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修羅幼女の英雄譚  作者: 沙城流
第二章.幸せな怪物の墓標

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9 『背水の剣戟1』

 模擬戦の支度は速やかに行われた──。

 この集落の空閑地にて価値を決する。

 模擬戦での取り決めは幾許の議論の末に終えた。

 その一端を挙げるとすれば、防具についてだ。

 戦いの折、身を守る防具の有無は重要である。

 しかし、小隊代表者のそれは悉くが破砕され、剣を除けば身一つも良いところだった。ゆえに討伐隊の予備装備を貸し与えられるはずだったが、代表者自身があっさりと断った。曰く「わしの身体に合う寸法のものがないならば、身軽なままのほうが実力を発揮できるのじゃ」。これが火種となって内輪揉めに発展しかかったものの、結局は代表者の意見が尊重された。

 あとはひとまず開始の合図を待つのみである。

 帝国小隊一同は、討伐隊の円周に捌けていく。

 これで、輪の中心に佇んでいる人影はひとつ。

 包帯と薄布に身を包んだ幼女のみ。


(礫を浴びる罪人の心地じゃのう)


 閉ざしていた瞼を上げれば、現実が見えた。

 その場から去る帝国小隊の顔色は青い。

 概ね、頭上に広がる青空模様といったところか。

 だが清爽さは皆無である。怨念めいた視線が幼女を滅多刺しにする。ゲラートは激情を蓄えるあまり頬が紅潮しており、マジェーレは殺気をふんだんに塗した目線で突き刺してくる。ナッドの目にすら不審の色味が浮かんでいた。光明を棒に振った裏切者に、投げかけられるものは石礫と相場が決まっているのだ。

 ソルは無言のうちに受け止め、剣柄に触れる。


(……皆には謝らねばならんのう。そのぶん、せめて結果だけは手にしなければならん。それだけが、わしの、長としての責任の取り方じゃ)


 指先でつうと、柄の輪郭をなぞる。

 巻かれた包帯の柔さが伝う。破れた箇所では硬質な感触があった。同時に鼻腔から空気を取り込む。胸をたらふく膨らませると、口から丁寧に吐く。一瞬でも気を抜けば、口許が歪んでしまいそうになる。

 おもむろに二尺の紐を腰袋から取り出す。後頭部で髪を縛ると、解けた包帯のように垂らした。これで気持ちが切り替わる。定めた所作を意識的に辿ることにより、適切な温度まで昂りを冷ました。

 これから、帝国小隊の命運が懸かった模擬戦だ。

 それを見届ける討伐隊の反応は多岐に渡る。


「あの小せぇのは随分な馬鹿だねぇ」

「短慮、軽率を慎むことこそが長生きの要訣だというのに……その真逆を行くあたり、何にせよ薄命は決まってたんだろうな。あの生き方じゃ二年も持たん」

「けれど、わざわざ『黎明』を指名したことを考えてもみろ。生死が両肩にかかった場面で、博奕にもならない選択をするワケがない。何か策があるのだろう」

「だったら、是非見てみたいがね」

「あの世での与太話にするってんじゃないならな」

「あっち見ろよ。小隊、葬式かって面だぞ」


 ──興奮、期待、あるいは憐憫、失望。

 彼らの様相は好悪の軸で測れど一つには括れない。

 

(わしがベクティス殿を指名したこと。それをどう見るかで、反応は変わるものじゃろうからな)


 あの決断の見方はおおよそ二つに分けられる。

 檜舞台に飛び乗った道化師と見れば、喜劇を待つ心地でいられるはずだ。これはデュナム公国側の面々が多く当て嵌まる。イルルは興奮のままに飛び跳ねており、ホロンヘッジは誇らしげに親指を立てていた。

 絶海に身を投げた愚者だと見れば、わざわざ好機を投げ捨てた無謀を笑うはずだ。あるいは、避けられない未来を選び取った悲劇に顔を背けるだろう。たとえば、ハキムが「どうにでもなれ」とばかりに笑っている一方、シャイラは沈鬱な表情で俯いている。

