行動をしている以上、殺されるなんて状況は考えられんだろう。もっと筋道を立てて話してくれないか?」
田丸は時間稼ぎをして、もう一つの固定電話で国能生実伴を呼び出していた。今は休憩時間であることを彼は知っていた。
代議士はすぐ電話に出た。
「おい、緊急以外は電話を掛けるなと、あれほど言った筈だぞ」
国能生は怒りを露わにした。休憩を挟んで、次の代表質問に立つことになっている。全国に生中継される晴れ舞台で、失敗は許されない。
「お言葉ですが、まさにその緊急事態なのです。お嬢様に危害を加えようとする人物から電話が入っています」
「何だって?」
国能生は大声を出した。
「申し訳ございません」
「そのために用心棒を3人もつけてあるんだぞ。連中は一体何をやっているんだ?」
「彼らとは連絡がつきません」
国能生は一度咳払いとすると、
「分かった。それでは、その電話をつないでくれ」
と指示した。
田丸は脅迫者の電話をスピーカーで流して、それを国能生に聞かせた。
「お互い、時間がないからよく聞け。お前の娘の命は我々が預かっている。千歳レジャーランドで宙づりになっている」
「そんな馬鹿なことがあるものか。証拠を見せたまえ、証拠を」
「疑り深い男だ。おい、先程伝えた動画サイトへのアクセスは完了したか?」
今度は秘書に向かって言った。
「今、接続できた」
そう言ってから、彼はすぐ悲痛な声を上げた。
「こ、これは」
「おい、田丸。どうしたんだ。澪に何かあったのか?」
国能生は携帯電話を握り直した。
「先生、大変です。お嬢様が観覧車のゴンドラの中に閉じ込められています」
「本当か?」
「先生、タブレットをお持ちですね。メールを送りましたので、そこに書かれたアドレスを開いてください。今の様子が動画配信されています」
「分かった」
国能生は電話を傍らに置いて、言われた通り作業をした。
出てきた映像には、二人の櫻谷女学院の生徒が映っていた。その内の一人は明らかに澪だった。彼女たちは宙に浮いたゴンドラの中にいる。
動画は望遠レンズで撮られているようだが、カメラが固定されているからか、手ぶれのない鮮明なものだった。
「娘さんの傍に女がいるでしょう?」
「あれは誰なんだ?」
「彼女は、我々の指示に従順に動きます。今すぐ娘を殺させることだって可能ですよ」
「まさか、何かの冗談だろう?」
国能生は一笑に付した。しかしそれは代議士としての威厳がそうさせたに過ぎなかった。相手が本気なのは間違いない。これほど用意周到な人間が、ここで嘘を言っているとは到底考えられなかった。
「では、画面下のボタンをクリックして、昼に撮った映像をご覧になってください」
国能生が「サンプル」と書かれた所を押すと、子画面で別の動画が流れ始めた。
「これは、さっぽろテレビ塔から撮ったものです」
二人の女子が口論の末、一人が相手を突き飛ばした。ベンチに倒れ込んだのは、確かに澪だった。
「これは予行演習です。こちらの指示で、娘さんを突き飛ばしました。次はこれだけでは済みませんよ」
国能生は胸が掻きむしられる思いだった。
「実はここだけの話なのですが、我々はあの女さえも信用していません。なぜなら娘を殺すのに躊躇するかもしれないからです。ですから彼女の鞄には時限発火装置が忍ばせてあります。こうしておけば、たとえ予定が狂っても、こちらで爆弾のスイッチを入れさえすれば、二人ともあの世行きになるからです。
我々の秘密を知った以上、どのみちあの女は死ぬ運命ですので、実は指示通りに動かなくても一向に構わないのです。死ぬのがちょっとばかり早くなるだけのことですから」
電話の人物は淡々と語った。国能生は恐怖で身体が震えた。