 そのうちの二人は鳩首密議に耽っていた。


「ハキム、さん。その、本気で……?」

「それが手加減のことならば『無論』と返そう。裁量は俺たちのほうで調整しただろう。シャイラ嬢は制約のなかで本気で戦え。……あれが正気かという意味合いならば、言葉を選ばねばならんだろうが」

「あの、なんとか、取りやめには……」

「無理だ。もう幾度も言うたことだろう」


 椅子に深く腰掛けた老爺は肩を竦める。

 シャイラは臣下のごとく屈んだ態勢のまま──。


「そう、ですよね。……でも、何かないです、か」

「……シャイラ嬢が拘泥するのは珍しいのう」

「そう……ですか? だって、あの子は」

「あァ、あやつのことが気に入ったのだろう」

「いえ。その……貴方、の」

「まさかとは思うが」


 シャイラが何事か紡ぎかけた瞬間だった。

 醜い老爺は魚眼を見開いて、顔を覗き込んだ。

 怯えるように肩が跳ねても構わず、言う。


「俺の事情に忖度するつもりならば、降りろ」

「で……でも、やっと見つけた存在、なんじゃ」

「何のために真実を隠したと思っておる。贔屓目抜きの価値で認められるためだ。ここで茶番劇を演じては本末転倒も甚だしいだろうがよ。先ほど(・・・)は妥当と見て許可を出した。此度は違う。それが『俺たちを愚弄することになる』と知っての我儘か?」

「そんなっ、そんな……つもり、じゃ」


 ハキムは無感情の瞳で、狼狽える彼女に告げた。


「貴様は『黎明の導翳し』だ」

「ッ……──はい」

「立場を忘るるなよ。貴様は人であるより先に、王国の柱なのだ。空に輝く日輪のように、或いは星々のように、民を導くのが貴様の使命だろうがよ。職分を果たせ。無理ならば降りろ、代わりに俺が出る」

「……いえ、私が。私が、やります」


 眉間に皺を寄せ、老爺の側から離れる。

 シャイラの額には透明の珠が浮かんでいた。

 下唇を噛んだ口許は、苦痛で曲線を描いている。

 そして彼女は胸元に片手を当てた。呼吸でも整えているのだろうか。ソルの位置からは、その俯いた面差しを覗き見ることができなかった。

 するとハキムは興味を失ったように顔を戻す。


「分かればよい。行け、あやつが待っておる」

「……はい。私は『黎明の導翳し』です、から」


 シャイラは一息に、羽織っていた軍服を脱いだ。

 それを丁寧に畳んで老爺に預ける。


(どうやら、あちらの長話は終いらしいのう。何を話しておったかは知らんが、あの腐れ縁がけったいなことを吹き込んでいなければよいのじゃが)


 ソルは肩慣らしに愛剣を回していた。

 身体の調子は上々だ。睡眠も十分に摂っている。

 昨晩の鼎談を終えたあとはすぐ褥につき、起床後には日課の鍛錬を済ませた。以前マジェーレに滔々と説かれた、睡眠の重要性に触発されたのである。確かに身体は万全に近い。ハキムとの戦闘による傷も、驚くべきことに一晩で快方に向かった。それでも、胸を張って模擬戦に臨めるかと言えば「否」だった。

 これより剣を合わせる相手は『黎明の導翳し』。


(本当に万全を期するならば、無慮千の軍勢を用意せねばならん。なにせ、此度が初の手合わせとなる大英雄じゃ。実力を低く見積もってはならん)


 シャイラが足を踏み出すと、空気が塗り変わる。

 一瞬、ここが王立劇場の大舞台と錯覚した。

 ソルは身体中を駆ける緊張を感じた。喉奥がひりつくように乾いている。潤そうと押し込んだ唾液はあまりに固い。さながら飴でも呑んでしまったかのようだ。適度に弛緩していた筋繊維が萎縮を始め、身体が無意識に圧力に怯える。気圧されている。

 これから正対する『主役』の存在感に──。


(……なるほど、ハキム以上(・・・・・)じゃ)


 シャイラは舞台の中心に向けて歩を進める。

 その姿は窈窕の一言だ。しなやかに揺れる二尾の紫紺。蒼褪めた肌は白日の下に晒されて、まるで月明かりのように耀いている。昨晩に感じた羸弱さは鳴りを潜め、その幽玄な立ち姿に眩んでしまいかける。一瞬でも気を抜けば、ふらりと彼女に吸い寄せられてしまうだろう。さながら誘蛾灯、魔性の魅力がある。

 明らかに、先ほどまでとは雰囲気が一変していた。

 いままで韜晦していたとすれば舌を巻く。


(歴戦の猛者とは、その立ち姿だけで凄味が滲むものじゃ。否、正確に言えば『滲んでしまうもの』か。彼らの呼吸、眼光、仕草、匂い。あらゆるモノが中身を暴く窓の役割を果たす。これは、彼らが積んだ経験と直結しておるがゆえに、自覚することは難しい)


 それを隠し得たこと自体、曲者の証明である。

 ソルは身震いする。いまは風が凪いでいるものの、胸中には突風のような衝動が吹き抜ける。それは戦闘意欲とも興奮とも言える熱を孕んでいた。背中をゆるりと滑る汗だけが、昂りを冷ましてくれる。

 結果を手にするために不可欠なものは涼だ。

 冷静な、冷徹な観察眼が凡人の牙。

 喰らいつく好機こそ、幕開け間近の今。

 そうして遂に、二人は対峙した。


「──……」


 シャイラは言葉を発さない。

 その面差しは、さながら仮面のようだった。

 表情筋に変化はない。強いて言えば時折、眦が痙攣する程度。目線はこちらに注がれている。見つめ返せば、彼女の淀みない瞳奥が迎えた。その双眸は雄邁とは無縁の色合いなものの、確かな芯が垣間見えた。

 ──綺麗な瞳じゃ。迷いが消えたようじゃな。

 素朴な感想を抱きながら、全身を観察する。

 手足の細かな震え、筋肉の伸縮、呼吸の律動。

 装備の摩耗箇所、その具合、動作時の干渉──。


(この目で、改めて洗い出すとしよう)


 ソルは集中力を束ねて、彼女の装いに絞った。

 彼女は軽装だ。薄青味を帯びた胸当てと鎧、左腕の籠手以外には碌々防具を纏っていない。特に右腕は顕著である。蒼白の素肌が、白魚のような指先まで晒されているのだから。それでも身体の露出は僅かだ。神経質なまでに暗色の衣に覆われ、なおかつ薄衣を羽織っている。下半身は観察不能だ。足元まで広がる紺碧の生地に遮られ、詳かにすることはできない。その裾から覗くのは無骨な軍靴。踵の摩耗具合と、先ほど踏み出した脚を思えば、軸足は右なのかもしれない。

 そんななかで、特別そそられた箇所は──。

 彼女の腰に差された、一振りの剣だった。

 柄が頭をもたげた細長い鞘。きっと彼女愛用の剣だろう。だが、ソルにはとんと覚えがない。民草の間では『黎明の導翳し』の覇名や、その独特な戦闘術ばかりが騒がれていた。そもそも聞き及んだ()()()()()を考えれば、剣を帯びる必要などないはずだ。ゆえに、あれは謎めいている。四大将が帯びている事実を思えば、少なくとも大業物だろう。おそらくはハキムの振るう魔剣と同格以上だ。幼女は尽きない興味に身を任せ、剣身を矯めつ眇めつ眺めたい衝動が疼く。

 そうやって一通りの観察を終えたとき、だった。


「あの。帝国小隊長、さん」

「どうか、致しましたのじゃか」


 口火を切ったのは、シャイラのほうだった。

 視線を寸毫たりとも揺らさず、問いかけてくる。


「どうして……私と……」

「どうして、とは異なことを」


 ソルはただ思いの丈をぶつけるように口にする。

 その面持ちに一切の夾雑物を混じらせず。


「シャイラ・ベクティス殿。貴殿はわしの憧れる英雄の一人。泥を啜った路地裏から、輝かしい四大将の座に収まった努力の大英雄。剣を交えたくなるのはそれ、剣に生きる者の本能と思いますがのじゃ」

「私は……そんな。そんなの理由になってませ、ん」

「戦う理由にはなっておりますれば」


 ──本能のまま一戦交えたくて堪らず、のう。

 その小声に対し、シャイラは唇を震わせる。


「……理解、できません。この場を借りて、なんて」


 無感情の瞳には一握の憂慮が塗された。

 彼女は、途切れ途切れの声で非難する。

 直情径行をひた走る幼女を「考えなしだ」と。

 シャイラの言い分はもっともだ。帝国小隊の命運を背負ったなか、更なる無謀に手を伸ばす。すべてを危難に晒して博打を打つ。否、博打にすらもなっていない。博奕とは要因を加味しながら勝利への近道を探す遊戯だ。だが、ソルが選んだのは遠回り。

 四大将を指名して得られるものは一時の驚愕だけ。

 その果てには落胆と失望が待っている。

 ゆえに、シャイラは問いを重ねているのだろう。

 ──とても正気の沙汰とは思えない。

 ──この選択が、真に言葉通りなれば。

 ──真に、衝動的な欲望からのものなれば。


「……あなたは、度し難い狂人──です」


 さしずめ異名通りの『修羅』だと見下げる。

 ソルはそんな怜悧な視線を、薄く笑って退けた。


(もっともじゃ。無論、一戦交えたいというのは建前じゃ、本質は打算的よ。これが単なる模擬戦であったならば、わしに勝ちの目はなかったじゃろうが)


 客観的に見て、ソルの勝算はゼロだ。

 突破口も決定打も欠いている。なにせオド消費の加速術は封印しているのだ。元より、あの技術は謂わば大道芸。もし勝利を掴み取れたとして、仲良く把手共行とはいくまい。獄禍討伐を共に為す、背中を任せられる同胞とはかけ離れた『道具』と同義になる。

 現状はシャイラの手心も期待できない。

 下手を打てば、討伐隊と信頼を築くどころか彼らに不信の種を植えつける。経験上、それは必ず土壇場で芽吹き、決定的な終わりを迎えさせてしまう。ここはやはりソル自身の力で乗り越えなければならない。

 なれば、やはり勝負は幕開け前から決していた。

 だが、その事実こそが突破口となり得る。

 ここで、ハキムが「さあ」と執りなす。


「先にも言うたが、念のため再度伝えておこう」


 ──この模擬戦に敷く()をな。

 ハキムはその場の全員を見渡して、告げる。

 これより始まる模擬戦の意義。それは力量の見極めに尽きる。互いの命を賭した殺し合いではないために、あるいは二人の力量差を埋めるために、幾つかの規則が敷かれる。そのすべてがソルを有利にする文言だった。もしもソルが一瞬で斬り捨てられれば、力量を量る以前の問題である。ゆえに満場一致の賛同を得て、討伐隊側と取りつけたものだった。

 ソルの打算的な狙いとは、それである。


(もしホロンヘッジ・バルバイム殿を指名していたならば、こうはなかった。彼はわしより格上のようじゃが、ハキムは『全霊で足掻けば食い下がれる』と言っておった。その程度(・・・・)の力量差なら、普通の模擬戦が執り行われたじゃろう。じゃが、それでは不足。追い詰められた兎と余力を残した獅子。どちらが厄介かは言うに及ばず、じゃ。そう、わしは)


 ──考えなしの幼女に非ず。修羅に非ず。

 そんな全否定を他所に、説明役が入れ代わる。

 託されたのはハーエルという中年の男だった。

 円周から進み出でて、模擬戦の概要確認に入る。


「……まず、帝国小隊長。ソル少尉の勝利条件は、基本的には二通りあります。一つ目は、我らが『黎明の導翳し』を打倒せしめること。彼女が敗北を認めたとき、その瞬間に帝国小隊の価値もまた認めましょう。そして、二つ目の勝利条件は……制限時間の超過です。ここまでに間違いは、ありませんね?」

「問題ないのじゃ。です」


 ソルは腰帯に差した愛剣の柄を撫でる。

 模擬戦の制限時間は十分間。それで決しなければ、幼女の勝利として扱われる。しかし、時間稼ぎを目指すのは愚策中の愚策だ。ソルは交渉材料として己の力量を見せる立場にある。本領を出し惜しむ真似などすれば、無慈悲に判決が下されるだろう。

 様子見は程々にする必要がある、と心に刻む。

 ハーエルは、次に視線を大英雄に向ける。


「……そして『黎明の導翳し』様」

 

 そのとき、円周から棒状の何かが飛来する。

 回転を帯びたそれを、シャイラは一瞥もしない。

 そのまま右手で掴み取ったのは、木剣だった。


「得物は一本、それだけです。小道具や魔導具、マナ放出等、魔力の行使はすべて禁止。ただひとつ、木剣に魔力を通すことのみが許されています。そして──そこから一歩でも動けば模擬戦は強制終了。帝国小隊長の勝利として扱います。以上により、『黎明』殿の勝利条件は、一歩たりとも動かずにソル少尉を戦闘不能にすること。もしくは、彼女から降参の言葉を引き出すこと。ここまでに間違いはありませんね?」

「……はい。問題、ありませ、ん」


 シャイラは唯々諾々と頷く。

 彼女は紫紺の髪を背中に払い、軽く構える。

 それで如実に顔色を変えたのは、むしろ帝国小隊の顔触れだけだった。これは、あらかじめ取り決めた文言以上の制約である。小隊側が取りつけたのは、あくまで魔術やマナ放出の禁止と、剣一振り以外の小道具の禁止のみ。そこに条件が追加されていた。

 帝国小隊側からすれば願ってもない好条件だ。

 ゆえに、誰一人として口を挟まなかった。

 ソルも感謝こそすれ、文句はない。


(しかし、言い知れない不気味さが漂っておる。なぜ討伐隊側は不服を唱えない。なぜわしらに黙って変えおった……読めん。あの腰に帯びた剣が抜けない理由が関係しておるのか。ここはいっそ敵方を揺さぶり、手のうちを探る必要があるかもしれんのう。不安材料を残して臨むわけにはいくまい。もっとも)


 ──相当な綱渡りじゃろうが、それは今更か。

 渇いていた唇を舌で舐め、声色を整える。


「ひとつ、いいですかのう」

「……はい。何でしょう、か」


 ソルはここで呼吸を意識した。

 これから、自らの意思で愚を犯すことにする。

 対話とは常に駆け引きの要素を孕むものだ。

 賢者は望む答えを引き出すため、あえて身を切る決断をすることがある。だが門外漢は身を切る以外の方法を知らない。腹芸が達者な男と言えば、ソルの知る限り、いまも傍観者に徹している老爺が筆頭だ。

 果たして、見様見真似の交渉術が通用するのか。

 ここからは一歩踏み違えば奈落行きである。

 幼女は覚悟の紐を引き締め、中腰になった。

 そう、相手方に敬意を表する態勢に──。


「シャイラ・ベクティス殿」

「……これは、一体──何、の……?」

「感服致しましたのじゃ。その襟度の深さに。わしと対等になるため、自らを更に羈縻するとは望外のことでございますのじゃ。しかし、度を越した制約を相談もなしに追加されれば、こちらの意気にもかかわります。ここは、制約を緩めては如何でしょう」

「つまり……どういうことです、か」

「それを」


 手と視線で示した先は、彼女が腰に差した剣。

 おそらくは魔剣、大業物との予想が立つ──。


「その剣を使(つこ)うても構わんと言いました」


 いっそ義気凛然とも言える啖呵だった。

 遠巻きに眺めていた討伐隊はにわかに(かまびす)しくなる。

 目を疑う声、からからと嘲笑う声、感嘆の呻き声。

 模擬戦の指名時以上に混迷を極めた。

 一方、帝国小隊側は絶句している。


「な……ッ!? あ、あの馬鹿はッッ……!」

「……ああ、もう。苛々するわ」


 悲鳴めいた罵声が飛ばせたのはゲラートのみ。

 残りの小隊員はすっかり肝を潰しきったようだ。精根尽き果てて、言葉を紡ぐこともできないらしい。マジェーレが白けたような顔を背けて、耳元の黒髪を乱暴に弄っている。その隣でナッドは立ち尽くし、幼女の無謀の魂胆を問い質すこともなかった。

 そして、目前の『黎明の導翳し』は──。

 二度、三度と目を瞬かせた。


「……本気、で。本気で……言ってます、か」

「本気でなければ、それこそ狂人の行いですのじゃ」

「あなたは自分を、狂人じゃ……ない、と?」

「もちろん。論を俟たない事実ですのじゃ」


 彼女は空いている手で、腰の剣柄を緩く触る。

 すると、鞘はかたりと存在を表明する。

 だが、シャイラは仄かに首を振って指を離した。


「いえ。大丈夫で、す。私は、これで」

「その所以を教えてもらえますのじゃか」

「この剣は、その、大事なときに抜くもの、で」

「つまり、いまは使えない確たる理由があると」

「っ……それ、に。木剣なら」


 そこで一拍、時間が置かれた。

 シャイラの顔には一抹の哀憐らしき影が浮かぶ。

 所在なさげに視線を彷徨わせ、小声で呟いた。


「あまり……傷つけずに、済みますか、ら……」

「それは、誰を、と問うてもよろしいのじゃか」

「あっ、ええと。それはそ、の……」

「──くどい。くどいのう、帝国小隊長よ」


 遂に割り込んだのは、溜息混じりの声だった。

 そのハキムは我が物顔で腰掛けたままである。

 だが、いつも拵えていた笑い皺は浅い。突き出た頬骨には頬が寄らず、年輪を刻んだかのような皺や窪みが延ばされることもない。感情の読めない無表情だ。

 彼らしからぬ雰囲気に寸閑、戸惑いを覚えた。

 老爺は、そんなソルに構わず嗄れた声色を紡ぐ。


「先ほど、貴様は言うとったな。『黎明の導翳し』自身が追加した制約を『わしと対等になるため』とな。まァよくも嘯けた。随分と青い勘違いをするモンだ」

「……何が言いたいのですじゃ」

「ハキムさ、ん。大丈夫です、からっ……」

「はっきり言おう。貴様とそれは」


 ──ここまでして(・・・・・・)ようやく勝負(・・・・・・)になるのだ(・・・・・)

 それは、至極当然の論理であった。

 ソルが取りつけた制約では不足だっただけ。

 ハキムの台詞に、シャイラはわずかに俯いた。

 眇められた瞼には陰影が降りる。


(ああ、要らぬ気遣いをさせておったのか)


 シャイラの煮え切らない言葉の意味を悟る。

 彼女から見れば、ソルは世間知らずの箱入り娘だ。

 加えて、幼女だてらに頭角を現した才媛。

 挫折など知らない。それゆえ、人より劣ることで矜持が容易く折れてしまうのではないか。そんな極めて一般的な物差しでソルを測り、残酷な事実を口にすることが憚られたのだろう。腑に落ちる話ではある。

 そして、二人の果てしない懸隔が露わになった。


(……面喰らってしまった、のう。ベクティス殿はきちんと、わしをただの幼な子として扱っておったのじゃな。自分で幼女じゃ幼女じゃとは言っておったが、真正面から外見で容赦する者に出会わんかったから……いささか麻痺しておった)


 もっとも、ソルは幼女の皮を被った老爺だ。

 人生の落伍者は、誰よりも敗北を知っている。

 幾度も人に劣ってきた。口から零れた血反吐の絨毯の上で、幾度も骸と寝床を共にした。ゆえにシャイラの配慮は一切の意味を為さなかったのだ。彼我の力量に天地ほどの隔たりがあることなど重々承知。

 なにせ彼女の副官たる男にも歯が立たなかった。

 元より、傭兵時代でも勝った試しがない。三桁にも昇るハキムとの戦歴で、黒星以外が乗ったのは一度きりである。それも痛み分けにすぎない無効試合だ。

 だが、ソルが気炎を上げるには十分だった。


(ああ、いかん。心が弥猛に逸ってしまう)


 想起してしまうのは、己自身の終幕だった。

 ──半端者と斬り捨てられた、凡人の最期。

 ──憧れの人に認められなかった結末。

 あれは、強烈に現実を突きつける言葉だった。

 結果を残せなかった者の生涯は儚い。

 一人称視点の苦労や努力を轍としたとして、それは打ち寄せる現実の隨に拭われてしまう。ソルフォートの生涯が徒花のごとく散って、何も遺せなかったように。人の目に可視化されるものは結末のみである。

 あのときの『人類最強』の言葉に含みはない。

 ソルはずっとそう思っている。ただ「生涯を使い果たしてこの程度か」と率直な感想がまろび出たにすぎないのだろう。取り立てて腹に据えかねる出来事ではない。彼の力不足は、動かぬ事実だったからだ。

 ゆえに最期は無力感に苛まれ、徒労感を覚えた。

 そして、何より純粋に口惜しかった。


(確かに、これは価値を示す戦いじゃ。もはや意味合いを変えたがのう。これは、憧れの人に、ベクティス殿に、わしの価値を認めてもらうための戦いじゃ)


 そう結論づければ、なぜか心持ちは軽く思えた。

 ハキムの仕切り直しの声も澄明に聞こえる。

 ついぞ、幼女は綻んだ口許が戻らない。


「よいな? 前言は翻さん。模擬戦に敷く()はハーエルが述べた通りだ。帝国小隊長はその真剣を用いて打ち崩せ。『黎明の導翳し』は城砦のごとく動かずして、木剣を用いて打ち払え。……異議はあるか」

「ないのじゃ。お騒がせして申し訳ございません」

「ありませ、ん。あの……ありがとうございま、す」

「……時間が押しておる。早目に始めい」


 こうして二人は距離を離して、向かい合う。

 シャイラは右腕で浅く木剣を構える。

 その姿は、さながら舞踏会の一幕。差し出された腕が誘っているようにも見える。きっと剣舞を踊る相手を求めているのだ。手の先には当然、幼女がいる。

 無論、応じるように腰帯から剣を抜いた。

 深呼吸とともに感覚を研ぎ澄ませていく。

 視界は鮮明に輪郭を浮かせる。鼻先に饐えた臭気がけぶる。間遠の喧騒も鼓膜を震わせなくなる。足裏の地面の感触を新しく感じる。そして、筋肉の内圧を徐々に高めるように、軸足に力を押し込んでいく。

 その原動力は、言葉にすれば幼稚な想い。

 幾度すり切れど、いまだ胸奥に眠る純粋な──。

 憧れの人に認められたい、という願いだった。


(わしは幸せじゃ。その機会を得られたのじゃから)


 この模擬戦に名乗り合いはない。

 それは、すっかり廃れた一騎打ちの風習だ。

 これは、互いの命を賭けた一騎打ちではない。

 ──賭けられたのは、帝国小隊の命のみ。

 これは、互いの価値を賭けた一騎打ちではない。

 ──賭けられたのは、帝国小隊の価値のみ。

 ──ソルフォート・エヌマの価値のみ。


「……ソル。いざ、参るのじゃ」


 ゆえにこそ、幼女だけが──。

 命と矜持を賭した者だけが、名を舌に乗せる。

 ハキムの声を合図に、模擬戦の火蓋が切られた。

 



 ※※※※※※※※※※




 ──脚部に圧縮された力を解放する。

 ソルは大地を蹴って、空気の壁を破る。

 その破片に白髪を曳かれながら突き進む。

 正面に、ではない。標的を中心とした円弧を描くようにして駆ける。常に彼女を見据えつつ、その出方を窺う。『黎明の導翳し』は紫紺の髪を寸毫たりとも揺らさず、いまだに真正面を向いていたままだ。

 幼女は舐るように全身を眺めながら思考する。

 現状、シャイラは制約で雁字搦めだ。

 移動制限の枷は理不尽なほどに重い。畢竟、彼女は修練用の藁人形と大差ないのだ。剣士同士の一騎討ちにおける要訣は、足運びに集約されるのだから。

 足は、剣の腕前以上に趨勢を左右する。


(それが、あの制約ひとつで奪われたのじゃ)


 だから、制約の追加で帝国小隊は愕然としたのだ。

 棒立ちの剣士が発揮できる実力は一割未満だ。


(それだけではない。あれでは身体がよろめく、あるいは踏鞴(たたら)を踏むだけで文言に違反する。たとえば、力比べの勝負を挑んだとする。その場合、ベクティス殿は力を込めるにも足を使う。わしが不意を突いた力の込め方をすれば、重心は容易く傾いでしまう)


 だが、正面突破は愚の骨頂だろう。

 対峙している英雄は『黎明の導翳し』。常識の尺度で測ってはならない。このまま馬鹿正直に突き進んだとして、剽悍決死の特攻以上にはなり得まい。ゆえに慎重に(にじ)り寄る。徐々に手繰り寄せる。

 幼女は軌道を変え、走行する円の半径を縮めた。


(だが、間合いの奪い合いという剣術の醍醐味は、この場では望まれておらん。そうでもなければ時間制限なぞ取り決めるはずがない。ならば)


 まず、木剣の間合いに入らずに──。


「ッ……!?」


 ──直後、右手の甲に痛打が弾けた。

 稲妻めいた速度で痛覚が叩き起こされる。

 ソルは唇を噛み千切る。迸る衝撃を逃がすために右腕を逸らす。その目論見は功を奏した。肘先から大半の痛みが散じて、体幹までは届かなかった。ゆえにあと一歩は地面を踏める。それまでに思考を紡ぐ。

 幾重もの類推を連ねることで事態の把握に努める。

 行動指針を修正し、足裏がつく寸前に決断した。

 幼女はわざと側面から着地して、横ざまに飛ぶ。

 瞬間、耳には乾いた破裂音が擦過。

 どうやら、間一髪で躱せたらしいが──。


(これはッ……ベクティス殿の……!?)


 幼女の矮躯は無防備に落ちていく。

 受け身は取れないだろう。咄嗟の回避行動だった。裏を返せば、大した飛距離もないゆえに身体の負荷も相応のはずだ。肝要なのは立て直し。如何に隙をなくして三撃目に備えるべきか──と、先を読んでいる最中だった。背中の産毛が総毛立つ。えも言われぬ怖気に襲われ、ソルは反射的に腹部を護る。

 轟然とした一撃が、即席の両腕の盾に炸裂。

 ──耳奥で、硝子の破砕音が聞こえた。


「がぁッ……!」


 一瞬の空白を挟み、骨が苦鳴を上げる。

 身体に浮遊感を覚えたとき、すでに地面を転げていた。砂粒が肌を刮ぐ。だが、呻吟を堪えたまま胃液を押し戻し、空いた手で地面を思い切り叩きつけた。

 回転を殺さず、大きく飛び退って距離を稼ぐ。

 そして幼女は背を曲げたまま息を静める。

 ソルの双眸に燠火のような光が宿る。


(彼我の距離は、所定位置からは二倍ほど開いた。おそらく、本当の(・・・)攻撃範囲はこの辺りまでじゃろう。……最初は泳がされとったようじゃな)


 それより、文字通りに痛手を被った。

 警戒を怠ることなく腕の具合を確かめる。

 皮膚感覚が鈍い。患部は赤々と腫れ上がっていた。

 歯を噛み締めなければ垂れ下がる。内側には反響するような鈍痛。それは共鳴し合うたびに気力を削ぎ続ける。剣を握り締めることすら一苦労だ。

 頭部も裂けていたらしく、瞼に血が垂れてくる。

 どうやら額に巻かれた包帯も決壊したようだ。

 ソルは力なく垂れる左腕に擦りつけて拭う。


「……──」


 睨む視界の先では、澄まし顔の女が立っている。

 彼女は片手で楚々と髪を梳き、木剣を構え直す。

 その剣身には花緑青の燐光が群がっていた。そんな蛍火たちは水底に生まれた気泡のごとく、片端から蒼穹に昇ってゆく。女は、ふわりと空に吸い込まれる途中で天光の熱に溶けるそれらを一心に見つめ──。

 最後の一匹が消えれば、切なげに瞼を閉ざす。


(因果関係を考慮すれば、先ほどの二撃は木剣によるものに違いあるまい。じゃが、そうであれば……)


 ソルは右脚を退きながら、左拳を地面につける。

 まるで、獲物に襲いかかる寸前の獣のように。

 だが、頭では猛獣の隙を窺う人間のように。


 ──剣筋が全く見えなかった(・・・・・・)

 ──否、木剣の間合いですらなかった(・・・・・・・)はずだ。


「……それでこそ大英雄。上等なのじゃ」


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― 新着の感想 ―
ちゃんと打算で考えてた、だと!? いやでもソルさんさぁ、『黎明の導翳し』と戦ってみたいとは思ってたでしょ?と思ってしまう……!
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